学校祭〈1〉いざ出陣・色々は突然に

 学校祭当日、午前九時。


 ここは国立東都魔術高等専門学校一年四組の教室。模擬店は特別棟に出店しているため、ここは控え室である。


 それぞれの衣装に着替えたクラスメイトたちが、化粧をするために手鏡と睨めっこしていたり、談笑したりしている。


「香坂くん、こっち来て、ここ座って」


 教室の机の上には、どこから持ってきたのか大きな鏡が。その前には化粧道具が所狭しと並べられ、まるで鏡台のように整えられていた。


 着席するなり、いろいろなものを顔に塗り込められた。顔の上を手が滑り、そのうえ同じところを幾度も往復する。どうやら洗顔の後の保湿くらいでは地ならしにもならないということらしい。


「うーん、意外と可愛い顔してるんだよなあ」


「まつげ、すごく長いよね。いいなあ」


「肌も髪もけっこう綺麗だし……なんか悔しい」


 顔を触られ髪を触られ、くすぐったさに背筋を固くしていると、俺を囲むクラスメイトが口々に言う。一応、褒められているのはわかるのだが、脳が受け取ることを拒絶した。


「んあああああ」


「あ!! 香坂くん!! 目、擦っちゃダメだよ!!」


 鏡の中にいるロングヘアのメイドさんは太い声をあげた……って俺だけども。


 今日の俺の服装は例のメイド服。ご丁寧にカツラまで装着され、胸上まであるロングヘアに変身していた。それだけでは済まず、腕に覚えのあるクラスメイトによって化粧まで施された。


 何かで挟まれてから何かを塗られた目元が、瞬きをするたびに音を立てているような錯覚に陥る。


「どう? かわいくなったでしょ?」


 鏡をじっと見れば、両目はくるりと上を向いたまつげに縁取られていた。まあ、女の子なら可愛いのかもしれないが、我が身に降りかかるとちょっと気持ち悪い。


 これも魔術師になるための勉強に……なったのか?


「はあ」


 カツラで重くなった頭を抱えていると、隣に呆れ顔の美人が立った。委員長である俺を差し置いてこの模擬店全体を取り仕切っている、一年四組のスイーツ番長、森戸淑乃である。


 彼女は長い髪を後ろでひとつにまとめ、白いシャツと黒のズボン、深緑のシンプルなエプロンを身につけている。ちなみに本日、クラスメイトの半数はこちらの服装。


 ていうか、俺もこっちでよかったんじゃないか? この期に及んでという感じだが、疑問は消えない。


「ちょっと、モジモジしないでよ。仕入れたお菓子は全部売るわよ。この店の成功は全部あなたにかかってるんですからね」


「何で俺一人の責任なんだよ」


「当たり前でしょ、委員長なんだから」


 まるで刺すような声色だった。どちらが真の実力者かなんて一目瞭然だが、どうやら責任だけは俺がとらないといけないらしい。


「なんだよそれは」


 肩を落とした俺に向かって、森戸さんはいつものように意地悪に笑った。ちくしょう、覚えてろよ。舌打ちは我慢した。


「大丈夫だよ、環くん。僕が半分背負って立つから。一人で悩むことなんかないんだよ」


 色とデザイン違いのメイド服に身を包んだ紺野先生が俺の背後に立ち、両肩にそっと手を添えた。


「先生……ありがとうございます。て、めちゃ綺麗ですね」


 違和感丸出しの俺とは違い、先生のそれはなぜか自然そのもの。ちなみに化粧も自分の手でしていて、手つきも慣れたものだった。


 先生にはお姉さんが四人いるらしいので、見ているうちに覚えたのかもしれないが、それだけなのだろうか。先生に関する謎は深まるばかりだ。


 じっと見上げると先生はまさしく花のように微笑み、クラスメイトからも感嘆の息が漏れた。


「ありがとう。環くんも笑って。それと背筋をまっすぐね。堂々としている方が素敵だよ」


「は、はい」


 そうだ。今日、俺がやるべきことは、この模擬店が成功するために尽力すること。


 腹を括って立ち上がり、後ろを振り返った。一年四組に属する学生と、専科、研究科から応援に来てくれた先輩。その視線を一身に浴びた。


「クラスの皆さん、それと先輩方も、今日はよろしくお願いします。飲食の模擬店は開場三十分後、十時に開店です。開店準備が終わり次第、自由に行動してもらってもかまいませんが、店番の時間には遅れないようにしてください」


 俺と紺野先生の役割は主に模擬店の宣伝。まずは学校祭を楽しみつつ、プラカードとチラシを持って学校中を回り、昼からは店にも立つ。


 担当を同じくするもうひと組と話し合い、俺たちは人気のアトラクションが集中する北側のエリアを歩くことになった。


「じゃあ、みんな楽しもうね!」


 開会宣言の放送ののち、誰かがそう言うと、全員が拍手をする。みんながこの日のために頑張ってきたのだ、必ず成功させてみせる。


 宣伝隊は外に、残りのメンバーは特別棟二階にある模擬店『喫茶・フォーリーブス』に移動し、開店準備を始める。


「一緒に学校祭回るの楽しみだね」


 開店準備に向かう珠希さんにすれ違いざまそう耳打ちされ、さらにやる気になった。




 ◆




 いつもは人気のない研修棟の裏は、今日はいつにない賑わいを見せていた。


 池の周りにはフェンスが設置され、人々が楽しそうに水面を歩き回っている。笑い声に惹かれるように岸に近づくと、足下が次第に冷えてくる。池を魔術で凍らせているからだ。


 ここでは分厚い氷の上を歩くという、温暖な地域ではなかなかできない経験を味わえる。この学校祭の名物で、毎年順番待ちの長い列ができるほど大人気なんだそうだ。


 フェンス沿いを歩きながら池の方を見ると、澄んだ氷の下で色とりどりの魚が泳ぎ回っているのが見えた。これもおそらく本物の魚ではなく何らかの魔術で作られたもの。目まぐるしく色や姿を変えたりするのでずっと見ていても飽きなさそうだ。時々あちこちから歓声が上がるのも頷ける。


「あらあ、香坂くんじゃない」


 池の様子に気を取られていると、頭上から声が降ってきた。気がつかなかったが、池のほとりには若干不似合いなものが目の前に置かれていた。


 紺野先生よりも背の高い、プールサイドや海水浴場でよく見かける監視台。てっぺんには、白ずくめの小柄な魔術師……進藤明世先生が、これまた白い日傘を差して腰掛けていた。


「紺野先生もお綺麗ですこと」


「ありがとうございます」


 進藤先生は『凍結』の魔術を得意とする、このアトラクションの仕掛け人。その難易度は高いものの、周りの温度に関係なく物を凍らせられるので、何かと重宝される魔術。


 ちなみに効果範囲の小さい物に関しては必修となっていて、高学年で習うそうだ。監視台の後ろにはテントを張ってあり、魔術書タブレットを持った先輩たちが数名控えている。進藤先生の補助のためだろう。


「香坂くんも可愛いわ。学生の時のお母さんにそっくりよ」


 性別も違うのに、本当か? という感じだが、進藤先生はニコニコ笑っている。体格のいいメイド二人組を見ても全く動じていないが、これが年の功というものなのだろうか。


「ど、どうも、あの、これ。もしお時間あったらぜひお越しください」


 模擬店のチラシを差し出すと、優しげな目元がうれしそうに細められる。


「あら、いいわね。甘いもの大好きだから、休憩時間にお邪魔させてもらうわ。楽しみね」


「ぜひ! お待ちしてます」


 呼び込み成功だ。これ以上は仕事の邪魔になってはいけないので立ち去ろうとした時、こちらを見ている人物がいることに気がついた。


 この明るい祭りに若干不釣り合いな、カラスのように真っ黒い服に身を包んだその女性は、こちらに軽く会釈をすると、マントを翻しながら別の方に歩いていった。池の向こう岸にはもうひとり。何かを警戒するように歩いている。


 ……思えば、あの服を初めて見たのは幼児の時。それからも定期的に何度か。普通に生きていればめったに出会うことはないかもしれないが、俺にとってはすっかりなじみの存在。


「……今日は魔術庁の人も来てるんですね」


「ええ。前にいろいろあったでしょう? これだけ人が集まるから、念のために巡回されているの。まあ、あの魔術師に今度出会うことがあったら、私が問答無用で氷漬けにするけれど」


 うふふと進藤先生が微笑むと、ひゅう、と冷たい風が吹いた気がした。この優しげなおばあちゃん先生は、、小川を丸ごと凍らせ父親をギリギリまで追い詰めている。あんなことが起こるのはもうごめんだ。


「さてと、環くん。そろそろ次に行こうか」


「そうですね……って、んッ!?」


 ここで突然だが自慢をひとつ。俺はめちゃくちゃ目がいい。毎年、視力検査は表の一番下まで攻略している。それゆえか、あり得ないものが見えてしまった。いや、さすがに見間違いかな?


「環くん?」


 紺野先生が首を傾げた。反射的に目を擦りそうになったが、クラスメイトに止められていることを思い出した。代わりに目を閉じて眉間を数回もみ、再び目を開けた。


 残念ながら見間違いなどではなかった。


 池の上に、ここにいてはいけない人物……父親と高月さんが並んで立っている。


「……おい」


「環くん、ちょっと、危ないよ」


 あまりのことに、フェンスから身を乗り出してしまった。


 父親は、珍しく上下白っぽい服装、髪は偽装しているのか黒く、眼鏡を掛けていない。夕涼み会に出没した『謎の魔術師』の特徴とかけ離れてはいるが、それにしても……素顔を晒すなんてどうかしている。


 そして、横にいる高月さんは姿を変えていない。今日は見慣れた白衣の代わりにグレーのジャケットを羽織って、重そうな革の鞄を斜めがけにしていた。


 二人はこちらに気づく様子もなく、足元を見て目を見開いたり、笑いながらしゃがんでみたり。高月さんはそのまま氷に触れ、メモをとったりもしている。こちらの魔術師の手並みを見ているのか、それとも本当に楽しんでいるだけのかは定かではないが。


 どちらにしても、穏やかな事態ではないことだけは確か……血の気がストンと引き、思わず監視台の上に目が行ってしまう。


『次に会ったら凍らせる』と言っていた進藤先生に変わった様子はない。先ほどこの辺りをウロウロしていた魔術庁の人も、今はもう近くにいなさそうだ。


「お時間終了です。係員の誘導に従って出口より退出してください。ありがとうございました」


 どう出るべきなのかと考えていると、入れ替えの時間を告げるアナウンスが響いた。氷の上に立っていた人たちが一斉に出口に向かい動き始めたので、父親と高月さんの姿が見えなくなってしまった。まずい。


「俺、今出てきた人たちに声かけてきます」


「いいね。じゃあいったん二手に分かれようか。僕は研修棟の方で声かけしてくるよ」


 先生が指さした先、研修棟の中でも何か催しがあるようで、入り口の前には人が列をなしている。


「じゃあ、俺も後でそっちの方に行きます」


 早く危険を知らせなければ。紺野先生の返事を待たず、俺は出口に向かい掛け出した。



 ◆



「ところで、父さんは何でここにいるんだよ」


「何でって、学校祭を楽しみに来たんだよ。あと、こいつがどうしてもお前に会いたいって言うから」


 無事に二人を捕まえ、ひと気のないところまで連れて行くことに成功した。どこか釈然としない顔の父親は、高月さんを俺の目の前に押し出した。


「高月さん、お久しぶりです」


「めぐ……たまきくん。久しぶり。げ、元気そうだな。良かった」


 明らかにこちらから目をそらし、なぜか若干青い顔をしている高月さん。思い詰めたような表情は、再会を喜んでくれているようには思えない。


 もしかして、別の世界に飛ぶと身体に不具合が生じるというのは、父親だけの話ではないのでは? 医者の不養生とも言うし……って違うか。


「あの、高月さん。もしかしてどこか具合が悪いとか……」


「いや、そうじゃないんだ……学校にはその、女の子の格好で通ってるんだな。そんな要らん苦労して……やっぱり……」


 その瞬間、スカートの下を秋の風が吹き抜けていった。もうすっかり忘れていたが、俺は今、メイド服を着ているのだ。珠希さんにアドバイスをもらい、今日は体操着のハーフパンツを中に仕込んでいるが、ひんやりとした風が妙に身にしみる。


 すかさずスカートを押さえた俺を、しごく真面目な顔の高月さんと、必死で笑いをこらえている様子の父親が見てくる。今まで押さえつけていた羞恥心が一気にこみ上げてきた。


「えっと……これはクラスの模擬店の衣装で……普段はちゃんと男子用の制服着てますよ」


 俺がやっとの思いで絞り出すと、糸が切れたようにホッと息を吐き、バシバシと背中を叩いてくる高月さん。父親は、我慢できなくなったのか大声で笑い出した。


「ああ! ならよかった。なるほどな。学祭ってそういう場だよなー。そういやオレも女装させられたことあったわ……」


 そんな心配をされていたなんて、想像もつかなかった。制服なんて別になんでもいいと思っていたが、もし女子の制服を着ろと言われたら入学することを諦めていたかもしれない。


「ところで、環くんのクラスの模擬店はどこにあるんだ? 絶対行くから」


「えっと、特別棟の二階です。えっと、ここからだと……」


 ショルダーバッグから校内の案内図を取り出し、今の位置と、特別棟の位置を指で示してみせると、高月さんは笑顔で頷いた。少し距離はあるが、一本道なので迷うことはないだろう。


「それ、写真に撮らせてもらっていいか?」


「あ、はい」


 写真に撮っておけば、手元ですぐに見られるということだ。高月さんがスマホを横向きに構えたので、案内図のシワをできるだけ伸ばして手に持った。


「よし、二人ともそのままな」


「「え?」」


 父親もいつのまにか懐からスマホを取り出していた。背面には大きめのレンズが三つこちらを見つめるように光り、中心には見覚えのないロゴが刻まれている。


 似たような形のはこっちにもあるよな……などと思った瞬間、シャッター音が数回響く。高月さんと同じく案内図を撮ったのかと思ったが、なんだかカメラの向きがおかしい気がする。


「え、何撮ったんだ?」


「そんな格好で……真面目な顔して……面白すぎる。蕗会が見たらなんて言うか」


 ディスプレイを指でなぞりながら、父親はクツクツと笑う。なんとも上機嫌な様子を見たその瞬間、全てを悟った。


「な、おい! 母さんに見せたら承知しないからな!?」


「あっはっは。だって、子供の成長は夫婦で共有しないといけないだろ」


 きっと、母親に会うことがあれば写真を渡すつもりなんだろう。実家の居間にある棚の上に、メイド服こんな姿の写真を飾られるのを想像すると背筋が寒い。


 だいいちあの大量の写真立てだって、俺が実家を出る前にはなかった。恥ずかしいからこんなものはしまって欲しいと頼んだら、「ひとりで寂しいから」なんて返されて、それ以上何も言えなかった訳だが。


「ああもうクソ……」


 大人たちに顔を見られたくなくて、背を向けた。この歳になってもまだ子供扱いされるのは、やっぱりむず痒い。誰かに見守られているというのは、心強くもあり、気恥ずかしくもあるのだ。


 逃げ出してやろうかと思った時、背後にいる父親と高月さんの笑い声が不自然に止んだ。


「おい、そんなところで何をしているんだ!」


 ピンチは突然訪れた。

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