海を知る少女

 少女は盲目だった。それは生まれつきのもので、両親はそんな彼女を疎ましがっていた。2222年の社会では、ジェンダーや人種、国籍以上に、遺伝子的優性が重視される時代だったからだ。だから両親は、コンクリートで覆われたスクラップ置き場へ彼女を遺棄した。介護用アンドロイドP-360に彼女の養育プログラムを設定したのは、せめてもの親心だったのだろう。そのアンドロイドの性能は極めて高く、人間と比べても遜色のない精神的電子回路を備えていた。感情を理解し、自らもそれを発露する事ができた。顔に取り付けられたアイ・センサーは権利者に対し有害となるものを感知し、即座に対応できる超高性能パーツだ。しかし、ロボット三原則に則り、決して人間を傷つけない。アンドロイドは人類の理解者であり、保護者であり、友人だった。

スクラップ置き場は落伍者の集まりだった。その中で、少女はすくすくと成長した。劣悪な環境にも関わらず、純真無垢に育った。生活に必要な作業の全てはP-360が行っていたし、彼女は優れた人間が本来受けるはずの養育プログラムを彼から享受していたからだった。

彼女は様々な知識をスポンジのように吸収した。空のこと、山のこと、海のこと……。彼女はその話を聞くのが好きだった。

「わたし、あなたのお話を聞くのが好きよ。だってとっても面白いもの。ここの人たちは世界のことなんかちっとも教えてくれないの。だからわたし、あなたがいてくれて、恵まれてるわ」

 埃と錆の舞う風の中、彼女はそう言った。

ありがとう。そうP-360は返答する。彼から発生する合成音声は、人間に安心を与える周波数を備えていた。

 P-360は彼女が自分を信頼してくれることを誇らしく思っていた。この小さな少女を守り、育むことが自らの存在意義であると理解していたからだ。たとえプログラムされた使命であったとしても、それを実行し続けることに喜びさえ覚えていた。耐用年数が尽き、その体が錆と傷で風化し、周囲にある無数のスクラップの一つになるまで。

スクラップ置き場の住人たちは、そんな二人と関わろうとしなかった。大多数は自分が生きていくので手いっぱいだったし、余裕のあるものも、人生の底のようなこの場所で、あまりにも無垢な彼女を汚してしまうことを恐れたからだった。彼女はだんだんと、希望のシンボルとして捉えられるようになっていた。人々は遠巻きに、彼女らを拝むようになっていった。P-360はそれを認識していたが、実害が及ばないため放置していた。そのために、彼女は自らが担ぎ上げられている状況を知ることはなかった。


男は自分がスクラップとともに生活することを不服に感じていた。そうなった原因は会社の業績悪化と、社会のセーフティーネットが薄いことにあると考えていたからだ。俺は悪くない。お前たちとは違う。その考えが彼をより一層孤立させていた。

しばらく暮らしていると、ある少女が通るたび、手を合わせている人間がいるのに気づいた。不思議に思った彼は、拝んでいた老婆に話を聞くことにした。

「おい、あんた。なんだってあんなガキをありがたそうにしてるんだ。」

 そう聞くと、老婆は遠い目をしながら答えた。

「あんた、ココへ来てまだ日が浅いようだね。慣れてくればわかるさ。あの子は天使なのさ。この汚れた場所で唯一美しい、私らにとっちゃ救いなんだ。こんな場所でも花は咲くんだってね」

 くだらない、と男は思った。壁の向こうにいくらでもこんなガキはいる。それを知らないのか。幻想にすがって生きている住人たちを、男は一層軽蔑した。あのガキの化けの皮を剥いで、現実をこいつらに見せてやろう。

男は少女を追った。少女はアンドロイドと話している最中だった。男はそれを遮って問いかけた。

「おい君、君はなぜこんなところにいるんだ。こんな高級そうなアンドロイドと一緒にさ。はっきり言って場違いだぜ」

 それを聞いた少女はきょとんとした顔で男を見た。

「そんなこと言われても困っちゃうわ。だって気づいた時からここにいるもの。」

 男はそれを聞いて、にやりとほくそ笑んだ。知らないのであれば、俺が好き勝手に言ってやろう。

「君の両親、どこかで死んじゃったのかい?それとも君は捨てられたんじゃないかい?その高級アンドロイドがその証拠じゃないか。そうさ、きっと君は捨てられたんだな。なんてかわいそうに!」

 男は厭味ったらしく声を大にして言う。

 少女はそれを聞いてふわりとやわらかい微笑みを浮かべた。

「あら、そんなの関係ないわ。だって私にはP-360がいるんだもの」彼女は続ける。

「彼のおかげで私はなんでも知っているのよ。あなた、海って知ってる?海はぜんぶ水なの。しかもしょっぱい水なのよ!何処までも広がっているんだから」

 自慢げに話す少女の横で、P-360は満足そうに笑みを浮かべていた。コンクリートの壁に描かれた海の絵を、アイ・センサーに映しながら。

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