第17話 ブシ

「敵の数は」

 ケンゾウはヴィクターに訊ねた。手品師は答えた。

「パッと数えきれないくらい。五十は超えている」

 しかしケンゾウのブシとしての直観が告げていた。正面の敵は陽動だ。裏がある。ケンゾウは愛刀「イチモン」とライフルを手にして立ち上がった。同じくライフルを手にしていたヴィクターが訊ねる。

「どこへ?」

 ケンゾウは答えない。この国の言葉に不自由なのだ。ケンゾウは自分の中にある嫌な予感を言葉にできないことにもどかしい思いをした。しかしヴィクターはそれを察したようだった。

「また会いましょう」

 それからヴィクターはパチンと指を鳴らすと、どこからともなくボウイナイフを出して見せた。かなりの刃渡りだ。ケンゾウはニヤリと笑う。

「お守りに」

 ケンゾウは手を挙げて感謝の意を示した。ヴィクターもにっこり笑って返した。


 女や子供、老人といった戦えない町民は銀行の大金庫に。そういう手筈を……裏切り者のアンドレイの前では話していた。だが実際は違う。

 教会の地下室。そこに集めている。如何に無法者でも神の前で暴力は振るわないだろうという目論見と、物理的な強度が銀行の次にあるという点から採用した。ケンゾウは風のように駆け抜けて教会へと急いだ。

 到着するなり足音を忍ばせ壁の向こうに耳を澄ませる。三度確認する。物音はしない。物音はしない。物音はしない。呼吸を整える。目を閉じ、覚悟を決めた。決めるなりケンゾウは頭上に向かってライフルを放った。教会二階のバルコニーの床が砕けて、男が悲鳴を上げて降ってきた。

 死体を蹴って確認する。対のナイフ。腰には拳銃。アーロンの軍だ。だが明らかに開拓者の姿じゃない。黒装束。目元まですっぽり隠している。

 暗殺部隊か。瞬く内にその判断を下すとケンゾウは身を翻して動き出し、教会正面のドアに身を寄せた。微かな足音がして……本当に、ケンゾウじゃなければ聞き逃すような小さい足音がして、教会のドアがゆっくり小さく開けられた。そうしてできた入り口と戸板との僅かな隙間に、ケンゾウは「イチモン」を深く差し込んだ。男の醜い悲鳴が上がった。

 刀を引き抜く。血に濡れた刃。これで二人片した。そして二人死んだことは敵方にも分かったはず。これでどう出るか。ケンゾウはしばし思考を巡らせるとライフルを使って教会入り口ドアの脇にあったステンドグラスに……見事なステンドグラスだったが……一発見舞った。ガラスが割れ、教会の中の何かに弾が当たった。

 しかしこれは陽動だ。ケンゾウは足音を潜ませ、だが素早く教会の裏手に回ると再び呼吸を整えた。呼吸は大事だ。生きていることを実感できるし、体の芯まで力が入る。

 ケンゾウは確認した。教会二階のバルコニーは裏手まで続いている。耳を澄ませる。足音はない。人の気配もない。ケンゾウは手近にあった石ころをいくつか拾った。それから目の前にあった小ぶりな岩を蹴り一息にバルコニーの床を掴んだ。そこからひらりと反動をつけ跳び上がる。バルコニーの手すりを掴んだ。ごろりと体を捻じるようにしてバルコニーに転がり込む。ケンゾウは近くにあった窓に接近した。

 ガラス越しに中を見る。一階に賊を二名確認した。先程ライフルで仕留めたのと同じ黒装束の人間が二人。その内の一人の尻を見て、そいつが女だと判断した。女が女子供を殺そうとする。本当に何でもやる敵が相手なんだな。ケンゾウはそう笑うと唐突に頭上に「イチモン」を突き出した。手ごたえを感じ、そのまま引っ掛けるようにして獲物を引きずり出す。そうして上から降ってくる死体を受け止め、音が出ないようにした。屋根に寝そべってケンゾウを狙っていたのだろう。顎を貫かれた男だった。

 敵を警戒しつつ、殺した相手の身元を確かめる。胸に紋章入りのボタンを見つけた。何を意味するのか分からないが、この国の数字で「11」と書かれていた。もしこれが人数を示すのなら、最大値か、そうじゃないか。それで ケンゾウが片すべき敵の数が違ってくる。

 一階の人間がステンドグラスの破壊は陽動であることに気づいた。辺りを見渡しながら警戒の色を濃くする。ケンゾウは壁に張り付いて息を整え、それからライフルを構えながらバルコニーを移動した。

 先程頭上を撃って敵を仕留めた地点まで移動すると、バルコニーから教会内部へ繋がるドアは無視してその先にあった窓へと移動した。耳を澄ませる。人の気配がないことを三度確認する。

 この窓が引き戸であることは事前に知っていた。つまり外側から押せば開く。そっと押す。反応はない。

 ライフルで警戒しながら教会内部へ入った。そうして建物の中に入るとケンゾウは同じ二階に敵がいないこと、そして敵が張り付いたり隠れたりする場所が自分の視界より上にないことを確認した。ライフルを置く。狭い建物の中で、この武器は取り回しが悪い。

「イチモン」を逆手に持って動く。それからケンゾウは、一階から二階に続く階段に近寄ると身を潜めた。先程拾った石ころをひとつ、自分の正面に向かって投げる。こつん。音に一階の二人が反応した。

 息を潜める呼吸が……こういう言い方も変だが……聞こえてくる。ケンゾウはそれを肌で感じた。踏み板も軋ませない慎重な足取りで、敵がこちらにやってくる。綿毛が床に落ちる程度の僅かな足音でケンゾウは人数を把握した。二人来る。二人仕留めよう。

 敵が来た。黒装束が一人、そして二人。後続はいない。二人だけ。内一人が先程の石ころを拾おうと屈んだ隙を見逃さず、ケンゾウは手前の一人の踵を切り、流れる剣さばきで屈んだ一人の心臓を背後から突き刺した。踵を切られた方が唸ったので、ケンゾウは下段から喉を掻き切ってそいつを始末した。思った通り女だった。

 胸元のボタンを確認する。「2」と「9」。「11」より少ない。一旦敵は十一名と見るべきか。判断材料が欲しいケンゾウは一階の方を覗き見た。この教会は地下室が三つある。ひとつは貯蔵庫、もうひとつはかつてこの教会が開拓者たちにとっての病院だった頃の医師の休憩所。最後は地下聖堂だ。女子供、それから老人は一番造りが頑丈で、かつ入り口が小さくすぐに見つからない貯蔵庫に匿っている。何があっても声は上げるなと厳命しているが悲観的に見積もっておく方が賢明だろう。一階に人の姿が見えないということは残る面々は地下室にいることになる。貯蔵庫の入り口を見つけるのには苦労するだろうからおそらく休憩所と大聖堂に行っていることだろう。どちらもそれなりに広く障害物も多いので捜索には時間がかかる。手近なのは休憩室か。ケンゾウは動き出した。

 足音を潜めて地下へと向かうと、ドアのない休憩所に忍び込んで出会い頭の二名をイチモンの餌食にした。一人は喉を突いて。もう一人は口を押えて背中を突いた。気配を感じたので、ケンゾウは刀を抜き、振り向かずそのまま刀を抱き込むようにして背後に忍び寄っていたもう一人を突き殺した。これで三人。今度は悲鳴が上がったので、おそらく敵に気づかれただろうと思った。ケンゾウは素早く殺した三人の胸元を調べた。「1」「5」「7」。「11」より少ない。

 休憩所から大聖堂までは同じ廊下で繋がっている。ケンゾウは殺した一人の腰から拳銃を二丁奪うと、警戒しつつ休憩所を出た。出ようとした。発砲音がして、近くにあった壁が弾けた。

 やはり気づかれた。ケンゾウは先程殺した一人の死体から頭巾を奪い、拳銃の先に引っ掛けた。それから黒頭巾の被った銃口を、休憩所の入り口から突き出し……その勢いで両手と頭を出して射撃した。頭巾を見て仲間だと勘違いした敵は反応が遅れた。二発。敵が倒れる。ケンゾウは足音と発砲音から敵が二人であることを前以て知っていたのだ。

 しばし休憩所の入り口に身を潜める。音がない。つまり二人しか……いや。

 壁の向こうに警戒の気配を感じ取った。肌にひりつく敵の殺気。ケンゾウは身震いした。手練れだ。しかし気を隠しきれていないということは……ケンゾウの方が上手か、それとも敵が偽の気配を発せられる程の実力者か。

 頭巾を使っても隙は作れないだろう。同じ手は食わないはずだ。ケンゾウは辺りを見渡した。そしてニヤリと笑った。さすが、開拓地だ。棚に黒色油とマッチがあった。

 油の瓶を手に取り、頭巾に油を染み込ませた。それを手頃な木材に括り付け松明を作る。それから、油の瓶を廊下の向こうに勢いよく放り込んだ。すかさず発砲音がして瓶が割れる。上手くいったか? ケンゾウはすぐに動き出した。

 廊下に躍り出るなり、ケンゾウは手にした松明を強く放り投げた。いくつかの発砲音がしたが、床に転げたケンゾウには当たらなかった。しかし松明は敵に当たった。

 人の体が焼かれる。恐ろしい悲鳴が上がった。せめてもの情けだ、とケンゾウは燃える人体の真ん中、心臓の辺りに狙いを定め一発撃ち込んだ。それでも不十分かと思い、床に倒れた炎にもう一発お見舞いした。燃える人間が叫ばなくなった。ケンゾウは心の中で手を合わせた。

 廊下に転がっている二体の死体を確認する。頭巾のハッタリで仕留めた二人だ。胸には「6」と「8」。焼けた方の数字が確認できないが、今までの数字を考えるに「3」か「4」か「10」辺りが妥当だろう。これで全てやっつけたか? ケンゾウは手早く地下聖堂を確認した。敵はいない。

 上階、一階へと上がる。「イチモン」を腰に控えさせ、拳銃を構える。目に付く範囲に敵はいなかった。

 やはり「11」までか。ケンゾウが一瞬警戒の糸を緩めた、その時だった。

 静かに矢が飛んできてケンゾウの肩に刺さった。ケンゾウは唸り声を上げた。

 すぐに矢の飛んできた方を確認する。人の姿はない。しまった、とケンゾウは舌打ちした。先手を取られた上に敵の位置が分からない。こっちには拳銃と……「イチモン」。

「感謝している」

 教会の聖堂に声が響いた。造り上、声が反響してどこから聞こえてくるのか分からない。

「我々はあの方から『十二使徒』と呼ばれていてね。私としては不本意だったんだ。他の十一人は私より弱い。なのに何故一緒くたにされなければならないのか」

 再び静かに矢が飛んできた。別方向からだ。ケンゾウの脇腹に突き刺さる。ケンゾウはまたも悲鳴を上げた。

 十二使徒。十二人か。やはり「11」は上限じゃなかった。油断した……。しかし何もかも遅い。視界の端に黒点がちらつき始めたケンゾウは、自分がいつの間にか拳銃を取り落としていることに気づいた。手を伸ばそうと、したのだが。

 静かに飛んできた矢が床に突き刺さった。ケンゾウの手の少し手前だ。これも別方向から飛んできた。移動しながら射っている……! おそらくだが二階。ケンゾウの後に入ってきたのだろう。屋根の上にでも隠れていたのだろうか。ケンゾウは「11」の男を思い出す。顎を貫き倒した男だ。あいつを派手に殺し過ぎたか。きっとこの「12」はそれを見てこちらを警戒したに違いない。

 ケンゾウは起き上がることはしなかった。そんなことをすれば的だ。代わりに体を引きずるようにして長椅子の陰に隠れた。これでとりあえず頭上と左右、三方向を気にすればいい……三方向もあるのだが。

 ケンゾウは耳を澄ませた。聴力には自信があった。視力はろうそくを見つめる訓練で夜目が利くようにはなっていたし馬上から弓を射ることができる程度には動体視力もよかったが、今は視界が怪しい。黒点は大きくなっている。

 深く、呼吸をした。三矢射られて致命傷を避けられているのは幸運だろう。だからこうして隠れて息を吸える。ケンゾウは笑った。笑うとクラリッサのことを思い出した。

 異国人の自分にも優しくしてくれたあの乙女。

 美しかった。美の化身がいるとすればあの子だ。いい笑顔だった。さらに心まで綺麗ときている。流浪の人間である自分の髪の毛を見て「綺麗だ」と言える人間がどれだけいるだろう。彼女は人の長所を見ることができる人間だった。それは貴重だった。貴重だから、守りたくなるのだ。

 武器は「イチモン」だけ。十分な気がした。やれることは限られている。自分に刺さった二本の矢を見た。ただの矢にしては深く刺さっている。並の弓じゃないが大きな弓は室内では取り回しが悪い。弩か。そう、判断する。

 矢は抜かない方がいい。血が出て、余計に危うくなるだけだ。そもそも深く刺さり過ぎて抜けるかどうかも怪しい。少々走りづらいが……利き手じゃない肩と脇腹でよかった。まだ動ける。まだ動ける。

 弩なら弓を引くのに時間がかかる。物によっては歯車の音がする。ケンゾウは耳を澄ませた。彼方でキリキリと音がした。矢をつがえ、弓を引いている。

 ケンゾウは長椅子の陰から躍り出ると一気に二階に続く階段へ駆け出した。音のした方角から敵がどこにいるかは分かっていた。二階の祭壇に近い側、入り口から見て左手側の壁の近く。ケンゾウは一気に階段を駆け上がった。すぐに矢が飛んでくる音がした。ケンゾウの背に矢が刺さった。

 唸り声を嚙み殺す。痛みも恐怖も何もかもを噛み砕く。そうしてケンゾウはさらに走った。どう走ったか、何故足が動くかなんてことは一切考えていなかった。頭の中にあるのはクラリッサの笑顔だけだった。

「東洋の方? 綺麗な髪ね!」

「今度髪の結い方を教えて!」

 悪いが教えられそうもない。ケンゾウはただ駆け抜けていた。明滅する視界。耳の傍をものすごく速い何かが駆け抜けた。矢だとすぐに分かったが、どうでもよかった。ケンゾウは懐に手を入れると手にしたものを思いっきり投げた。ヴィクターからもらったボウイナイフだった。

 鋭い音がした。張り詰めた弦が切れる音だ。鼓膜の彼方で、相手が驚く気配を感じた。ケンゾウは走った。そうして、腰に据えた刀をそのまま下から斜めに切り上げた。手ごたえはあった。

 生温かい何かが顔に触れる。ケンゾウは笑った。そのまま倒れる。

 もう、目も耳も働かない。ケンゾウは深い闇の中に落ちていった。そっと手を伸ばす。救いを求めるように、愛を求めるように。

 だがその手がクラリッサに触れることは、なかった。

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