10月〈5〉委員長はつらいよ
放課後。今、教室にいるのは六人の学生と、担任の浅野先生。
「では、これよりミーティングを始めたいと思います」
教壇の上から俺が言うと、全員が目の前の資料に目を落とした。
これから行う話し合いの内容は、学校祭で出す模擬店についてだ。各班の代表者が集まって、これまでの進捗を報告し合う。学校祭まではあと十日ほどとなり、明日から授業の時間も使いつつの本格的な準備期間に入る。『学校祭は明日から始まるよー』と上崎先輩に言われたが、その通りだと思った。
さて。俺を含め、中学まではこの手の催しで模擬店を出せなかったという学生が多かったからなのか、事前アンケートは『食べ物の模擬店をやりたい』という意見でおおむね一致した。
それを踏まえての最初のクラス全体の話し合いの結果、我が一年四組は、『クラシカルメイドカフェ(仮)』なる喫茶の模擬店の計画を企画書にまとめ、学校祭の実行委員会に提出した。どうしてメイドカフェなんだ? と思ったが、可愛い服が着たいからという理由らしい。
「森戸さん、何から何までありがとう。おかげで実行委員会の許可も無事に下りたよ」
「どういたしまして。でも、残念よねえ……まさか、あれもダメ、これもダメと言われるなんて。模擬店って難しいわ」
メニュー班のリーダー、森戸さんがため息と共に苦笑いを見せた。
雪寮『お菓子を作って食べる会』
月寮『スイーツ好きの集い』
花寮『製菓研究会』
以上の料理系サークルに所属する学生が、二十人しかいないクラスにたまたま揃っていた。そんな彼女たちが主導し、クリームたっぷりで
しかし、実行委員会から『それは保健所の許可が下りない』とすげなく言われ、企画の変更を余儀なくされてしまったのだ。
魔術を好き勝手使ってはいけないのと同じように、学校祭の模擬店といえど好きなように営業するわけにはいかないらしい。食品を提供する以上、食中毒のリスクは付きまとうので当然なのだろう。
模擬店で売っていいもの悪いもの、設備に必要なもの、提供物の調理や取り扱いの手順もきちんと定められていると教えてもらった。おそらく誰しもが俺と同じように『魔術とよく似ているな』という感想を抱いたのではないだろうか。
結局、市販の焼き菓子を仕入れ、カップに入れた飲み物と共に提供する……という形を取ることに決まった。ここから担当者三人は、メニューの考案というより、業務用食品のカタログとにらめっこをすることになってしまったのだ。
「でも、お菓子は予算内でイメージに合うものが見つかったわよ。使い捨てのお皿やコップしか使えないけど、いい感じになるように頑張るわ」
この件では先日、『別に普通の白い紙皿と紙コップでいいのでは?』と言って睨まれてしまった俺。今後、意見を求められることはないだろう。そのあたりは森戸さんに任せておけば間違いないという安心感がある。
「森戸さん、引き続きよろしくな。……あと、衣装はもう揃ってるんだよな? しかし、十着……いや、十一着か? すごいよな
「ううん。十二着だよ香坂くん。でも、一から作ったのは香坂くんと紺野先生の分だけで、あとは既製品を改造したんだよ」
今の発言は衣装担当の
予算の都合で全員分ではなく、接客にあたる十名分の衣装の製作を彼女の所属する被服サークルに依頼した。あとのメンバーは揃いのエプロンと手作りの腕章をつけることになっているのだが。
「……いや、待って? もしかしてアレ、本当に着なきゃダメなのかって、いや、紺野先生も本当に着……」
てっきり手の込んだ冗談だと思っていたが、青柳さんはどう見ても本気の目をしていた。
「え、そうだよ。だって面白いじゃん。それに制服姿の男子はすごく目立つだろうし。メイド服着てたらうまく紛れられるでしょ」
頭を抱えた俺に青柳さんはしれっと言い放つと、残りの四人がバラバラに頷く。先日、俺のところにメイド服を持ってきた歌川先輩も同じようなことを言っていたが、俺はまだ全然納得していない。反論することに決めた。
「いや、メイド服の野郎二人組はどう頑張っても紛れないだろ……それに目立っちゃダメってなら、俺は裏方でいいんじゃ!?」
だいいち、俺は女子の平均身長より頭一つ背が高い。紺野先生はそれよりさらに高い。遠近法でも利用すれば何とかなるかもしれないが、目の前にある企画書には『委員長とヘルプの紺野先生が看板持って客引きをする。理由、注目間違いなしだから』とある。
隠れる紛れるどころか、思いっきり前線に放り出されるんじゃないか。むちゃくちゃである。
「なんでよお。紺野先生はノリノリだし、なんてったって香坂くんはこのクラスの委員長でしょ」
「それ、どういう理屈なんだ……矛盾しか感じないんだけども」
「理屈とか矛盾とか、委員長頭が硬いんじゃない? みんな楽しみにしてるのに。ねえ」
「はぁ!?」
青柳さんの両隣が頷いた。教室後方に座る浅野先生まで笑っている。すっかり追い詰められてしまった俺は救いを求めて森戸さんを見た。仲がよく、かつ曲がったことが嫌いな彼女なら、もしかしたら助けてくれるかもと。
「私もすっごく楽しみだわあ」
突き放すかのように月夜の色の目が弓のようにぎゅっと細められる。それはいつも俺に意地悪をする時の顔にほかならなかった。俺の反応を楽しむ時にだけこの人はめちゃくちゃ曲がったことをするのだ。どういうわけか。
「なんでだよ!? やだなああああもう!!!!」
頭を抱えると、教室は笑い声に包まれる。どこからともなく聞こえたカラスの鳴き声が、『諦めろ』と言っているように聞こえた。やっぱり、腹をくくるしかないのか。
◆
教室での話し合いを終えたあと、帰ろうとして開けた下駄箱にメモが入っていた。丸みを帯びた字で『待ってるね』とだけ書かれたメモ。放課後に待ち合わせるための、いわば暗号のようなものだ。
「ごめんな。お待たせ」
そして……彼女はいつものベンチに座っていた。陽は西に傾き、目の前の池の水は鏡のように静かで、水面に暮れゆく空を映している。一方で、すでにリンリンと秋の虫たちは賑やかだ。持っていた本を閉じた珠希さんの隣に腰掛ける。
「おつかれさま」
「何か、つかれた……」
肩を落とすと、髪をそっとすかれた。この頃、準備のためにあちこちを走り回って溜まった疲れが少しだけ吹き飛ぶ。
「私たちも明日から準備だよね」
「そうだなー。たぶん忙しくなるよなあ……」
それに普段はひと気のないこの辺りでも、学校祭のイベントの舞台になるらしく、明日からはその準備のために学生が行き交うことだろう。しばらくはこの秘密の時間を持つこともできない。
珠希さんの腕を引き自分の方に抱き寄せた。分厚い制服越しでも彼女の身体の柔らかさが伝わってくる。甘い匂いに包まれて、これでしばらく頑張れそうだと思ったのも束の間。
珠希さんは今まで何かしらの反応を見せてくれたのに、今日は俺の胸に耳を押し当てるような格好のまま、じっとしていた。
恐怖で固まってしまったのだろうか。親しき仲にも礼儀あり、何も言わずにいきなり手を出してしまったのはまずかったらしい。恥ずかしくなって、あわてて腕を解いた。しかし彼女は離れない。
「ああっ、突然ごめん」
「……ううん。違うの。時計の音がするなあと思って。腕時計の音、じゃないよね?」
「あ、誕生日プレゼントに……ち、もら、もらったんだ」
『父親に』と言おうとしたが、やはり口が思い通り動かない。うまく形にならなかった言葉を飲み込んでから再び珠希さんを見る。興味を抱いているのか、ポケットのあるあたりから指を離すことがない。
「わあ、かっこいいね」
「だろ」
艶消しの銀色の時計は、父親が持っているものと色違いで揃いのデザイン。ここへの入学の際、母親に買ってもらった腕時計もずっとつけているのだが、近頃はこちらの時計も何となく、お守りのように持ち歩いていた。
調べてみると懐中時計にも色々種類があるらしいが、これはハンターケースと呼ばれるタイプ。蓋を開けないと文字盤を見ることはできない。竜頭を押し、蓋を開ける。蓋裏には俺の名前が刻まれている。
珠希さんは目を寄せて、じっと時計を見つめている。きっと中の機械の動きに注目しているのだろう。俺も最初は同じだった。
向こうの時計もこちらのものと同じなので、見られても心配はないだろう。文字盤に大きく開けられた窓から大小さまざまな歯車がちまちまと動くのが見え、その上で三本の針がそれぞれの役割を果たしている。
そういえば、時間の流れもここと同じだった。だから父親も今頃、同じように夕暮れを見ているかもしれない。それにきっと母親も。空にたなびく雲を見ながらそんなことを思う。
「そっか、離れてても、ちゃんと想ってもらえてるってことなんだね」
珠希さんも同じように空を見ていた。俺が詳しく話せなくても、どうやら彼女にはお見通しなようだ。
「えっ、ああ。そういうことなのかな」
「うん、いいなあ。そういうの」
話を濁しながら時計の蓋を閉め、内ポケットにしまった。どちらにしろ俺の口からは話せない。そういう約束だ。
「ねえ」そう言った珠希さんの瞳の奥で、青とも紫ともつかない、不思議な色の光が揺れている……ように見えたが、目を凝らすとすぐに消えてしまった。
「……絶対に、どこにも行かないでね」
唐突だが的を射ている。時計の仕掛けに気づかれた、そう思った。これにはあちらへ飛ぶための術式が仕込まれていて、俺が念じれば作動する。
『こちらの魔術師にはバレないようにしてある』とは父親に言われたが、思えば珠希さんは似たような道具を持っているので、見ただけで何かを感じたのかもしれない。
すっかり栗色に戻った瞳を見つめた。彼女にはまだ何か隠していることがあるとは思う。でも、誰にだって知られなくないことはあるだろうから、深くは追わない。いつかそれを知った日に、心は揺れてしまうかもしれないが……
「ああ、わかってるよ」
……それでも、離さないと決めたから。
「私も絶対逃げないから、環くんも逃げないで」
「……え?」
真剣な顔をした珠希さんがなぜかこちらに迫ってくる。それに、言っていることの意味がわからなかったので聞き返そうとした途端、唇を塞がれてしまった。彼女の方からこうされたのは初めてで、一気に身体の熱が上がった。
いつもと同じで、深いものではなく単に触れているだけ。でも、頭の芯が今までないほどにビリビリとしびれ、目が回りそうになった。温かいものと熱いものが、全身のあちこちでせめぎ合って、理性みたいなものがプチプチ焼き切れていく気がした。瞼の裏で火花が散る。脳が溶けそうになる。
もっと、もっと欲しい……この先を望んでしまった瞬間、彼女の唇が離れた。
「あっ、環くん、いきなりごめんね。大丈夫?」
「ああいや、だ、だいじょうぶ……ちょっとだけ鼻が詰まってたから……かな」
我ながら言い訳が下手くそだったと思う。彼女が心配そうな顔をしているのも無理はなく、自分でも驚くほど息が荒かった。少し冷えた秋の空気で肺が満たされると、ようやく頭の中と熱った身体が落ち着いてきた。
危なかった、そう思った。俺にこれ以上は許されていないのだ。いろいろな意味で。
「あの、さっきの、逃げないって、どういう意味……?」
呼吸が落ち着いた頃、改めて問うてみた。
「……えっと? 学校祭の衣装だけど、きっとみんながすごく可愛くしてくれるから大丈夫だよ」
「はぁっ!? そっちかッ!?」
てっきりもっと深い話なのかと思っていた俺は、ベンチから転がり落ちそうになった。
そういえば俺のメイド服姿を『可愛い』って言ってくれてたよな、意味がわからないけど。頭をかく俺の横で、珠希さんはニコニコと笑っていた。
彼女が笑ってくれるなら、頑張ってもいいかもしれない。俺はとうとう決断した。
〈学校祭まであと十一日〉
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