宇宙歴史博物館
男は疲れ切っていた。このところ仕事に追われ、休み暇も全く無かったからだ。男はライフラインの整備工をしていた。今の部署に移動して数か月、男は既に後悔していた。木星は、ライフライン管理の厳しさが地球の比ではなかったからだ。忙しいとは聞いていたが、ここまで激務だったとは。男の体は肉体敵・精神的休息を必要としていた。しかし、男のいる木星は本来ハビタブル惑星ではない。そのため、居住区は小さく限られ、その中に人口が集中していた。男は元来研究者気質で、人との接触は彼に少なからずストレスを蓄積させていた。
男はこの騒がしい町で、一人になれる場所を探していた。大通りを歩いていると『宇宙歴史博物館あります。この路地を徒歩3分』という看板を見つけた。博物館、小さいころに何度か行ったことがある。子供のころはその静かで重厚な雰囲気が苦手だと感じていたが、今ではまさにうってつけの場所だと男は考えた。宇宙の歴史に興味はないが、ひと時の休息にはなるだろう。
看板通りに大通りから細い路地へと曲がる。華やかな街路から外れると、それまでの喧騒が嘘のように閑散としていた。周囲には鈍色の光沢を持つ無数のパイプが伸びていた。その管に覆われた路地の先に、博物館の入り口はあった。扉は木でできていた。深いブラウンの表面で、ところどころ亀裂が走っている。木星では木材が貴重品だ。おそらく金持ちが半分道楽でやってる市立博物館なのだろうと男は思った。
ドアを開けると、そこは子供のころ見た博物館そのものだった。薄暗い館内、パンフレットが陳列されたアルミの本棚、横長の鉢植えに生える縞模様の観葉植物。
館内は時間が停止したかのように静まり返っていた。かつての記憶を感じる雰囲気の中、男は受付へ向かった。
受付にいたのは女性型アンドロイドだった。近年の技術の進歩はすさまじく、アンドロイドに至っては精巧な外見と相まって、手の届く距離に近づかなければそれとわからないほどだった。男はその精巧さに感心しつつ、アンドロイドに声をかける。
「すまんね。入場チケットがほしいんだが」
「承知しました。大人一枚1500円のチケットを発行いたします。」アンドロイドは規則的な返答をする。
「ありがとう。そういえばここはどんな博物館なんだね。看板だけではざっくりしすぎて内容がわからないのだが」そう男は訊ねる。
「はい。こちらは宇宙歴史博物館となっておりまして、過去にビックバンを発端に発生した宇宙から、現在に至るまでの全てを記録しているのでございます。記録は多岐にわたり、太陽系以外の惑星系も網羅しておりますので、様々な星のお客様に好評をいただいております」そちらにパンフレットもございます、とアンドロイドは手で方向を示す。
雲行きが怪しくなってきたぞ。男はそう思った。そのような膨大なデータがこんな小さなスペースに展示できるとは思わないし、現在も宇宙は膨張を続けているはずだ。全てを観測、記録するなど到底無理だ。休憩のつもりでだったが、俄然興味がわいてきた。
「すると、今でもこの博物館では、各惑星を観察し続けているということですか?とてもじゃないが、そんなすごい場所には見えませんが」そう疑問をぶつける。すると、アンドロイドはさも当然かのように答えた。
「はい。そのような時空的、時間的、労働力的問題を解決するために、私どもの観測では、惑星データのリアルタイム・コピーをしております。惑星にそれまでのデータと大きく違う事象が発生した場合、観測員にデータが送信される仕組みになります。そうすることで、不要な動力を削減しているのです」
惑星のリアルタイム・コピー。一体何だそれは。そのような技術が存在するとは聞いたことがない。少し考えて男は笑った。ははあ、わかったぞ。ここはジョークを売りにしているのだ。きっとただの模型が展示されているのだろう。男は一人で合点がいったようにうなずいた。
「なるほどなるほど。それは面白い。ではこの博物館の見どころを教えてくれないか。それを聞いてから、ゆっくり見物に回るとしよう」
そう言うと、アンドロイドはにっこりとプログラムされた笑みを浮かべた。
「ご利用ありがとうございます。当施設のおすすめとしましては、やはりリアルタイム・コピーを使用したレプリカとなっております。今発生している事象を目の前でご覧になれますよ」そこまで喋ったところで、アンドロイドは一瞬動作を停止する。故障か、ついてないなと男は思った。数秒するとアンドロイドは再び動きだし、新しいメッセージを告げた。
「失礼いたしました。ただいま大きな変化が起きた模様です。惑星系第3528番、太陽系第3惑星地球の消失が確認されました。しかしご心配なく!バックアップがございますので、健在だった頃をご覧になれますよ」
その直後、男の携帯用端末から強いバイブレーションと大音量の警報が鳴り響いた。
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