第2話
駅の近くにある交番へ行くと、中年くらいのお巡りさんが親身になって話を聞いてくれた。
直接の被害者はナオヤだから本人に話をさせたら、ナオヤは自分が足を折られたことを、完璧に覚えていなかった。
それどころか赤黒い腕の話は一切せず、いたずら妖怪の正体をスネコスリではないかと自論を展開した。
「本当に足、なんともないのか?」
「おう。ちょっと汚れただけで」
俺が口を挟んでも、ナオヤは「そんなに心配するなよ」という顔で平然としている。
「お友達の言うことは尤もだよ。なにせ妖怪に触れられたのだからね。念の為、病院へ行ったほうがいい。何なら連絡を入れておくよ?」
「いや、本当に大丈夫なんですけど……でも行ったほうがいいんですかね?」
「どんな影響が出るかわからないからね」
「じゃあ行きます」
「うん。最寄りのところでいいかな?」
ナオヤが肯定すると、お巡りさんがスマホをすいすいと操作して、早速電話をかけた。一分ほどで通話を終えて、俺たちに病院の名前と場所、お巡りさんの名前をメモして渡してくれた。
俺とナオヤはお礼を言って交番を出た。
結果的に、病院では異常なしと診断された。
鏡のような道具を使って残留妖力というのを調べてくれて、足に何も憑いていないと太鼓判を押した。
本当に?
俺はまだ懐疑的だった。
*****
ナオヤが妖怪に襲われ、その記憶の一部を不自然に忘れてから早一週間。
授業は中学に比べて進みが早く、内容ももちろん難しい。まだペースに慣れないが、なんとか食らいつこうと今日も昼飯後に軽く予習や復習をする。
勉強に対して真面目な俺の前では、死んだ目をしたナオヤが机に突っ伏していた。
ちなみに座っているのはナオヤの席じゃない。
「ハク……英語……なにあれ……」
ナオヤは英語が苦手だ。中学の定期テストでは毎回赤点ギリギリを彷徨っていた。
「なにあれって、高校だからレベル違うのは当然だろう。ほら、英単語だけでも覚えろ」
「うう……お、obvious……?」
「『明白な』。覚えるまで読み上げながら繰り返し書け」
呪文のように繰り返される英単語と、それに続くシャーペンの筆記音。……これで総合成績は俺と似たり寄ったりなのだから、解せない。
「鳥飛くん、英語苦手なの?」
話しかけてきたのは、クラスメイトの女子だ。確か、
「ああ。他の教科はできるのに英語だけこのザマなんだよ。笑ってやってくれ」
「笑えないよぉ。私も英語苦手」
笑えないといいつつ、石髪さんは顔を綻ばせる。
「水為くんは英語得意?」
「いや、可もなく不可もなくってとこ」
「そっかぁ。ところで二人っていつも一緒にいるよね? 仲良いんだね」
「ただの腐れ縁だよ。中学の時から一緒で……」
ここで、それまで英単語をお経のように唱えていたナオヤが突然会話に参加した。
「おいおい、小学校からだろ!?」
「そうだっけ?」
俺は本気で疑問を呈した。小学生のナオヤって……どんなだったっけ。
「ずいぶん長い付き合いなんだね。私、小学校から一緒の友達いないなぁ。引っ越しで地元離れちゃったし」
石髪さんはニコニコと会話を続けてくれる。
珍しいな、俺と会話してくれる女子って。
俺とナオヤの間に割り込んでくる女子ってのは、大抵ナオヤ目当てで、俺は添え物だったことが多い。それ自体は別に構わないのだが。
「腐れ縁って面倒くさいだけだよ」
「ハク!?」
会話が続く珍しさから、俺は少し浮かれて斜に構えたような発言をしてしまった。
ナオヤが心底ショックを受けた、という顔で叫んだところで、予鈴が鳴り、そのまま会話と英単語会はお開きになった。
HRが終わって、帰り支度も終えた。
俺とナオヤは帰宅部だ。
ナオヤは中学の時サッカー部だったが、特に上手かったわけじゃないらしい。練習や試合を見たことないから知らない。
で、いつもなら俺の帰り支度をじりじり待っているナオヤが、今日は来ない。どういう風の吹き回しだろう。
教室の出入り口を見ると、ナオヤが出ていくところだった。
なんとなく追いかけてしまった。
「おい」
声まで掛けた。
「なんだよ」
ぶっきらぼうに応えるナオヤ。少し怒ってるな。
「どうしたんだよ」
「俺のこと面倒くさいんだろ」
「へ?」
間の抜けた声を上げてしまった。
もしかして、石髪さんとの会話の内容をまだ引きずってるのか?
……。
「だから、そういうところが面倒くさいんだよ……」
ナオヤが速歩きになった。悔しいが、足の長さが違うため俺は小走りにならないと追いつけない。
「悪かったよ。あれは言葉の綾ってやつで……へぶっ」
ナオヤが突然立ち止まるから背中にぶつかってしまい、変な声が出た。不覚。
ぶつけた鼻の具合を心配していると、ナオヤがくるりとこちらを向いた。笑顔だ。
「そうか! ならいいんだ!」
機嫌直るの早すぎるだろう……。
呆れる俺に気づかず、調子を取り戻したナオヤは続けて喋る。
「ハクはちょっと冷めてるからさぁ。たまに友情を確認しないと不安になるんだよ」
「めんどくさ……」
また言ってしまった。しかし、既に機嫌の直ったナオヤは大丈夫そうだ。
「そういうとこぉー! もっと俺を大事にしてよ! 自慢じゃないけど俺、友達あんまりいないんだよ!」
「そうだっけ? 初日に藤井寺と話してたのは?」
「あれっきりだよ!」
「って、なんで他に友達作らないんだよ」
「お前は幼馴染だからいいんだけど……それ以外はその……人見知りするんだよ」
「高校生にもなって人見知りって」
「お前だって友達いねーじゃん!」
そこを突かれるとつらい。だが……。
「俺はいいんだよ。一人でも平気だし」
今日はつい追いかけてしまったが、俺は友達を多く持ちたくないから、ナオヤがいるのだって多すぎるくらいだ。
俺は、大事なものをすぐに無くしてしまうから。
昔からそうだった。だから、ずっと一人で……あれ?
昔からって、いつからだっけ?
じゃあどうしてナオヤとは友達なんだ?
俺が思考の沼に嵌まっているのをよそに、ナオヤは尚も喋っていた。
「平気とか、そんな寂しいこと言うなよ。ほら、さっき話しかけてきた女子とかどうだ?」
「どうって何が」
「お前見た目はいいんだからさ、その気になりゃ彼女作れるだろ」
見た目……ナオヤに言われると惨めになるな。
「俺モテたことないぞ。それに彼女なんて面倒くささマックスじゃないか」
「さっきから面倒くさい面倒くさいって、面倒くさい星人か!」
「うるせぇ」
すっかりいつも調子に戻ったナオヤと歩いていて、ようやく気づいた。
「なぁ、ここ通るのか?」
この道はこの前、いたずら妖怪が出た場所だ。
あれ以来俺とナオヤは下校時、この道を避けて遠回りしていた。
「駅まで一番近いし。お巡りさんも巡回しますって言ってたし。っつか、毎朝登校で通っててなんともないだろ?」
朝は同じ時間に登校する生徒が多い。いたずら妖怪は人の多い場所には出にくいので、安心して通っていた。
「そりゃまぁ……でも、妖怪って巡回で防げるもんなのか?」
「さぁ。人の目が嫌なら、多少効果あるんじゃね?」
あたりを見回してみる。片側は民家の裏手、もう片側は町工場とか物流倉庫らしい建物が並んでいる。
俺たちの他に人はいない。見る限りじゃ妖怪もいない。
「ナオヤが怖くないならいいけど」
「俺は元々怖がってねーよ!」
俺が疑いの目を向けると、ナオヤは大きめの声で心外であることを訴えた。
「何疑ってるんだよ!?」
「ナオヤ声でかい。ご近所迷惑だぞ」
耳をふさいで煩さをアピールしたら、今度は無言になった。
というか、体も動いてない。
「おい、どうした?」
ナオヤは行く方向を見たまま固まっている。
そこには、全身が赤黒い、小さな鬼がいた。
右手首が不自然にぷらぷら揺れていて、目は明らかにこちらに敵意を向けている。
「なあ、あれ、やばくないか?」
鈍感なナオヤが怯えるほど、小鬼の雰囲気は尋常じゃなかった。
「スマホあるか? 通報」
「お、おう! えっと……」
俺たちがやり取りしている間に、小鬼はこちらへ近寄ってきていた。
背後、学校側へ逃げ道を求めて振り返ると、そこにも似たような小鬼が五、六匹。但し、そいつらの手首はちゃんとくっついている。
「囲まれてる!?」
「あのっ、妖怪に囲まれてて……場所はえっと、春陽高校の正門出て……」
いつの間にか、最初の小鬼の周囲にも別の小鬼が現れていた。
妖怪を乱暴に例えるなら、ゲームのモンスターだ。
九尾の狐、酒呑童子、ぬらりひょん等の誰でも知ってる大物はボスモンスター扱いで、基本的に一匹しか存在しない。
逆に、雑魚モンスターはいくら倒してもエンカウントするように、こういう小鬼や雑霊なんかは何匹でも存在する。
しかし、手首がおかしい小鬼は、明らかにナオヤを襲った腕だけの小鬼と同じ個体だろう。
小鬼の憎悪は、俺に向いている。
「ナオヤ逃げろ」
通話を終えたナオヤに声をかける。恨みをかってるのは俺だから、ナオヤはこの場に関係ないはずだ。
「はあ!? 何言ってるんだお前も逃げるんだよ!」
「あいつら俺狙いだ」
「何言って……」
一匹の小鬼が俺に向かって突進してきた。
ナオヤを突き飛ばして自分も避け、背後に回り込み、小鬼の背中を蹴りつけた。
小鬼は蹴られた勢いで背後にいた小鬼たちにぶつかり、そいつらを巻き添えにして倒れた。
思いっきり蹴ったとはいえ、想像以上に効いてくれた。
「よし、今のうちだ!」
俺に突き飛ばされてよろけていたナオヤの手首をがっしり掴み、小鬼の間をすり抜けて一旦学校方向へ逃げる。
それからぐるっと住宅街をまわり込み、駅まで全力疾走した。
全力疾走なんて体育の授業でも滅多にやらない。
ナオヤは元サッカー部なだけあって、体力は俺よりマシだ。とはいえ、状況が状況だけに余裕がなかった。
二人して駅前のベンチにべっちゃりと情けなく座り込み、しばらく何も言えなかった。
「撒けた……かな……」
「……だと、いいな」
駅前はいつものように人が多い。
そこにあるベンチを占領する、息も絶え絶えな男子高校生は目立つ。
俺は可能な限り全力で息を整えて、ちゃんと座り直した。ナオヤも似たようなことを考えたらしく、俺より少し遅れて居住まいを正した。
と、そこへナオヤのスマホがブブブと鳴った。
「はい。はい、そうですが……えっ!? いや、現に今こうして……ああもう! 春陽高校一年の鳥飛ナオヤです!」
ナオヤは電話に出るなり大声で自己紹介をはじめた。
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