ショートショート集
@tanaka_itirouR
ゾンビ博士
若い警官に連れられて取調室に入ってきたのは、白衣に身を包んだ白髪の老人だった。
なんだってこんな老人の事情聴取をしないといけないんだ。今回の事件の担当である俺はそうひとりごつ。忙しい春の時期になぜこんなことを。
老人は真昼の公園で、怪しげな粉を周囲に撒き散らしていたところを通報され、そのまま連行という形になったと聞いている。なぜそんなことをしたのか、撒いていた物体は何なのかを聞き出すのが俺の仕事だ。仕方なく俺は口を開く。仕事でなけりゃ変な年寄と話したくはない。
「なあ、おじいさん。あなたどうしてあんなことしてたんですか。あの粉は一体何なんです」そう俺は問いかける。
「アンタらにはわからないだろうよ。私のしようとしていることは」
老人は口角を上げ、ニヤつきながら答えた。人を不快にさせる笑みだ、と俺は思った。こいつは俺のことをバカにしている。老人は敬うべしという俺の持論から下手に出てみたが、どうやらあまり意味は無いらしかった。
「あなたねえ、俺にわからなくてもいいんだよ。何撒いたかを俺に喋ってくれたらそれでいいんだよ。こんなところにいつまでも居たくないでしょ?家族も心配してるでしょ」
軽く責めるような聞き方に変更する。早くこの問答を終わらせたかった。しばらく沈黙が流れた。老人は喋る気がなさそうだ、少々手荒な対応をするべきか俺が迷っていた時、老人は口を開いた。
「私のことを少し話そう。私はゾンビというものが好きでね。知っているかな?『死霊の盆踊り』『バイオハザード』『ハウス・オブ・ザ・デッド』……」
話したと思ったらこれか。老人のふざけた態度に俺は腹を立てながら、ガタガタと貧乏ゆすりをした。
「ゾンビくらい俺も知っていますがね、それが何だってんですか。まさか撒いてた粉を吸うとゾンビになるなんて言わないでしょうね」
この爺さん、頭が少しおかしいんだな。何かしらの精神疾患があるように思われた。
老人は俺の言葉を聞いたとたんぱあっと表情を明るくし、饒舌に喋り始めた。
「そうか!君は全く理解のない人種だと思ったが、いやはや人は見た目で判断してはいけないな。ゾンビを語り合える人間だったとは。そうなんだ、私が撒いていたあの粉こそ、人間をゾンビへと変質させる、唯一無二の秘薬なのだ」
なに、そんなものが存在するのか。いや、そんなものは空想上の代物で、ゾンビだってフィクションの産物だ。その効力が本当かはどうでもいい。この老人はやはり毒物を撒いていたのか。直ちに上層部へ伝えなければ。
俺が急いで受話器に手を伸ばした瞬間、けたたましく電話のベルが鳴った。上機嫌そうにぶつぶつと語る老人を一瞥し電話に出る。
「もしもし、こちら科捜研です。そちらの取調室にいる老人の件でご連絡したいことが。」
電話の主は例の粉を検査していた科捜研の男だった。渡りに舟だ、あの粉が一体何なのか、科捜研で診断が出たに違いない。
「なんだ。今例の粉について聴取しているとこなんだ。こいつがいうことには、人間をゾンビにする薬だということだが……」
そういうと、電話をしてきた科捜研の男はあきれたように乾いた笑い声をあげ、たしなめるように答えた。
「なんですか、そりゃ。こちらで調べたところ、毒性はありませんでしたよ。少し灰が混ざっていたくらいで、あとは乾燥させた動物の肉のが混ざっていたくらいです。もしかしたら吸引してしまった方もいるかもしれませんが、人体に影響は無いはずです。その老人、きっと少しかわいそうな人なんでしょう」
俺はありがとう、と言って受話器を置く。やはり馬鹿のたわごとか、この老人は気が来るってしまっているのだろう。厳重注意で終わりそうだ。老人に向き直り、検査結果を伝える。
「あなたが撒いていた粉、毒性が認められないので、今回は厳重注意ということになると思います。書類への記入が終わったら帰るように」
それを聞いた老人はカラカラと笑い声を上げた。
「毒性なんてあるわけがないだろう。あれは人間のクオリアを消失させるだけのものなのだからな」
一体、何を言っているのか。もう相手にするのがほとほと嫌になってきた。
「はいはい、そうなんですね。そのクオリアっていうのが消えるとどうなるんです」
「クオリアは自意識と言い換えてもいい。想像力が無くなるようなものだ。お前は自分が空を舞うチョウになったときの気持ちを考え、それをイメージすることができるだろう。しかし、クオリアの無い場合のお前はそれができない。それを自覚するすべもない。これを哲学的ゾンビというのだ。私はそれを追い求めていた」
「ははあ、そうですか。そいつはご機嫌ですね。あいにく俺はチョウの気分なんぞは考えたことないのでね」
「そうだろうとも、もう君はチョウのことなど考えられないのだ。以前の君とは違ってな。君は自分に装備された機能で日常をただただ処理する存在になるのだ」
「わかりましたから。あと少しで帰れますから、早いとこ記帳を済ませてください。もうあんたと話していたくない」
「そうなのか?私はまだまだ語っていたいがね。世紀の瞬間を今まさに迎えているのだから!」
「少し静かにしてもらえますか。こちらも暇じゃないんでね。老人の戯言に割く時間的余裕は無いんです」
「おお、そうかそうか、それは悪かった。では最後に一つ付け加えておこう。私が撒いた粉は空気にひとたび触れると、あらゆるものを触媒に伝染する。爆発的に哲学的ゾンビが増えていくぞ。純粋な人間は地球上から消え、ゾンビであふれた世界に早変わりだ。それを知るのは私ただ一人!ああ愉快、愉快だ……あはははははは……」
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