腕なし妖しの後始末

桐山じゃろ

第1話

水為みずなし……水為……あったっ! 三組! よかったーまた一緒だな!」


 俺こと水為ハクの肩を片腕でガッチリと固定し、クラス分け一覧の前で大声を出しているのは、自称俺の親友、鳥飛とりいナオヤだ。

 ナオヤは目立つ。先祖のどこかに日本人以外の人種がいたらしく、全体的に色素が薄い。

 教師たちから染色を疑われ続けてきた髪は天然物の薄茶色で、瞳は青に近いグレーだ。

 背も高い。平均より低い俺の両肩や背中を、平均より高いナオヤがバシバシと叩く。


「痛い。声でかい。ほら教室行くぞ」

 さっきから女子の視線が痛い。

 同じ中学の連中はナオヤのことをわかっているだろうが、ここは高校で、中学とは地理的にも離れている。

 ナオヤを初めて見る奴が多いのだろう。

 あまり言いたくはないが、繁華街でモデルのスカウトに声をかけられるレベルのイケメンが、普通に騒いでいるのである。

 目立たないはずがない。

 対して俺は、黒髪黒目の平凡ルックスだ。

 目立ちたくない。


 ナオヤはどういうわけか俺に懐いているから、俺の言うことは七割くらい聞く。

 今回は七割に該当してくれた。

 俺がナオヤの肩バシバシを避けて教室のある建物へ向かうと、ナオヤもついてきた。


「いやー、ハクが同じクラスじゃなかったらどうしようかと思ったよ。俺、人見知りするからさぁ。同じ中学の奴ってあんまりいないもんなぁ、この高校」

「声のボリューム落とせないか?」

「ハクって理系だよな? 文理でクラスが分かれる二年以降も安泰だな!」

 七割の確率に勝ち「教室へ行く」には成功したが、「声の大きさ」に関しては三割側だったらしい。

 教室についてからも、指定された席には座らず、俺の席の横に立って外と同じ音量で話しかけてくる。

 また視線が痛い。

「お前ちょっとは静かに……」

 ナオヤは明らかに俺に話しかけているので、放置していたら俺も同罪にされてしまう。再三注意しようとすると、教室に担任であろう教師が入ってきた。

 そこでようやくナオヤは黙り、自席についた。


 高校入学初日から、なんだか疲れた。




 担任からの挨拶と、順繰りに自己紹介が終わった後。

 あとは帰るだけと思いきや、担任が「最後にひとつ」と付け加えた。


「最近このあたりで『いたずら妖怪』が頻出している。見かけても『見ない、触れない、気にしない』でやり過ごすように。万が一被害に遭ったら学校か、最寄りの交番に届けること。……よし、今日は以上だ」



 世の中には『妖怪』というものが明確に存在する。

 大昔は人を襲う妖怪がたくさん居たそうだが、中には人間と恋に落ち、子をつくる猛者が現れた。

 その結果、人と妖怪の間の子や更にその子孫、つまり妖怪の血をひいた人間――『妖人ヨウジン』が、人の社会に混じっている。

 現に、入学式で生徒の中に数人、教師の中にも一人見かけた。

 生徒の方は背中から鳥の羽が、教師の方は額に短い角が二本生えていた。

 妖人、と呼称されるようになる前は『半妖』と呼ばれ、人でも妖怪でもないとして差別を受けていた時代を経て、今は妖人にも一定の人権がある。というか、俺は妖人と呼ばれるようになった時代しか知らない世代だ。


 担任の言った『いたずら妖怪』は、その名の通り人間にちょっとしたいたずらを仕掛けてくる純粋な妖怪だ。

 姿は見た人によって若干異なるものの、概ね小さな子供くらいのサイズで、肌は赤黒く、裸にボロ布を腰巻き代わりに巻きつけただけ、といった姿をしている。


 普段は担任が注意などするまでもなく、対処方法くらい幼稚園児でも知っている。

 それでもこうやって注意される程、最近の妖怪の様子はおかしい。


 いたずら妖怪のいたずらで、人が怪我を負ったという事件が頻発している。


 怪我の程度は今の所軽傷で済んでいるとはいえ被害者が多く、毎日交通事故より高い確率で誰かが遭遇している計算になる。

 当然由々しき事態として国レベルで対策を講じているが、目立った成果はない。


「この辺りにも出るのか……。ハク、早く帰ろうぜ」

 ナオヤが当然のように俺の席へやってきて、下校を促す。

「お前……。まぁいいか」

 ナオヤの背中には、クラスメイトになった女子の視線がざくざく突き刺さっている。

 しかしこの野郎は全く気づかない。

 人見知りの前に、鈍感を直せ。

 俺が言葉を飲み込んだことにも気づかないナオヤは、俺が歩き出すとその横に並んだ。



「他のクラスメイトと話したか?」

「隣の奴とは少し喋ったぞ。ええと、藤井寺ふじいでらっつったかな」

 自己紹介タイムの時に、野球場みたいな名前だなと思ってた奴だ。たしかに居たな。

「よし、友達できたな。じゃあ俺はお役御免ってことで」

 ナオヤに友達ができたなら喜ばしいことだ。むやみに付きまとわれずに済む。

「何でだよぉー。っつか、先生がどのプリントの話してるかわかんなくなったから訊いただけだって」

「十分だろ。明日から藤井寺に付きまとえ」

「迷惑かけちゃうだろ」

「俺にはいいのか」

「俺とお前の仲じゃないか」

 くだらない話をしつつ、学校の正面の道を、最寄り駅へ向かって歩く。


 違和感に気づいて足を止めると、ナオヤも止まった。

「どうしたんだよ」

「今、何時だ?」

 入学式は朝イチで終わり、ホームルームも一時間と掛からなかった。昼前のはずだ。

 ナオヤが鞄からスマホを取り出し、時計を確認する。

「ん? えっと、11時……10分だ。電車の時間なら余裕が」

「じゃあどうしてこんなに薄暗いんだ?」


 今日はよく晴れている。今も空には雲ひとつ無い。

 だというのに、辺りの景色は黄昏時という言葉がしっくりくる。


「てっ!」

「? ナオヤ?」

 左隣にいたはずのナオヤが変な声を出して消えた。いや、すっ転んで地面にうつ伏せに倒れていた。

 立ち止まった状態から、どうやって転ぶのか。

「何して……なんだ、これ」

 しかもうまく立ち上がれなさそうなナオヤに渋々手を貸そうとして、それに気づいた。


 ナオヤの右足首を、赤黒い手が掴んでいる。


 赤黒い手は肘のあたりまでしかなく、その先につながっているはずの胴や頭など、他のパーツは無い。


 間違いなく、いたずら妖怪だ。


「大丈夫か? 落ち着け。一旦深呼吸して……」

「う、ぐ、あああっ」

 妖怪の対処法で一番効果的なのは、妖怪の存在を無視すること。

 知識として叩き込まれてはいたが、実際に触れられていては、完全に無視するなんて無理な話だ。

 ナオヤを落ち着かせ、お前はただ転んだだけだと諭しても、ナオヤは次第にずるずると、赤黒い手に引きずられはじめた。

「ナオヤっ!」

 無視しなくてはいけないものである妖怪の腕には触れられない。ナオヤの右足を掴んで、赤黒い腕と逆の方へ引っ張る。

「い、痛いっ!」

「少し我慢しろ」

「痛てててて! いい、放してくれ、ハク!」

「でも……!」

 俺が狼狽えて手の力を緩めた瞬間、赤黒い手は更にナオヤを引きずった。

 地面はアスファルトだ。ナオヤの新品の制服のボタンがブツブツとちぎれ飛び、抵抗するために力を込めている指から血が滲む。


「くそっ」

 無視とか言っている場合じゃない!


 俺は赤黒い腕を直に掴んだ。

 太めの枯れ枝を掴んだような感触に、気持ち悪さを感じる生暖かさ。

 全身に鳥肌が立った。

 だが、この程度で怯んでいては、ナオヤが。


 気を取り直した瞬間だった。


「ぎゃああ!」


 ごぎゅり、と嫌な音がして、ナオヤの足首から血が滲んでいた。


 折ったのだ。赤黒い手が、ナオヤの足を。


 ナオヤは口から泡を吹いて気絶した。それでも、赤黒い腕はナオヤを離さない。



 頭に血が上った。それ以上に、自分でも得体のしれない何かが、腹の底から湧き出てきた。



 赤黒い腕を強く強く握りしめる。

 枯れ枝みたいな腕が震えた。

 ナオヤの足は離そうとしないくせに、俺の手からは逃れようと藻掻いている。



 許さない。

 ナオヤを……俺の唯一の友人を傷つけておいて。



「おうほうを、かのかいなにこごえを」

 自分の口から言葉が勝手に出てきた。

 ぶちんと何かを千切った実感。

 獣が哭くような声がして、ちぎれた赤黒い腕が地に着く前にフッと消える。

 それから、気を失ったままのナオヤを見下ろして、足に……。






「げっ、新品の制服が……。破れて……ない! あー、よかったー。不幸中の幸いだな」

 ナオヤが膝のあたりをぱんぱんと手で払いながら、俺に尋ねてくる。


 俺とナオヤは何事も起きなかったように、学校から駅へ向かう道を歩いていた。


「ナオヤ、お前足は? 歩けるのか?」

「うん? ちょっと痛かったけど、平気平気。歩けるかって、大げさだなぁ」


 折られたはずのナオヤの足は、綺麗なままだった。

 アスファルトにこすれて弾け飛んだ制服のボタンも元通りだ。


 景色は、ちゃんと真昼の明るさになっている。


「妖怪は!?」

「もう消えたんじゃね? これ、学校に報告したほうがいいのかな。あと警察と……面倒くさいなぁ。……どうしたんだよ、ハク」

 辺りをキョロキョロ見回す俺に、ナオヤが訝しげな声をかけてくる。


 いや、おかしいのはナオヤの方だろう?


 あの赤黒い手は何処へ行ったんだ?


 それを訊こうとすると、頭の中に靄がかかった。

 今聞くべきではない。ナオヤが無事でいるなら、いいじゃないか。

 確かにそうだと自問自答して、俺は言葉を引っ込めた。


「報告の時は一緒に来てくれよ。俺、直接見てないからさ。多分スネコスリだろ?」

 ナオヤは器用に片足で飛び進みながら、もう片方の足のあたりを尚もパシパシと払う。

「あ、ああ。そうだな。そんな感じだった」


 そうだ。害のない妖怪はともかく、人間を傷つけるような妖怪のことなんて、考えないほうがいい。


「駅前に交番あったよな。まずはそこだ」

「ついてきてくれよな」

「わかってる」




*****




 二人をはるか上空から、見守る男がいた。

 常人では視認できない距離だが、男には二人の様子がはっきり見えていた。

 一つにまとめた長い銀髪と長身、そして爽やかに整った顔が目を引く細身の男だ。

 ラフなシャツとジーンズ、その上から羽織をふわりと肩にかけているのが、様になっている。

 しかし普通の人間の倍は長い耳が、その男は妖人であると示していた。


 いたずら妖怪がナオヤの足を引き怪我を負わせた一部始終を知っているのは、ハクと、この男のみ。


「しばらく様子見かな」


 誰ともなくつぶやき、男はフッと姿を消した。

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