第3話

「おい、声でかい」

「あっ、友達もいます、代わりましょうか? いやだって、信じてないんですよね!?」

 どうやら電話の相手は先程通報した警察で、何か腑に落ちないことを言われている様子だ。

 俺がもう一度声をかけようとすると、ナオヤが何も持っていない方の手でスマホを指差し、首を横に振りながら俺にスマホを渡してきた。


「電話代わりました。今話してた奴と一緒に妖怪に追いかけられていた者です」


 話は長くなってしまったので、要約するとこうだ。


 ナオヤからの通報を受けてすぐ、警察官が現場に向かった。だが、そこに妖怪がいた痕跡はなかった。

 近所に住む人に、このあたりで騒ぎはなかったかと尋ねたが、騒ぎを見聞きしたという証言は得られなかった。

 それで、警察としては俺らの通報をイタズラではないか、と疑ってきたのだった。

 ナオヤの必死の訴えと、学校名を聞かれて即答したこと、同じ被害にあった人間、つまり俺がいたことで、嘘はついていないとギリギリ信じてもらえた、というところに落ち着いたが……。

「納得いかない……」

 前回のこともある。妖怪は確かにいて、こっちに害意を持っていた。

「俺も納得いかないけどさ、俺とハクは無事だったんだし、いいじゃん?」

 慣れない全力疾走をしてさっきまでへばってたナオヤまでこんなこと言い出すのも、納得いかないんだよな。

 とはいえ、これ以上どうすることもできないので、大人しく帰ることにした。




*****



 俺とナオヤが再び妖怪に襲われてから数日経った。

 流石にあの道を通るのは完全にやめた。下校時だけでなく登校時も、別の道を通っている。

 遠回りになるので少々不便だが、仕方ない。



 今は体育の授業で、バスケットボールの試合中だ。

 俺は適当にボールをパスしたり、たまにシュートを狙ってみたりと、当たり障りなくプレイしている。

 ふとナオヤの方を見ると、俺よりは積極的にパスカットやリバウンドを狙いにいっている。

 ナオヤ自身、バスケは上手くないけど背丈があるからな。俺はどうせ平均未満なので。


 それにしても……ナオヤはあんなことがあったのに、翌日からいつもどおりだった。


 朝は俺の背中に平手で挨拶し、教室移動や昼飯は俺と一緒。クラスメイトに雑談を振られれば適度に返し、英語の授業だけ青ざめた顔で受けている。


 あいつはなんで平気なんだろう。


 一度はあいつの足が折れたことを、俺ははっきり覚えている。


 折れた跡もないし本人は覚えていないから、俺の見間違いとか、夢だったとかってのも考えた。

 だけど、あいつの足が握りつぶされたとき、腹に何かズシンと重いものを食らったような感触を、俺ははっきり覚えているんだ。

 あれが夢だとはおもばすっ


「水為ー!!」


 顔面に衝撃。体ごとよろめいたが、なんとか踏ん張った。誰かが俺の名前を叫んでる。鼻と唇が熱い。

「水為! 大丈夫か!?」

 先生まで駆け寄ってきた。

 俺の足元にはバスケットボールが転がっているのだが、試合中なのに誰も取らない。

 どうやら、考え事をしていたせいでパスに気づかず顔でボールを受けてしまったらしい。痛い。

 鼻がムズムズするので手をやったら、濡れた感触。あ、これは……

「鼻血でてるぞ」

「ふぁい」

 鼻を押さえながら返事したから、間抜けな声を出してしまった。

「すまん水為! ごめん!」

 ボールを投げたらしいやつが必死に謝ってくる。

「いあ、おれがぼーっと……」

 左手で鼻を押さえているので、右手をひらひらさせて大丈夫だとアピールした。俺が試合中にボケっとしてたのが悪い。

「先生! 俺が保健室まで付き添います!」

 勢いよく挙手したのはナオヤだ。付き添い必要か?

「そうだな、頼む」

 一人で行ける……と思ったが、俺が一人で保健室へ行ったら、多分ナオヤは授業サボってでもついてくる。

 だから諦めて一緒に体育館から出た。



 保健室に着くと、入学式で見かけた額に短い角が二本生えた妖人の男の先生がいた。

 改めて見ると、でかい。身長二メートルはあるんじゃないだろうか。厚着のせいで余計に大きく見えるが、手や顔を見る限りでは素の体型は細身のようだ。

 首から下げている身分証カードには「貝塚アキフミ 保健医」と書いてあった。


「顔面にバスケットボール? 鼻以外に痛いところはない?」

「ないれす」

 ボールがぶつかった瞬間は顔全体が痛かったが、今はなんともない。鼻も痛みはもうない。

 貝塚先生は鼻血の処置をしてくれて、ナオヤにはプリントを渡した。

「君、これ分かる範囲でいいから、代わりに書いてくれる?」

「はいっ」

 プリントには名前やクラス、保健室に来た理由なんかを書く欄があるようだ。

 鼻を押さえていても書きものくらいはできるが、確かに付き添いがいてくれると助かるな。

 俺は鼻を押さえ、ナオヤがプリントに記入する。

 そうしてしばらく経って、鼻血も治まった。

「先生、もう止まったみたいです」

「どれ……うん、大丈夫そうだね。プリントは……あれ? 鳥飛君?」

 ナオヤは未だにプリントに向かっていた。記入欄はほとんど埋まっているのに、考え事をしているかのようにペンを持ったまま動かない。

「ナオヤ?」

 ナオヤの顔を覗き込む。目はあいてる……けど白目むいてる!?


「先生! 鳥飛が気絶してます!」

「えっ! なんで!?」


 意識のないナオヤを、俺と先生の二人でなんとかベッドに運んで寝かせた。貝塚先生が熱や脈を診て、うーん、と唸る。


「彼、血が苦手とか、そういうのない?」


「あっ」


 思い出した。ナオヤは血が苦手だ。

「そういえばトラウマがあるとかなんとか言ってたような」

「それでどうして鼻血の子の付き添いで来ちゃったんだろうねぇ」

 貝塚先生は、優しく苦笑いした。


 先生に新たにプリントを渡されて、ナオヤのかわりに書き込む。

 身長は……俺プラス十センチぐらい、体重……? え、こいつさっき俺の分書いてたよな? 俺の体重、把握してるの?

 俺が恐れ慄いていると、貝塚先生に「わからないところは書かなくていいよ」と言われたので、そのままにしておいた。後で俺の分のプリント、ちゃんと見ておこう。

「書けました」

 プリントを貝塚先生に渡す。先生は受け取ってざっと眺めて、机の上に置いた。


「はい、オッケー。ところで、どうする? 授業が終わるまでもうちょっとあるけど」

 いつもだったらナオヤを放っておいて俺はとっとと教室に戻るんだけどな。今回は俺の付き添いで来た上に俺のせいで気絶したからなぁ……。

「授業終わるまでここにいます」

「わかった。先生もここにいるから何かあったら声かけてね」

「あ、あの」

 俺は不意に思いついて、先生を呼び止めた。

「ん?」

「えっと……不躾で申し訳ないんですが……先生は妖人、ですよね?」

 貝塚先生はまた苦笑しながら、

「そうだよ」

 と、はっきり肯定した。

「ちょっと聞きたいことが……いや、相談したいことがあるんです」

「何だい?」

 貝塚先生は手近な椅子を俺の側に引き寄せて、そこに座り込んだ。

「実はこの前から……」

 俺は入学式の日から先日までに起きた、二度の妖怪の件を話した。

 主に、ナオヤとの記憶や認識の齟齬について。それと、警察の対応についても。

 先生は頷きながら俺の話を聞いてくれた。

「……で、先生なら、こういう話に心当たりというか……」


 妖怪と人間は、全く違う存在だ。主に「在り方」が根本的に異なる。

 俺たち人間は子孫を残して繁栄していくけど、妖怪は自然現象の中から偶然に発生したり、人の思念が凝り固まったものだったりする。

 人間に触れて、人間に心を奪われた妖怪が、人間を真似した結果生まれたのが、妖人だ。

 しかしいくら人の世に混じっていて普通に生活しているとしても、純粋な人間から見たら、妖怪や妖人は未知の存在であることは間違いない。

 それで、妖人の先生なら、俺みたいな人間よりは妖怪のことを知っているかと思ったのだ。


「なるほど……。うーん、申し訳ないけど、先生からも警察と同じことしか言えないなぁ」

「えっ!?」

「君たちが嘘をついてるわけじゃないことは解るよ。でも、警察が『痕跡がない』って言うんなら、それはその通りなんだよ」

「そんな……」

「このあたりは妖人が多いからね。警察官の中にも妖人がいるんだ。この学校の関係者もその一人で、妖人繋がりで顔見知りなんだよ」

「そうですか……」

 警察官にも妖人がいるのか。もしその人が捜査に当たってくれてたのなら、間違いないのかもしれない。

 俺ががっかりしていると、貝塚先生がなだめるように提案してくれた。

「警察じゃないけど、君達みたいな不思議に遭った人の相談に乗ってくれそうな人に、心当たりがあるんだ」

 なにそれ。警察が解決できない事件をズバっと解決してくれる人……探偵とか? 偏見かもしれないけど、怪しい気が……。

「自分で言うのも何だけど、怪しい話だよね」

 表情に出ていたらしく、心の中を言い当てられてしまった。

「大丈夫。この学校の卒業生でもあるし、お金とかは取らないから」

「は、はぁ」

「先生から連絡入れておくよ。向こうには『相談者は学生』ってことしか伝えないから」

「それだけでいいんですか?」

「うん。凄腕だからね」

 ますます怪しいんですけど……。

 でも現状、それ以外の手は思いつかないので、先生に……その人に頼ることにした。

「その人に会うにはどうしたらいいですか?」

「これから先生が連絡を入れれば、向こうが勝手に調べてくれる。それで何かわかったら、向こうから会いに来てくれるよ」

「そんな、申し訳ないような」

 頼むだけ頼んで、後は全部やってくれるなんて。

「ずっとそういうスタイルでやってる人だから、遠慮はいらないよ」

 先生に「学生なんだから甘えておきなさい」とも諭されて、俺はそれ以上突っ込んで聞くのを諦めた。


「じゃあ、よろしくお願いします」

 今この場に居ない『その人』と先生に向かって、頭を下げた。




 チャイムが鳴ったので、ナオヤを揺り起こしてみた。

「おい、いい加減起きろ」

「無理やり起こさなくてもいいよ」

 貝塚先生は優しい。でもこいつは甘やかしちゃいけないんです。

「う、うーん、もうたべられない……」

「テンプレ寝言ってる場合か!」

 額をペシンと軽く叩くと、ナオヤは一瞬顔をしかめた後、目を覚ました。

「あ、あれ? どうして俺ベッドの上?」

 鼻血を見て失神した、なんて言って思い出し失神されてはたまらない。

「プリント書きながら寝たんだよ。戻るぞ」

 有無を言わさない方向に舵を切った。

「お、おう」

 まだ寝ぼけたままのナオヤを半ば引きずりつつ、貝塚先生にお礼を言って保健室を出た。

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