学校祭〈2〉ピンチは次々に
「おい、そんなところで何をしているんだ!」
凜とよく通る声が、木の枝を揺らす。父親と高月さんは瞬時に笑顔を消し、目配せし合った。
おそるおそる後ろを振り返る。すらりと背の高い、黒ずくめの人物が立っていた。くるぶし丈のゆったりとしたローブをまとい、頭には魔女がかぶるような大きなとんがり帽子を乗せている。
「香坂環か! 一体どうした……って、あっ!」
全身が真っ黒な中、エメラルドグリーンの大きな耳飾りが陽の光を反射して、チラチラと光っている。
「さ、佐々木先生、今日は魔術師じゃなくて魔女みたいですねえ……かっ、かっこいいなあ」
苦し紛れに出した一言に、佐々木先生は顔をしかめた。魔術師は黒のローブはともかくとして、こんなとんがり帽子を身につけたりなどしない。きっと監督している模擬店かアトラクションの衣装なのだろう。
無駄な抵抗とはわかりつつも、父親と高月さんを隠すように立ったのだが、佐々木先生は俺を押しのけ二人の前に立った。父親は無反応。しかし、高月さんが明らかに身を固くしたのがわかった。
「こんな人間が他にもいたなんて……」
目を光らせた佐々木先生が小さくつぶやく。その意味はすぐにわかった。高月さんは医者でありながら、魔術師でもある。先生は、ただ相対しただけでそれを看破したということ。
まるでここにだけ壁ができたかのように冷たい空気が流れ、学校祭の賑わいがどこか遠いものに思えてくる。
「な、なんのことですかねえ」
追い詰められた高月さんが一歩後ろに下がったことで、先生も身構えた。風も吹いていないのにスカートの裾がかすかに揺れだす。
ここに入学して半年で俺もずいぶん感覚を研がれたのか、両者の魔力が風のように渡っているのがはっきりとわかる。
まずい、ここで騒ぎが起きてしまったら、夕涼み会の二の舞になってしまう。俺はもう一度、両者の間に立ち塞がろうとした。
「せ、先生! あの、この人は」
俺が割り込むより早く、地面を踏み鳴らす音がひとつ。今にも渦を巻きそうだった
「おい、バカ、何するんだ!?」
高月さんはうろたえながら父親に迫る。きっと、魔力の流れを止められてしまったのだ。あの日、先生たちに使ったのと同じ技。
「志弦、いいから。あはは、失礼しました……いつも息子がお世話になってます」
「ええっ!? 言っちゃっていいの!?」
父親があっさりと正体をバラしたので、高月さんが悲鳴に近い声を上げた。元々高い声の持ち主なので、耳に突き刺さるようだ。木に止まっている鳥たちも、まるで警戒するような鳴き声を返してくる。
「……やっぱり。今日はどういったご用件で? まさかまた、
耳鳴りに頭を抱える俺を見て、はっきりと眉を寄せて言った佐々木先生に、父親は笑いながら返す。
「いやいや、今日は友人と遊びに来ただけです。こういう催しは懐かしくてつい……まあ、何かを企てているとしたら……そうですね、息子の成長アルバムを作るための写真を撮りた」
「おいっ!!」
再びスマホを構えた父親に、思わず大声でツッコミを入れてしまった。高月さんの叫びにも耐えた鳥たちが、とうとう我慢できなくなったのか一斉に飛び立っていった。
成長アルバムって、俺はもう小さい子じゃない。今更そんなものを作ってどうするんだ。睨みつけてみても、父親はニコニコと微笑んでいるだけだ。
佐々木先生はようやく父親から目を逸らした。どこか呆れたようにため息をつき、ずれてしまったとんがり帽子をかぶり直した。
「……侵入者を警戒し、見回りが強化されています。くれぐれも気をつけてください」
「ご忠告どうも」
父親はペコリと頭を下げてみせた。佐々木先生は、ため息をもうひとつつくと、今度は俺の耳元に顔を寄せた。
女性にしてはかなり長身の先生は、顔の高さが同じ。こうしてぐっと近寄られると、緊張とは別の何かが胸をざわつかせる。
「……わかっているとは思うが、校内を魔術庁の人間がうろついている。君にも監視がついているかもしれないから、今日のところはあの二人にはむやみに接触しない方がいい」
「え」
辺りを見回しても黒服の人の姿は見えないが、確かに見張られていたとしても何もおかしくない。
「今は大丈夫だ。早く場所を移動しなさい」
佐々木先生はそのまま振り返ることなく去った。
「環くん! こんなところで何をしているんだい? あと、えっと」
紺野先生だ。俺が戻らないので探しに来たのだろう。目の前の人が誰なのかをどう説明するか迷っていると、高月さんに肩を叩かれた。
「騒がせてごめんな、後でこっそり茶を飲みに行くから」
父親の姿はすでに見えない。高月さんもまるで逃げるような足取りで去って行った。
◆
「そうこうしている間に開店時間になったねえ」
気がつけば、時刻は午前十時。来場者も増え、辺りの賑わいはさらに増している。俺が店に立つのは昼過ぎからだが、先生と共に一度開店後の様子を見に行くことにした。
特別棟に足を踏み入れる。一階には二年二組による和風カフェ、美術サークルによる似顔絵屋、花寮有志による占い屋が出店している。
ちなみに一般の人によく驚かれるのだが、魔術で占いや予知はできない。しかし人の心や過去を魔術である程度読むことはできるので、魔術師の占いは総じてよく当たるものらしい。
さて、入って目の前の階段を上がると、まず見えるのは東都ドレスアップ同好会と写真サークルが共同で出している仮装撮影スタジオだ。衣装や小物が所狭しと並べられた部屋には、早くも数組のお客さんの姿が見える。
そしてその隣の第三実習室。いつもはレベル別授業でひとつ上のクラスが使っているこの教室に、一年四組の模擬店『喫茶・フォーリーブス』が出店している。
クラシック音楽が流れる落ち着いた店内は、『四枚の葉』という店名になぞらえ、内装は緑と白、茶でまとめている。壁を薄緑色にするために、元の壁に貼りつけたベニヤ板をクラス総出で塗って仕上げた。
座席は、四人用と二人用を用意した。テーブルや椅子は普段実習室で使っている物に、白のテーブルクロスや緑の布カバーをかけただけだが、結構いい感じだ。
窓際の席は中庭の噴水と、季節の花が揺れる花壇を見下ろせる特等席である。
実は、景色の良さからこの部屋を使いたいと言ったクラスやサークルは他にもあった。仁義なきジャンケンバトルを戦い抜き、勝ち取ったのだ。俺が。
せっかく良い場所をとったのに、未だお客さんの姿が見えないことに少しガッカリしながら、実習室の隣のドアを開けた。普段は器具などが置いてある実習準備室を、今日はいわゆる厨房がわりにしている。
積まれた段ボールの中身は、このために仕入れた焼き菓子や使い捨ての食器類。今回は調理はせずに、焼き菓子を皿に乗せ、コップに入れた飲み物と共に提供する。
箱の横に並べられたクーラーボックスの中には数種類の飲み物や氷をストックしている。もちろん、温かい飲み物のためのお湯も沸かしてある。これらの温度管理は、助っ人に入ってくれている先輩が魔術で行う。これは電源の数が限られていることもあるが、先輩の実地実習も兼ねてのことだ。
「なんか客入り少ないな、あちこち呼び込みはしたんだけど」
「ううん、今、お客さん来たで。森戸さんが注文取りに行っとるよ」
近くにいたクラスメイトが答えてくれる。チラシはたくさんばら撒いてきたし、人通りの多いところを選んで歩いてきたはずなのにこの結果とは、なかなかうまくいかないものだ。
「もっと賑わうのかと思ってたけど、これじゃ先が思いやられる」
「売れなかったら委員長の責任」と森戸さんに言われたのを思い出し、ズシンと気が重くなった。焼き菓子の山はちゃんと崩れるのだろうか。不安でいっぱいになる。
「大丈夫だよ。きっとお昼ごろには忙しくなるよって先輩が」
珠希さんが横に立った。俺とほぼ同じデザインの服を着ているが、当然ながら彼女はめちゃくちゃ可愛い。今日は髪を後ろでひとつに束ね、前にも見たことのある髪飾りでとめている。
じっと見とれていることに気がついたのか、彼女は恥ずかしそうに俯く。やっぱり可愛いと思った。
「あら、香坂くん。ちょうどよかったわ。可愛いメイドさんに鼻の下伸ばしてるところ申し訳ないけど、三番テーブルに持って行ってちょうだい」
森戸さんにトレイを押しつけられた。月夜の色の目には何もかもお見通しとばかりに怪しく光り、急に恥ずかしくなる。
「んんっ。あのさ、俺はとりあえず様子を見に来ただけなんだけどな」
「いいから、ほら!」
意地悪な微笑みに追いたてられるように、準備室から実習室につながる扉をくぐった。
店内にいたお客さんは一人。小柄な女性がこちらに背を向け、窓際の二人席に座っていた。
「お待たせしました……っ!?」
そこにいたのは、まさかの人物。
「環。久しぶりね」
「か、母さん……?」
目の前にいるのはどう見ても母親だ。そう、俺を産んだ人だ。
でも待て。母親は魔術師の少ないド田舎であちこち走り回っているため多忙を極めているのだ。辿り着くのに半日もかかるような場所にいるはずがない。
ましてや、今日ここに来るとも聞かされていない。
「うふふ、来ちゃった。その服、すごく可愛いわね」
女装している息子を予告なしで見ても驚くことなく、いつも通りの無邪気な微笑みを浮かべる母親。いくらなんでも動じてなさすぎじゃないか?
ここに突然現れたことといい、全てが不自然すぎる。
ハア、なるほどな。俺はある可能性に思い至った。というかそれしかあり得ない。
自分の姿形を変えてしまう魔術が得意な魔術師はごく身近にいる。きっと俺以上に母親のことをよく知っているので、そっくりに化けるなんて造作もないはずだ。
……そう、これは父親のイタズラに違いない。俺はだまされないぞ。
一応テーブルの上に持ってきたアイスティーとお菓子、おしぼりを並べた。しかし、触らせないために手で遮った。特殊な体質を持った父親にとって、これらは毒物だからだ。
「からかうのもいい加減にしてくれよ。それに、そんな身体なのにお菓子なんか食べて。どうなっても知らないぞ」
たとえ主治医である高月さんがついていたとしても、こればかりは認めるわけにはいかない。出来るだけ元気で長生きしてくれないと困る。
母親? はまさにポカンとした表情になり、それから子供のように口を尖らせた。
「なによ。せっかく会いに来たのにそんな言い方はないんじゃない? あ、わかったわ! まだ反抗期が治ってないのね? やだわあ」
「……え、ホンモノなのか?」
「一体何言ってるの? なら、証明しましょうか。うーんと、あのねえ、環のお尻にはねえ」
「うわあっ!! お母さんッ! わかった!! わかったから!!」
唐突に太刀を抜き放った母親に、ざわつくクラスメイト。ここで
「うふふ。こっちの方でちょっとしたお仕事を頼まれたんだけど、せっかくだから日取りを合わせてもらったのよ」
「わかったけど、なんで黙って来たんだ」
また何を言い出すかと思うと恐ろしくて、心臓は暴れたままだ。
「びっくりさせようと思って。サプライズ大成功ね」
「さ、サプライズ……」
母親はイタズラっぽく笑うと、ピースサインを向けてくる。準備室から顔を出したクラスメイトたちが目を丸くしているなか、森戸さんが一人、目を細めてにんまりと笑っている。なるほど、母親だと聞いて俺をここに行かせたわけだな。
「ねえ、環。お付き合いしてる子はどの子なの?」
「はぁ!? っんでそんなこと聞くんだよ!! いい加減にしろ!!」
「だって、気になるんだもの」
「そんなこと、今はどうでもいいだろ!!」
残念ながら、母親の勢いは収まらない。今度こそ頭に血が上り、大声を張り上げてしまった。みんなには隠しておきたいのに、どうしてこんなところで白状させられなければならないんだ。それに、彼女だって……。
「っきゃあッ!!」
小さな悲鳴の後、準備室から珠希さんが転がるような勢いで飛び出してきて、俺の目玉も転がりそうになった。
ちなみに彼女は、あまり運動神経が良くない。出てきた瞬間から足をもつれさせていたが、とうとう俺の目の前でつんのめってしまった。
とっさに彼女を抱き止めると、準備室の方から歓声と悲鳴が混ざったものを浴びせられる。柔らかい感触を楽しんでいる余裕は……さすがにない。
「たまっ……本城さん、大丈夫か?」
「だい、じょうぶ」
このタイミングで飛び出てくるなんてあまりにも都合が良すぎる。後で森戸さんをキツめに締め上げた方がいいかもしれない。
珠希さんは跳ねるように俺から離れると、大慌てで髪型や服装を直し、母親の方を向いた。
夏に蓮香さんと向き合った時とは別人のように緊張した様子で、エプロンを握りしめる手はほんの少し震えているように見える。
一方で、母親の目は今まで見たことないほど光り輝いていた。まるで宝物でも見つけたのかという表情だ。
「は、はじめまして、本城珠希と言います。環くんにはいつもすごくお世話になってます」
「あらあ。かわいらしいお嬢さん……こちらこそ、環と仲良くしてくれてありがとう」
恭しく頭を下げた珠希さんの手を、椅子から立った母親が遠慮する様子もなく取った。
俺だって、手を繋げるようになるまで時間がかかったのにと恨めしく見ていると、母親はグッと珠希さんに迫った。
「そうだ。珠希ちゃん。あのね、冬休みにウチに泊まりにいらっしゃい。三人で一緒に年越ししましょ」
「えっ」
その一言に、騒がしかったクラスメイトが一瞬で黙った。全員が何らかの魔術にかかってしまったかのように、微動だにしない。
珠希さんは、目は皿のようにまん丸、そのうえ口は半開きのまま硬直している。
俺も、母親の不意打ちに頭の中が真っ白になって、そして、すぐに真っ赤になった。
……そりゃ、俺だって、彼女と年越しをしたり、初詣をしたり。なにより一日中ずっと一緒にいることを想像したことがないわけではない。
いつか、いや、できれば早くそんな日が来ればいいと思っていた。
「母さん! 突然何を!! た、ほ、本城さん、こんなの本気にしなくていいから!!」
でも、でも、物事には順序という物があって。俺たちはまだ未成年で、付き合い始めたばかりの学生だ。
それなのに、初対面の恋人の母親に階段を数段飛ばしで駆け上がるような申し出をされたら、彼女もきっと困るに決まっている。なにより、俺は自分の口で申し出たかった……
「い、いいんですか……ほんとに……?」
「ええ!! あのね私、ずーっと娘も欲しかったの。夢が叶って嬉しい……」
「私も、誘っていただけて嬉しいですっ! ありがとうございます!」
「うっ」
母親も珠希さんも、俺の声なんか聞こえていないようだった。二人ともなぜか目を潤ませているし、これじゃまるで実の
入る隙がない……力が抜け、ひっそりと準備室に引っ込んだ俺を、クラスメイトが暖かく迎えてくれた。
「やっぱり。妙に仲がいいと思ってた」
「えっ、全然気づいてなかった」
「いいなあー!! いつ結婚するの!?」
「まあ、イチャつくのもほどほどにね……」
必死に隠してきたのに、きっと明日には学校中に広まっているだろう。でも、もうそんなことはどうでも良くなってしまった。
「おやおや、そんな暗い顔をして。おめでたいことじゃないか環くん」
紺野先生に声をかけられ、ため息が出てしまった。
「いや、確かにそうかもしれないですけど……」
それ以上は言葉に詰まってしまった。
ほんと、なんだこれ? 公開プロポーズじゃない、公開処刑か? もう、穴を掘って埋まりたいほど恥ずかしい。
しかし、まだ学校祭が始まって一時間しか経っていないというのに、胃が痛くなることばかりだ。
このままじゃ命がいくつあっても足りない、そう思った。
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