10月〈6〉出られない部屋・2

 閉じ込められてどのくらい経ったのかしら。そう思って壁にかけられた時計を見ると、まだ十分しか経っていない。あれから電気はすぐに戻り、部屋の惨状が明らかになって。


 先生がしばらくドアを開けようといろいろと試したけれど、やっぱりどうにもならなかったみたいで、肩を回しながらため息をついている。


「いやあ……押しても引いてもって感じだねえ。非力で申し訳ない」


「本当にごめんなさい……」


「大丈夫だよ」


 先生がドアと格闘している間、私はできるだけ綺麗にしておこうとひたすら飛び散った資料を拾っていた。


 ガラス窓の外では相変わらず激しい雨が降り、空もゴロゴロと鳴り続けている。雷はやっぱり怖いけれど、手を動かしている時が紛れるから。


 先生も資料を手早く拾い集め、空いているテーブルの上に積み上げる。


「ひと休みしようか。二人っきりでジタバタしたってしょうがないよ」


 そう言うと椅子を引いて腰を下ろした先生。私もその隣の椅子を引いて座った。先生は少し驚いたような表情を一瞬だけ見せると、また元の顔に戻る。


「これだけのことをしちゃったら、いつものセンサーが反応しそうなものなのに……誰も来ないですよね」


 学校中に設置されている『魔力感知センサー』は、一定以上の出力を感知、全てモニターしているという。たしか香坂くんとうっかり空を飛んだ時も、即座に一ノ瀬先生が飛んできたのをよく覚えている。


 先生は腕を組んで考え込むような仕草を見せていたけれど、ようやく口を開いた。


「なんせ停電してたからなあ……ちゃんと拾えなかったのかもしれないねえ。あれも結局のところ電気で動くから」


「えっ」


「あとは魔術教官や学生たちの感覚頼りだけど、一瞬のことだったからね。みんな同じようにあの雷で驚いてて、それどころじゃなかったりして」


「じゃあ、もし誰にも気づかれてなかったら……」


 先生は笑っているけれど、学校の中で孤立してしまったってこと? 血の気がさあっと引いていって、雨音が一段と大きく響いた。


「あ、あのっ! 魔術でなんとかならないんですか!? 術式とか呪文を教えてくだされば、私が」


 ここにいるのは魔術の深い知識がある先生と、魔術が使える私。二人で力を合わせれば……妙案だと思ったけれど、先生はなんとも渋い表情。


「……うーん、手立てはいくらでも思い浮かぶけど、一年生にはどれも難しすぎるかな」


「私、頑張ってみますから。例えば、簡単でも少し大きい魔術を使えたら、何かがおかしいって気づいてもらえるかも」


 先生は真面目な顔になった。


「だめだよ。僕には失敗しないように誘導や補助をしてあげることもできないし、何かあった時に止めることもできない。君の身の安全を保証できない」


 浅はかな考えだったみたい……力が抜けて肩が落ちた。なぜかうまく魔術を使える香坂くんや珠希さんと違って、私はいくら実技で一番上のクラスにいても、しょせんはただの一年生ということ。


 今の私にできるのは、ビー玉を両手を広げたくらいの範囲内で動かしたり、手のひらの上に小さい灯りを作るくらい。


「……役に立てなくてごめんなさい」


 なんだか悔しい、そう思った。


 先生に「困っている人を助けたい」と言っちゃったけれど、そんなのはまだまだ遠い夢の話。いくら力が強くても、今の私にはそれをうまくコントロールできなくてこうして迷惑をかけることしかできないのだから。


「それを言うなら僕だって。頭ではどうしたらいいかわかってても、自分では何もできないわけだから」


 先生は優しく笑っているけれど、どことなく瞳の奥が暗く見えて、心がざわついた。


 そういえば、今まで深く考えたことなんてなかったけれど、先生が魔術の先生になりたいと思ったのはどうしてなのかしら?


 男の子が『魔術師になりたい』と語ることはたまにあることだと思う。だけど本当に魔術の道に進む子なんていないに等しい。なぜならこの国には性別問わず魔力を持たない人が通える魔術学校はないから。


 透子さん曰く、先生はそういう学校がある海外に行って勉強していたという。そこまでしてここにいると言うことは、何か強い思いがあるのではと思った。


「先生は、どうして先生になろうと思ったんですか?」


 探偵ごっこの時、先生は私に「どうして」と尋ねた。きっとそのことを思い出したんだろう。先生は目をゆっくりと閉じる。


「そうだね。君に根掘り葉掘り聞いておきながら、自分のことを語らないのはずるいよね」


 僕は、と先生は静かに語り始めた。魔術師の家系に生まれて、自分も当たり前のようにそうなれると思っていたこと。おばあさんやお母さん、お姉さんたちに憧れていたこと。想いは叶わないと知って絶望したこと。


 人命救助の最前線にいたお姉さんのことを誇りに思っていたこと。そんなお姉さんが不慮の事故で亡くなったことをきっかけにこの道に進もうと決心したこと。


 学業を修めたけれど、ここまでくるのは一筋縄ではいかなかったこと。


 夢は叶えたけれど、いろいろな場面で無力さを感じたこと。


 それでも、二つ目の夢は諦めたくないんだということ。


 私は先生の話をじっと聞いた。ただ珍しくて面白いことが好きなお兄さんだと思っていたんだけれど、実は静かだけど熱い思いを持っていらしたことに月並みだけれど胸を打たれていた。


「ごめんね。長々と語ってしまって」


「すみません、ありがとうございます。その、すごく頑張られたんだなって」


「いや、そうでもないけど……」


 先生が照れくさそうに笑った瞬間、窓の外が光って、再び雷鳴がとどろいた。地面が揺れたのかと思うくらい大きな音が響いたのに、私の心は揺らがない。恐怖なんかよりも、もっと大きなものが私の中に芽生えていたから。


「怖くないかい?」


 柔らかな声は、まるで呪文でも唱えられたかのように心にストンと入り込んできて、自分でも驚くほど落ち着いていられる。


「大丈夫です。先生がいらっしゃいますから」


「そうか、ありがとう……」


 ゆっくりと先生の手が伸びてきて、目が釘付けになる。白くて長い指に、綺麗に整えられた爪。でも、女の人のものではない。


 そうだ。私は今、ドアが壊れてしまった部屋で男の人と二人きり。まさか先生に限ってと思うけれど、でも…………!!


 急に怖くなって身構えたけれど、その手が私に届くことはなかった。


「あ、来てくれたみたいだね」


「え?」


 急に足音が近づいてくる。どうやらひとりではないみたい。ずっと静かだった廊下が、にわかに騒がしくなってくる。


『紺野先生!! 大丈夫ですか? 森戸さんは?』


 ドアを激しくノックする音。そしてこの声は……。


「一ノ瀬先生!? 気づいてくれたんですか!?」


 紺野先生が首を横に振る。


「……実はあの後すぐ、全職員向けにメッセージを送ったんだ。『閉じ込められちゃったから助けてくれ』って。停電で通信が混乱してたみたいだけど、ようやく届いたみたいだねえ。さてと」


 先生はゆるりと立ち上がり、ドアのほうまで歩いていった。


「すみません、お手数おかけします。ふたりとも無事です」


 壊れたドア越しに応対する先生の背中を、私はただぼうっと見ていた。



 ◆



 その後、先生たちが何かの魔術を使い、ドアは何の引っかかりもなく開け閉めできるようになった。てっきり修理業者さんが来るものだと思っていたから、魔術の万能さにただただ驚くばかり。私にもいつかできるようになるかしら?


 ようやく廊下に出てみると、思ったより人が多かった。先輩たちと、私を診察するために呼ばれたらしい先生、他数名の先生。


 散らばった資料の後片付けも先輩たちがやるとのことで、私はそのまま医務室へ連れて行かれてしまった。


「今回は大変だったね。実は私も雷嫌いで、昔は似たようなことよくやらかしてたの。あとは弟に驚かされたりとかで……まあ、どっちみち魔術を使うのに慣れれば跳ねなくなるからね。今のあなたは単に不安定ってだけだから」


 お姉さんを驚かせてって、やんちゃな子なのかしら。そういえば、かがり先生は紺野って名字で、お顔だってどう見ても。


「……かがり先生、弟さんもいらっしゃったんですね。その、紺野先生はお兄さんですよね?」


「ううん? ……ああ、紺野先生は弟だよ。名字が同じだし顔もそっくりだから、やっぱりわかっちゃうよね」


「……えっ!? うそ!! お姉さんなんですか!?」


「うん、私が姉だよ。五人きょうだいの四番目。ともくんは五番目で、私の三つ下なの。え、私ってそんなに若く見えるってこと? 嬉しいかも」


 かがり先生はニコニコ笑いながらファイルを開き、何かを書き込んでいる。何回目かの診察の時、かがり先生はこの学校の卒業生で、私のちょうど十年先輩だと教えてもらったのを覚えている。


 だから、かがり先生は二十代半ば……紺野先生はその三歳下ということは。


 ……どう考えても学校を出たてのお年ってことになってしまうけど、四、五年生の先輩たちは「入学した時から紺野先生はここにいた」と言っていた気が。


 何かがおかしいわね。


 なんとかして計算式を成立させようとしたけれど、無理じゃない? 頭から煙を出しそうになっていると、かがり先生がハッとした顔をしている。


「あ、計算しちゃってるかな? ネットで検索したら理由含めてすぐにバレちゃうけど、気にしてるみたいだからそっとしといてあげてね」


「えっ、どうしてですか?」


 別に隠すことでもないのでは思うけれど。かがり先生は、机の上を綺麗にするとそっと立ち上がった。


「まあ、本当のところは本人にしかわからないけど。学生と大して歳が変わらない若い男が、わざわざこんなところにって……変な勘ぐりをする人もいるみたいだしね」


 私は過去の自分を思い出して、ちょっとだけ胸が痛くなった。



 ◆



「はぁ……なんだかすごく長かったわ」


 医務室を後にして昇降口を出る頃には雨も上がり、すっかり藍色に染まった空には一番星が輝いていた。十月ももうすぐ終わる。陽が落ちるのが早くなって、頬を撫でる風も少し冷たい。秋が着実に深まっているということね。


「あ、森戸さん」


「先生!」


 どこから呼びかけられたのかと思い目を凝らすと、昇降口の前にある外灯にもたれかかるようにして紺野先生が立っていた。


 偶然……なのかしら? ここまでくると運命的なものすら感じるわね。そんなことをチラリと考えていると、先生に笑顔で手招きをされた。


「ずっと君を待ってたんだ」


「えっ?」


 漫画でよく見るセリフに、ドキッとした。頭上でこうこうと光る外灯がまるでスポットライトのようで、突然舞台にでも上げられてしまった気分。


 先生は私をまっすぐ見つめている。あまりにも現実感がないシチュエーション半ばぼうぜんとしていると、先生は黙って自分の鞄の中に手を入れた。心臓の動きが再び忙しなくなる。


「これ、よかったら」


 先生が取り出したのは指輪や花束……な訳がなく、学校名入りの大きな封筒。差し出されたので受け取ると、本が何冊か入っていそうな重さ。


「えっと……?」


「課題に使えそうな資料を借りてきたんだ。せっかく資料室に行ったのに何もできなかっただろう?」


 ニコッと笑った先生の顔が、胸の奥に触れてくる。


「……私のためにわざわざ借りてきてくださったんですか?」


「うん。本当は学生が持ち出すのは禁止だけど、今回は特別に。締め切りも明日だっていうし、少しでも役に立てたらと」


「いいえ、ありがとうございます……すごく嬉しいです」


 別に放っておくこともできるのに、こうして気にかけてもらえたのが嬉しい。顔を上げると、先生は目を細め私をじいっと見つめている。


「よかった。それとね……ちょっとごめんね」


 突然、大きな手を頭に添えられた。完全に油断していたから、まるで針金でも通されたみたいに背筋が固まってしまう。


「あ、あのっ」


「……ほんと、綺麗な髪だよね。羨ましいなあ」


 ささやくように先生は言った。もし珠希さんから言われたなら、すぐに「ありがとう」と返せるけど、今はまともな言葉が出てこない。ただ頬の筋肉が震えて、パクパク口が動くだけ。


 そのまま先生の手は私の髪をゆっくりと梳く。一体どうしてなのかわからなくて、指が滑っていく感触に心臓が飛び出しそうなのを、封筒をぎゅっと抱きしめてひたすら耐える。


 顔が、熱い。


「せ、先生……っ」


「あ、えっと。ごめんね。髪にゴミがね……さっきから気になってたんだけど、なかなかタイミングが」


「えっ!?」


「ほら」


 黒っぽい糸くずが先生の指先で揺れていて、床が抜けたかのような気分になった。倒れそうになったけれど、必死で足を踏ん張る。


「すっ、すみません!! やだ……」


「……資料それは明日、僕のところまで持ってきてくれるかな。職員室にいるようにするから。それじゃあね」


 先生は何事もなかったかのようにヒラヒラと手を振ってから歩き出した。本当に、何事もなかったかのように。


 帰る方向は同じだけれど、「一緒に帰りませんか」と言う勇気はなくて、借りた資料をぎゅっと抱きしめ先生の足跡を辿るようにゆっくりと歩く。


 意識してるのは私だけ。「特別」という言葉が頭の中でぐるぐると回る。当たり前だけれど先生にとって私はただの学生で、そこに深い意味なんて何にもないのはわかってる。


 もっとこの人を知りたい、そばにいて力になりたい。守られたいというよりは守りたい。そんな不思議な気持ちが確かに芽生えている。


 これを恋と呼んでいいのかは、やっぱりよくわからないけれど。


 もしそうだとしたら、ちょっぴり道は険しそうね。空を仰ぎながら、そんなことを思った。






 〈学校祭まであと三日〉

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