10月〈?〉とある異世界にて
空に瞬くは満天の星。中央に巨大な月が浮かび、果てしなく広がる砂地を真っ白く照らしている。涼やかな風が吹くたびに舞い上がった砂が銀粉のように輝いて、幻想的な光景を作り出していた。
「ううっ、綺麗だなあ……隣にいるのがおっさんじゃなきゃもっとよかったのに……っ、ぷ」
「わざわざ付き合ってやってるのになんだよ、その言い草は。お前もおっさんだろ」
そんな美しくも荒涼とした大地に、二人のおっさんが並んで立っていた。白髪で眼鏡のおっさんと、白衣で小さいおっさんだ。
ここはある理由で放棄され、無人となってしまった世界。今は『時空連』と呼ばれる、異世界間移動が可能な世界が加盟する組織により管理されている。
無人ではあるものの人間が長期間滞在するにも問題のない環境に整えられているため、加盟世界が大規模な魔術魔法実験を行なったり、近頃ではこの幻想的な景色を目当てに観光ツアーの行き先としても人気となっている。
さて、なぜこんなところにおっさんが二人でいるのか。それはある目的のために、二人で仕事の合間に異世界ツアーを強行しているからだ。
「き、気持ち悪い……お前、ほんとよくこんなのに耐えられるな」
白衣のおっさん……
高月は斜めがけにしていた鞄から水筒を出すも、手が震え取り落としてしまう。それを横に立っている白髪のおっさん……
「お前が酔いやすいだけだ。普通はそうはならない」
「そりゃそうだけど……うっ」
高月は吐きそうになったのをとっさに喉を締めて押さえ込み、込み上がってきた涙を拭った。ここに降り立った時から、グラグラと地面が揺れているような感覚が消えない。
一応、医師として救命の前線にも出ることがある身。男性としてはかなり小柄とはいえ、体力にはそれなりに自信があるのだが。
「あのな、このくらいで根を上げられたら
「わかってるって……」
高月は医師でありながら、そこそこ腕の立つ魔術師。時空の壁を跳び越える転移魔術はかなり高度なものとはいえ、その実力をもってすれば易いはずの魔術。しかし、意外な問題があった。
高月は空間転移を行うと、ひどい車酔いや船酔いのような症状を引き起こしてしまう体質なのだ。この『転移酔い』は命には全く関わらないとはいえ、四十路過ぎのおっさんが半泣きで弱音を吐く程度には堪える。
医者であることをいいことに、吐き気止めやらなんやらを限界まで飲みまくってもこれだ。どうやら転移酔いには薬の効果が出にくいらしい。
「おい、へばってる場合じゃないぞヤブ。五分後にまた跳ぶ。座標を言うぞ」
「うええええー。もうちょっと休憩させてくれよお」
とうとう砂の上に寝そべり、埋まりそうになっている高月。同じく魔術師である冬月は、懐から取り出した懐中時計から目を離さないまま涼しい顔だ。
「別に魔力が枯れたわけじゃないんだろ。泣き言を言うな。とにかく数を打て。慣れろ。慣れればなんとかなる」
冬月にすげなく言われ、高月はずるりと身を起こす。
「ううっ、根性論かよ。研修医の時よりキツいって……」
医師免許を取り立ての若かりし頃、指導医にひたすらシゴキ……鍛えられた時のことを思い出すと今でもため息が出る高月。当時は医師として研鑽を積むため、連日立てなくなるまで仕事に励んでいたものだ。
もうあんな経験はしたくないと思っていたのに、今はそれ以上の苦行に身を置いている。
「……頑張れよ。
「うー……」
高月にとって弟も同然の親友……冬月の息子の環。事情があって離れた世界で暮らす彼が、こちら側に生きる父親を頼り時空を超えやってきて、初めて顔を合わせたのはもう三ヶ月前の話。
『初めまして。ち、父がいつもお世話になってます』
どこで拾ってきたんだよ、が第一印象。冬月と顔はそっくりでも性格は似ても似つかないように思えたからだ。
大人たちのわがままで生み出され、振り回されてしまった哀れな子供。
環が生きるのはこことはルールの違う……魔術を使えるのは女性だけの世界。父親の性質を継ぎ魔力を持って生まれてしまった彼は当然生まれ育った場所には馴染めず、自らの意思でこちらにやってきたのだ。
父親……冬月とは兄弟同然の関係とはいえ実の兄弟というわけではない。つまり環と高月の血は全くつながっていない。それでも高月は環のことを実の甥っ子のように思うようになっていた。
まあ、実際に可愛いんだけどな。と高月は空を仰いだ。不思議なことに、あのどこか人懐っこい笑顔にすっかり心を掴まれていた。かつて冬月が心を惹かれ、今でも忘れられないという女性の血がそうさせるのか、理由はよくわからないが。
どこか迷ったような表情を見せながらも、こちらで生きていくと言った環のために、高月は自分の通った医学校の付属校に推薦状を書く準備をしていた。それなりの難関ではあるが、あちらではそれなりの学校に籍を置いていたらしいということを見込んで。
冬月は一時期ほどではないとはいえ体調に不安があるので、いざとなったら自分が父親代わりになり面倒を見るつもりでいた。しかし数日後、彼はあっさりと生まれ育った世界に帰ってしまったのだ。
冬月はその理由について多くは語らなかったが……しかし、彼があちらにいることはあまり良いことではないことは冬月もわかっているはず。なぜ、こうも簡単に手を離したのだろうか?
異世界転移の術を持たぬ世界に、『外』の存在を知られてはいけない……これは守るべき掟。周りには出生にまつわる事情を何もかも伏せるしかない以上、あちらの世界に真の意味で守ってくれる存在はいるのかと。
ルールの違う世界に生きる異分子。もしその存在の意味に気づかれてしまったら……考えれば考えるほど絶望しか見えない。いてもたってもいられなくなった。
なんとかならないかと時空連の有力者である父親……冬月にとっても父親同然の人物だが……に申し入れるも、「
『あいつはやっぱり俺の息子だよ。俺もこんな身体じゃなきゃ、きっと何もかもを振り切って同じ選択をしていた』
高月が環を保護するため走り回っていることを知った冬月は、そう言うと寂しげに笑った。
高月は、愛する家族と生きる道を探しずっと苦しんでいた親友を間近でずっと支えていた。だが正直、冬月のことを弟のように思いながらもその気持ちは理解はできなかった。単に医師や魔術師としての好奇心や使命感で動いていたにすぎないのだ。
自分は昔も今も独り身で、誰かを深く愛したこともない。もちろんその逆も。
自らの身を滅ぼしてしまうかもしれないのに、それでも愛する人のそばで生きていきたいと思う気持ち。環もまた、父親である冬月と同じ種類の人間だったということだ。
やはり高月にはわからない。わからないが、単に一時の気の迷いから家出をした少年が家に帰り、何もかもが収まるべきところに収まった。たったそれだけの話……と思うほかなかった。
ならば大人として静かに見守るしかあるまい。助けを求められたら、黙って手を差し伸べるだけ。かつて自分が道に迷った時、周りの人間にそうしてもらったように。
「さて、時間だぞヤブ」
「あー!! クソ!!」
冬月の呼びかけに応えた高月は水筒の水を飲み干し、よろよろと立ち上がった。
まずは、環くんが選んだ世界がどのようなものなのかこの目で確かめてやる――高月は、決意を新たにした。
「絶対行ってやるぞ!! 学校祭ッッッ!!」
夜が明けることない静かな世界に、おっさんの雄叫びが響きわたった。
……決して異世界の女子校に興味があるからではない、念のため。
〈学校祭まであと……?〉
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