星とカクテル、そして煙草と
明日乃鳥
「星とカクテル、そして煙草と」
「低い声の女性、僕は好きですよ」
タイキという青年はいつも通りのタイミングで話を切り出した。
「酒と煙草のせいだよ。何も良いもんじゃない」
彼女もいつも通りに返した。
「煙草は声に艶が出る」
午後11時50分、店主がロールカーテンを下ろして閉店の準備を始める。
「そうだといいけど」
空になったグラスを少し持ち上げてからコハクは立ち上がった。前下がりに切りそろえられた横髪が前に流れてその表情を隠す。そもそも表情なんて彼女にはないのだけれど。
タイキも席を立って、開け閉めすると鈴の鳴る扉から外へ出る。
「君も吸えばいいじゃない」
コハクは喫茶クレイと味のある字体で書かれたマッチ箱から1本を取り出し、咥えた煙草に火をつけた。
細長い煙草は彼女によく似合っていた。
「僕に煙草は似合わないですから」
体も細く、色も白いことをタイキは自覚している。そんな人間に煙草は似合わないことも。そして第一にタイキはまだ19歳だった。
「よく分かってるね。君には似合わないよ、煙草もここも」
コハクは白く甘い煙をはく。
それを真似するようにタイキも白い息を吐き出した。
「夜が長くて暇なんですよ」
街灯の少ない裏路地では星がよく見える。
「私なんかと話すなんて相当な暇人だな」
「ええ。コハクさんと同じで相当な暇人です」
煙草はすでに3分の1が燃え尽きている。
レンガの壁にもたれてゆっくりと言葉を交わす。いや、交わすなんてたいそうなものでもない。ただ空白を埋めるための言葉の羅列だった。
「大学生ならもっと遊んだほうがいい」
視線が交錯する。切れ長でなんでも見透かすような黒い瞳をしている。
「十分遊んでいますよ」
この変わらない毎日こそタイキにとってサークルの集まりや交友よりも遥かに刺激的なものだった。
「明日も来るの?」
半分になった煙草を溶け残った雪に埋めて火を消した。ジュッという小さく切ない音は線香花火に似ている。
「もちろん。まだまだ夜が長いですから」
「そうか。明日はいないと嬉しかったんだが」
火の消えた煙草を拾い上げ、携帯灰皿にしまう。
2人の会話はここで終わる。それが暗黙のルールだった。
カクテル3杯では全く酔わなくなったタイキは確かな足取りで彼女と逆方向へと歩き出した。
カーテン越し、2つの人影が消えてから店主は照明を消した。
*
今日も今日とて、喫茶クレイのカウンター右端に座って同じカクテルを頼む。時刻は10時過ぎ、何も変わらないことを吉として生きるタイキだったが今日ばかりは少し気分が沈んでいた。
今日はタイキの二十歳の誕生日であった。一般的には祝福されるその日も誰と会話することもなく、全く変わらぬ一日であったことに少し感傷的になっていた。
「はい。ごゆっくりとお飲みください」
青い色の液体を照明に透かしてみたりとすっかり気分に浸ったタイキは髭の立派な店主のいつもと違う言葉に気がつかない。店主は酒を出すとき決まって「はい。ごゆっくりどうぞ」というのだ。
コハクはいつもと変わらぬ位置に座っている。カウンター左端から2番目。初めて見る男に話しかけられていた。
グラスに口をつけ、古い洋楽に耳を澄ます。レコードのノイズが少し大きい。
昼間は気さくに客へ話しかける店主も夜は無口なバーテンダーになる。
コハクに話しかけていた大柄な男は肩を落として11時過ぎには店を出ていった。
裏通りのさらに裏にある喫茶クレイの夜の顔。まともな人ではたどり着けない。
店内は三人だけになった。
いつもの時間にはまだ早い。腕時計をちらと見てからもう一杯カクテルを頼んだ。
「はい。ごゆっくりどうぞ」
3杯目。体が暖かくて意識が朦朧とする。いつもならばもっとも活動的になる時間だというのに。
肩を叩かれて頭をあげた。自分が寝ていたということに気付いて時計と周囲を急いで見回した。時刻は11時50分。ロールカーテンは下りてレコードも止まっている。カウンターには、まだコハクがいた。
「すみません。眠ってしまっていました」
店主は優しく微笑んでカウンターへと戻っていった。
今日ばかりはいつもの件をやるのも恥ずかしくてそのまま店を出ようとする。
「低い声の女は好きじゃないか?」
半開きになった扉から冷気が入り込んでくる。
「好きですよ。とても」
「なら1本付き合ってくれ」
コハクは箱ごとこちらに差し出した。
「外でなら」
「こだわりの多い男だな。君は」
かごに入ったマッチ箱をポケットに入れ、店を出た。
「寝起きじゃ風邪ひくぞ」
そう言いながら箱をよこした。一本を抜き取り口に咥える。
マッチを擦り、慣れない手つきで火をつける。火薬の匂いが鼻についた。
ゲホッゲホ
吸い込んだらものすごい勢いで咽せた。
コハクは腕を組み、ゆっくりと煙をはく。
「ほんの少し口に含んでそれを飲みこむ」
言われた通りに少しだけ口に含み、それを飲み物でも飲むようにしてあっけなく咽せた。
「やっぱり君には似合わないな」
めずらしく少し口端を上げて笑っていた。
煙草がかなり短くなるまで話し込んでいた。そのせいか0時を告げる鳥のさえずりが扉越しに聞こえてきた。
「そろそろ帰ろうか」
何度挑戦しても結局おいしさを何も味わえなかった煙草を雪に埋めて消す。
コハクはいつもと逆方向。つまりタイキの帰る方向へと歩き始めた。
「凍死されても困るからな」
2つ並んだ人影が立ち去るのを見届けて、店主は明かりを消した。
星とカクテル、そして煙草と 明日乃鳥 @as-dori
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