クローバーの花言葉
ままかり
クローバーの花言葉、実は”幸せ”だけじゃないんだよ。
少年と少女が、海辺で戯れている。
仲良しの兄妹二人は、幸せだった。
もう、幸せなあの頃には戻れない。
どんなに願っても、その願いは叶わない。
なぜなら、妹は魔界に連れ去られたのだから。
妹にはもう会えない。
そう思っても、妹がまだ生きているのではないかという願望にも似た観念が、俺を突き動かした。
"魔界から妹を取り返したい。"
そんな、勇者にそぐわない個人的な理由で、いつしか俺は勇者になっていた。
"勇者様はきっと魔王を倒してくださる"
"我々を恐怖から救い出してくれる"
"勇者様ならきっと、諸悪の根源たる魔物を根絶できる"
いつからか、周囲の期待が重く感じられてきた。
妹を助け出すため、俺は勇者になった。
勇者になるということが、こんなにも重く苦しい責任を伴うことなど、知る由もなかった。
…
……
………
『勇者様、勇者様。』
『起きてください、勇者様。これからの戦いに向けて英気を養うのは大切なことですが、もう馬車は目的地に着きましたよ。』
「ああ…すまない、賢者さん。起こしてくれるのは助かるが、念話で脳内に直接話しかけるのはやめてくれ」
「……っと、これはすみませんね。…しかし、いよいよ正念場なのですから、気を引き締めて頂きたいですね。」
「はは、それもそうだよな…」
まったく、と腰に手をあてて頬を膨らませる賢者。
見かけは少女だが、聞いたところによると、自身の開発した魔術により老化と成長が停止しているだけで、かなりの長寿であるらしい。
詳しいことは分からないが、家名は口にすることさえ禁忌らしく、たとえ彼女に親しいものでも誰一人として知るものはいない。
それと、勇者一行に代々引き継がれる慣習として、自らの名前を公の場で口に出さないということになっている。
とある代の勇者に恋をした魔道士が、名前を明かした次の夜に数多もの魔獣に貪り食われて死んでしまったため、というのが理由らしい。
「そうですぜ勇者の旦那。あんたがしっかりしてくれなきゃ、全体の士気が下がるじゃねぇか。」
「拳闘士、貴様は勇者様に余計な負担をかけがちだということを自覚したほうがいい。それに我々は4人の集まりだ。全体というほど多いわけではないだろう」
「弓兵…お前は、その頭で考えてもこのままの空気ではよくないってことが分からないのか?」
「そこまでです。味方同士で争って何になるのですか。準備もできたことですし、ひとまず出発しますよ。」
ソフィアの言うとおりだ。俺も、仲間同士でぶつかり合っているのは見ていられない。
それに…今回の敵は、そんな無駄な消耗なんてしていられる相手ではない。
相手は魔王。勇者が達成しなければならない最も重要な任務目標だ。
…
……
………
「ここが……魔王城……」
「旦那、ここにきてビビってるのか?なら俺様が先に行かせてもらうぜ」
「拳闘士、勝手に先行しようとするのはやめなさいと以前から…
…しかし、変ですね。」
「魔物の類の気配が一切無い。」
「今までの砦だったら門番がいたのに、今回は居ねぇしな。なんだか妙だ」
……確かに。
なんだろうか、不気味に感じる。
これは、嵐の前の静けさ……?
今はまだ、何もわからない。
だが、今はとにかく…
「…気を引き締めて行くぞ」
「了解」「当然だ」「はい!」
………
……
…
……結局、あっさりと最奥部と思しき部屋の扉の前まで来てしまった。
「…勇者様、くれぐれも最後まで油断しないように。」
小声で耳打ちする賢者。
「わかってる」
ゆっくりと扉を開ける。
「「…!!」」
強烈な妖気が、扉の隙間から流れ込んでくる。
扉の奥にいたのは、比較的軽装な部類の鎧に身を包んだ、魔王その人。
魔導書に栞を挟んで閉じ、こちらを一瞥する。
兜越しの視線さえ、圧し潰されるような重圧を感じさせる。
その圧倒的な風格は、何も語らずとも俺達を威圧するのに十分だった。
『…
……
……………久し振り』
「悪いな魔王、俺様はアンタのことを知らねぇし、勇者様も───」
刹那、拳闘士の左腕が宙を舞った。
「がっ……ああぁ………!」
腕の切断面から血が噴き出し、彼の足元には血溜まりができたが、賢者の回復魔法で出血は抑えられた。
『……五月蠅い。今すぐ黙れ、さもなくばもう片方の腕も飛ぶことになる』
全く見えなかった。一体何が起きたのか、彼が何をされたのか全く理解できない。
ゆっくりと、こちらに視線を移す。重圧や殺気を覚悟して身構えたが、その手の圧は感じられなかった。むしろ、どこか懐かしい...?
『……………久し振り、"お兄ちゃん"。』
え?
魔王の発した言葉に、耳を疑った。
魔王は何と言った?
お兄ちゃん?
確かに魔王は"お兄ちゃん"と言った。
兜をかぶっていても伝わるほどしっかりと、俺の目を見据えながら。
俺は誰の兄だ?
忘れることなどない。
ただ一人、しかし魔界に連れ去られた妹の兄。
「…!駄目です!勇者様、耳を傾けては────」
『…言ってなかったかな、お兄ちゃん以外は黙っていてほしい』
「う…ぐ……っ」
魔力を吸い取られているのか、みるみるうちに賢者の体から力が抜けていった。
『お兄ちゃん…なんで、そんなに怖い顔をしてるの?…ほら、私だよ。会いたかったでしょう…?』
兜を脱ぐ魔王。零れ落ちる綺麗な髪。いつも少し眠たげな瞼から覗く、赤い瞳。
そこにあったのは、紛れもない、生き別れの妹の顔だった。
兜の中でくぐもっていた声も、ひとたび兜を脱げば妹のそれだった。
禍々しい色の大きなねじれ角が生えていることを除けば、どう見たって正真正銘、妹その人である。
"なるほど…素晴らしい力だ。...だが、顔を晒したのは愚策だったな"
魔王──妹?目掛けて、矢が飛んでくる。
だが、
『…黙れって、言ったはずだけど』
「ぐっ……!?あ…あぁぁ…!!」
彼の矢が獲物の肉を貫く音と同じ音が、無数に届いてくる。
思わずその方向を見ると、彼の体が見えなくなるほどの数の矢が、悲鳴を上げることすらかなわなくなった彼の体に突き刺さり続けていた。
「よくも……よくもぉぉぉ!!!」
『…はぁ…馬鹿は死ななきゃ治らないのか…』
再び飛びかかった拳闘士は、彼女の魔剣によって細切れな肉塊へと変えられた。
賢者は…不老の魔法を維持する魔力どころか生命力さえ絞りつくされ、見るも無残な姿に変わり果てていた。
『......まったく、愚かだね...黙っているだけで、死ぬことはなかったのに。...ふふっ、でもこれで、やっとふたりきりになれたね、...お兄ちゃん…?』
「…俺の妹は……こんなことをしない…!もしお前が俺の妹だったとして、お前はもう妹じゃない……!」
怒りがこみ上げる。
奴が妹じゃなかったなら、妹に対する冒涜だ。
逆に妹なら、彼女をこんな人でなしに変えた存在が許せないし、なにより妹を守りきれなかった自分自身が許せない。
『…
………
……………………………そう…残念だね……......ふ...ふふ...
…あは……あはは……!あははははははは!!だったら、殺しなよ。殺してみてよ。お兄ちゃんに認められないなら、私に生きる価値はない…だから、認めたくないなら、認められるようになるまで………全力でぶつかってきてよ…!!』
許せない。認めたくない。信じたくない。堪えられない。
妹を助けたくて立ち上がった勇者は、
何よりも助けたかった妹に刃を向ける。
………
……
…
「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」
「どうしたんだ?」
「見て、四つ葉のクローバーだよ!外で見つけたんだ♪」
「へぇ…ほんとに、葉っぱが4つあるんだな…」
「幸せを運んできてくれるんだって〜。」
「…そうなんだ... …なぁ、お前にとって幸せって何なんだ?」
「…うん…?私にとっての幸せ?………う〜ん…よく分かんないよ…お兄ちゃんと一緒にいられるだけで…それだけで、私は幸せだから」
幸せな日々を過ごしていた頃の追憶。
幸せ…俺も、妹と過ごせていた頃が一番幸せだった。
でも妹は魔界に連れ去られ、離れ離れになって、やっと会えたと思ったら、勇者の立場上倒さなくてはいけない魔王になっていた。
妹がそれだけでいいと言っていた幸せ一つ守ることすら、俺にはできなかった。
何が勇者だ。何が兄だ。不甲斐ないこと、この上ない。
涙が頬を伝う。
柔らかな指が、そっと拭ってくれる。
『辛そうな顔して涙流して、どんな夢見てるの、お兄ちゃん……』
頭上から降り注ぐ木漏れ日のような声音が、髪を撫でる手付きが、魔王になっても褪せない、彼女の心根の優しさを表している。
俺は負けた。
負けて気を失って、その上戦った相手に膝枕までされている。
「なぁ…俺はどうしたらいい…勇者は魔王を倒さないといけない。でも、魔王の正体は生き別れた妹で、しかも勝ち目がなくて…」
『…ふふっ』
「なんで笑うんだよ…」
『...別に?相変わらずだなって』
「なにが」
『…お兄ちゃんは相変わらず、目的と目標をごちゃまぜにしがちだよね』
「………」
心当たりはある。昔から注意され続けていたことだ。
『お兄ちゃん、勇者が魔王を倒す目的は何だった?』
「…世界を、みんなを救うためだ」
『…そう。あくまでも、魔王を倒すのはそのための目標に過ぎない。魔王が人民を苦しめているから、その苦しみから皆を救いたい、そうでしょ?』
「…なら、必ずしも倒す必要はない、ってこと...?」
『正解。魔王である私が人間との接触を断てばいい。
...私ね、人類共通の敵を作りたかったんだ...人間同士で争って、傷つけあってほしくなかった。共通の敵ができれば、人間同士で争う余裕がなくなるでしょ?そして、必要最低限の"危害"を加える程度に留めれば、人間は必要以上に傷つかなくて済む。共通の敵を倒すために協力して、文明を発展させられる。きっと幸せになれる...ってね』
そんな経緯が、考えがあって、悲しい自己犠牲を今までずっと…
俺が周囲におだてられ、のうのうと暮らしていた間も、妹は、今はもう仲間ではなくなった人間のためを思って…
妹には敵わない。離れ離れになる前からずっとそうだった。兄妹喧嘩でも、言論でも、勝った試しがない。
『…それに、お兄ちゃんも私に会いたかったでしょ?私が魔王になれば、勇者になったお兄ちゃんはいずれ、会いに来てくれる。それだけの強さにならなかったとしても、立ちふさがる邪魔者は、強くなった私が全部、片付けたらいい。』
つまり…旅の途中から、倒せないほどの強敵に出会わなくなったのは、強くなったからじゃなかったということか…
『会いたかったよね?知ってるよ、お兄ちゃんが勇者になった理由。いくら傷ついても諦めない理由を知った日には、もうドキドキが止まらなくて全然寝付けなかったな…』
「あぁ…会いたかった。もう、会えないのかと思ってた…」
だが、妹の思いは多分、いや間違いなくそれ以上のものだ。恍惚とした表情、という表現が正しいかは分からないが、そんな表情で止めどなく、ほぼ一方的と言っていいほどに喋り続けている彼女を見れば、それは火を見るより明らかであろう。
『良かった…本当に良かった……
私、お兄ちゃんとずっと一緒にいたい。魔王と勇者が一緒にいられるには、どうしたらいいか…って、ずっと考えてたんだ。』
次の言葉を待つ。
俺自身、妹と一緒にいたいわけだし、彼女の判断に従うのが最善だろう。
『遠くに逃げよう?誰の目にもとまらない、どこか遠くに。私、いい場所知ってるよ。
─────それに、もう時間がない。』
「?...それってどういう…」
『ほら、城の周りを見て。』
「!!......嘘、だろ…………」
そこに広がっている光景は、城を取り囲む無数の兵隊が織りなした、人の海。
素人が見たとしても、桁違いの規模の大魔法とわかる魔法陣が、城を中心に展開されている。
「なんで…」
道行く旅人が言った。
"勇者様、勇者様。我々を救ってください。"
『分かるでしょ、お兄ちゃんは最初から、奴らにとっては囮役だったってこと。』
修道士が言った。
"私達は勇者様のことを信じています。きっと魔王を討ってくださると。"
「信じていたのに…」
『はじめから、お兄ちゃんごとアレで消し飛ばすつもりだったってことだよ。』
「くそ……せっかく会えたってのに……」
こんなところで終わるのか。
最初から全部、奴らの陰謀だったというのか。
尊い犠牲だとか言って、美談として語られるのか。
『大丈夫だよ、お兄ちゃん。私を信じて』
差し伸べられた手を握る。
その手は柔らかく、暖かく、とても魔王とは思えなかった。
胸に抱き寄せられる。その優しい抱擁は、妹が女神であるかのように感じさせた。
大魔法による巨大な火柱が、城を焼き尽くそうとする。
その寸前、まばゆく白い光が二人を包み込んだ。
気がつけば、俺は原っぱに仰向けに転がって、空を見上げていた。
『どう?ここ。私が頑張って作った、クローバーの花畑だよ。』
「ははっ、まるで、いつかみたいだな」
『そうでしょ?気分だけでも、あの頃に戻りたいなって思ってさ。お兄ちゃんもそう思うでしょ?』
「なんでもお見通しだな、お前は。どれ、」
いつか彼女がそうしてくれたように、四つ葉のクローバーを探し始める。
そして気づいた。
「なあ…これ、全部、四つ葉のクローバーなのか…?」
『ふふっ…そうだよ?お兄ちゃん、四つ葉のクローバーの花言葉って知ってる?』
「当たり前だろ、"幸運"だよな?」
子供でも知ってることだろう、何を今更そんなことを聞くのだろうか。
確かに、妹にまた会えたのはこの上ない幸せだが。
『もう一つ、あるんだけどね…?』
「そうなのか…」
妹は本当に博識だな…
『………ふふっ…お兄ちゃん、"私のものになって"。』
四つ葉のクローバーでできた花輪を俺の頭に載せ、妹は俺を抱きしめる。
『これからは…ずっと、ずぅっと一緒だよ。お兄ちゃん。』
クローバーの花言葉 ままかり @SSeabass
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