三月七日

 白い紙を前にして、深呼吸を一つ。幻に思いを馳せる。

 ローズのほのかな香り。濃くはないそれが少し物足りない。好きな匂いはオレンジなどの柑橘系。床に置いたキャンドルの橙の炎の下には、青のイルカが二頭。ゼリーの海に溺れている。

 私はまだペンを走らせている。一度は胸の奥にしまい込んだ筈のペンを。なぜだろうか。

 涙を流した日も、笑い疲れた日も、何でもない日も。いつでも私はペンを握っていた。美しいものも、醜いものも、黒のインクに乗せれば霧散してしまう。それが嬉しくて、同時に哀しくもある。私はものを書くのが好きだ。全てを覚えながら忘れていられるから。


 真夜中。朝陽を怖れる夜の住人として、今夜も私は生きている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る