第16話 父親
アンドレイは困惑していた。話が違う! 話が違う!
阿鼻叫喚の地獄だった。爆発! 火炎! それから追撃! 兵の宿舎や町が爆破され、混乱した兵士たちを大通りにいたイーノックが鮮やかな手捌きで片していく。おかしい! 自分はここから余裕綽々であの間抜けが死ぬところを眺めているはずだった! アーロン様の近くで、あのイーノックとかいう間抜けが捻り殺された挙句女も奪われる場面を肴に、バーボンでもひっかけようと思っていたのだ! なのに何だこのザマは。何もかもがおかしい!
アンドレイ・カッリェーロはスモールクリークの保安官だった。銃が撃てない保安官、フランク・ヘイウッドの下で働いていた「法の執行係」だ。保安官として銃の腕に訴えねばならない時にフランクの代わりに出動する。だが不満はあった。そりゃそうだ。もしもの時は俺が対応する。なのに何で俺は何もできないフランクなんかの下なんだ?
そりゃ、フランクは腕利きの保安官だった。町の治安維持のため、町のことは何でも知っていたし目聡かった。町民の些細な変化も見逃さない。オーダム夫人の買い物からその日起きた夫婦喧嘩まで当てた時はびっくりしたものだ。そしてフランクの口癖。「不確かなことは口にするな」。それは保安官として、根拠のないことを口にしてはならないという戒律でもあったし、フランクの生き方でもあった。フランクは実証主義だった。経験的事実しか口にしない。だからアンドレイにとって不思議なこと……オーダム夫人の夫婦喧嘩のことさえ、フランクからすれば「自明のこと」だった。アンドレイはこの方針をフランクから叩き込まれた。
アンドレイがアーロンの下で働くようになったのはつい最近だ。スモールクリークに目をつけたアーロンは町のことを知るために町に明るい人間を買収しようとしていた。アンドレイは三人目に声がかかった人間らしい。言われてみれば、その頃町の外れで人が二人死んでいた。あれはアーロンの言うことを聞かなかったからああなったに違いない。
アーロンの要求はシンプルだった。町で起きたことはどんなことでも知らせろ。アンドレイはその通りにした。だから町民が引っ越すふりをして町もクラリッサも奪還しようとしていることは知らせていたし、アーロンも知っていた。知っていて泳がせていた。いや、アンドレイが泳がせることを提案したのだ。
アンドレイには欲があった。肉欲だ。女を支配したかった。それも安い売春婦なんかじゃない。一般人として、あるいは高貴な身として、生活に溶け込んでいる女を犯したいという下賤な欲望だった。スモールクリークには色んな女がいた。銀行の受付、小物屋の看板娘、牧場の一人娘、それにオーダム夫人。クラリッサはアーロン様のものかもしれないがその他の女は好きにしてもいいだろう。アンドレイは虐殺の限りを尽くして男どもを排除した後、あぶれた女どもを片っ端から犯すつもりでいた。だから町民を、男たちを泳がせた。町を潰したら男も女も殺す可能性がある。逆に男の方から来てくれるなら持ってこいだ。
「イーノックが挨拶がてらローズクリークの大通りに行く。ローズクリークの西に高い丘がある。その上に、町にある唯一の大砲を持っていく。俺が望遠鏡でイーノックを監視する。合図をしろ。俺がそこからアーロンの住む屋敷を狙撃するんだ。それを合図に、野郎共でローズクリークに攻め込む! 残った老人や戦える女は武器を持ってスモールクリークを守れ!」
そういう算段のはずだった。スモールクリークに攻められたら勝てないから、こちらからローズクリークに攻め込む。そういう計画のはずだった。だからアンドレイはがら空きのはずのスモールクリークに七十の兵を送るよう進言したし、残る八十の兵の内七名とガトリング砲をローズクリーク西の丘に向かわせ、大砲諸共フランクを始末するよう手配した。スモールクリークは兵力の前に無条件降伏、丘の上のフランク……憎きフランクも始末して、晴れてアーロン様はクラリッサ、俺は町の女どもという算段だった……そのはずだった!
アンドレイは瓦礫の中から立ち上がった。生きてる。ひとまず生きてる。そのことを確かめると次に腰の銃を見た。ある。よし。アンドレイは銃を抜いた。
クラリッサの居所は分かっていた。屋敷の一階北、物置みたいな暗い部屋の中だ。大混乱の中、アンドレイはアーロンの屋敷に入るとクラリッサの元へ向かった。それから騒ぎに混乱しているクラリッサの長い髪をつかんだ。
「来い! いいから来い! 早く来い!」
わめくクラリッサを引きずり出し、アンドレイは屋敷の外に出た。それから玄関ポーチにある階段の上に立つと、空に向かって銃を一発放った。
「イーノック! これが見えるだろう。クラリッサだ!」
銃声がさざ波のように引いていき、そして止んだ。先程とは打って変わって、町が沈黙に包まれた。
「この女を殺されたくなければ出てこい! 俺がお前を殺してやる」
「汚い手で俺の娘に触れるなよ」
どこからともなく声がした。アンドレイは声のした方を見上げた。
屋敷の隣。馬小屋の屋根。
フランクがいた。手には斧。背にはショットガン。斧からは血が滴っている。あれで何人かやったんだ。
「何が起きてるのか理解できてない顔をしているな」
フランクが斧をハンカチで拭きながら笑った。
「俺の策略にまんまとはまりやがって」
「知ってたのか?」アンドレイは叫んだ。
「俺が内通者だと、知っていたのか?」
「筒抜けだ、ド阿呆」
フランクはハンカチをしまった。
「俺が退職願を書いていた時、お前は『ダンが小便ついでに殺されてから、何もかもうまくいきませんね』と言ったな。初耳だったよ。ダンが『小便のついで』に殺されたなんてことはな。確かにダンはお気に入りのサボテンの前で殺されていたが、それが小便なのか、水やりなのか、殺された現場を見た者しか判別できないはずだ。お前はダンが殺された時現場にいた。俺はいつも言っていたな。『不確かなことを口にするな』。お前にはそれを徹底的に叩き込んだつもりだ。なのにダンのことを知った風に話した。つまり知っていたんだ。それだけ分かれば十分だ」
後は偽の情報をお前に渡した。フランクは腕が痛むのか、斧を持つ手をだらりと下げた。
「……クラリッサ。階段を跳び下りろ!」
親父のその合図を聞きクラリッサがアンドレイの手にしがみついたまま一歩大きく前に跳んだ。必然、引きずられる形でアンドレイが玄関ポーチの階段を一段降りた。罠はその瞬間作動した。階段の踏み板が破れ、アンドレイは足を突っ込んだ。悲鳴が上がった。
「トラバサミだ。うめえか」
アンドレイは鉄の歯に噛みつかれた痛みのあまり銃を取り落とした。クラリッサのことも離してしまう。
「この町には他にもたくさんの罠を仕掛けてある。手品師という助手がいてな。あれはいい仕事をしてくれたよ」
自由の身になったクラリッサはアンドレイから距離をとると振り返った。しかしフランクが手を振って合図をした。
「見るんじゃない。パパは今から人を殺す」
フランクは大きく振りかぶった。それから投げた。
風を切る鈍い音がすると斧がアンドレイの背中、脊髄の真ん中に叩き込まれた。それだけで十分だった。アンドレイは事切れた。
馬小屋の屋根から降りたフランクは娘の元へ駆け寄った。憐れなアンドレイは地面にキスしていたが、フランクにはもうそんなことはどうでもいいみたいだった。クラリッサを抱きしめた。
「パパ……」
クラリッサが涙を流す。フランクが彼女の名前を口にしようとしていた、その時だった。
軽い銃声が響いた。フランクが膝から崩れた。
クラリッサが悲鳴を上げる。しかしフランクは答えなかった。フランクの後頭部には小さな穴が開いていた。そして、崩れたフランクの後ろから、アーロンが姿を現した。彼は馬小屋に隠れていたのだ。
「涙が出そうだったよ」
倒れたフランクをアーロンは蹴飛ばした。
「ご挨拶だ、御父上」
手には自慢の軽量銃が握られていた。
「スモールクリークの代表くん。イーノックくん……だったかな」
アーロンは声高に告げた。
「君を待っているよ」
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