10月〈4〉ぼくの大切なひと
その日は、とってもいい天気だった。大きなおやしきにつれていかれたぼくは、おとうさんにいわれたとおり、じっとしていた。
「
おかあさんにそういわれて、ぼくはおしえられたとおりおじぎをした。ごあいさつをわすれてしまったので、あわててつけたした。
「と、透子ちゃん。はじめまして」
「おお! きみがわたしの!」
そういってぼくをぎゅっとだきしめた透子ちゃん。おにんぎょうみたいにきれいな目をしていて、ひだまりみたいにあたたかくて、お花みたいにいいにおいがした。こんなにかわいくてきれいな女の子が、ぼくのおよめさんになってくれるの?
なんだかドキドキして、むねの中がくすぐったかった。まるでえほんの王子さまにでもなった気もちだった。
◆
……あれから十年。今日は十月のとある土曜日。
「へっくしょん!」
「透子、大丈夫?」
「うぬぬ……近頃は妙にムズムズするの。別に花粉症というわけではないはずなのだが」
ぼくの名前は
四宮家と六弥家はともに魔術の名門家などと称される。こういう家にはなぜか男児は極端に生まれにくいとされるんだけど、六弥はそんなことがない。ぼくの家も、五人きょうだいのうち二人は男子で、ぼくは次男だ。
家を継げるのは女性だけなので、男子はよその同じような家に婿に出されることも多い。男子に魔術は使えないけれど、その形質はしっかり受け継いでいるとされているから。そういうわけでぼくは、彼女と七歳の時に婚約したんだ。
「夜になると冷え込むようになったからかもね。まさかとは思うけど、布団を蹴ってお腹出したまま寝てないか?」
「ううむ……まるでどこかで見ていたかのような口ぶりだの」
「わかるよ、透子のことなら」
ぼくが頷くと、透子はバツが悪そうな顔をした。
透子はこの秋からは海外の魔術学校へ転学する予定だった。しかしそれは立ち消えになり、透子は後期になってからも東都高魔に通っている。海を超え離れ離れにならずに済んで、本当によかったと思う。
またこうして、向かい合って読書ができる喜び。ぼくは小さな幸せをじっと噛み締める。ぼくたちはまだ、婚約者同士というより今はただの読書友達といった感じ。それでも唯一彼女のそばにいることを許されている男なのだと、優越感を感じていたりもした。
今日はいつもの本宅の方ではなく、初めて透子の隠れ家に招かれた。彼女の大好きな水色屋根の可愛い家に二人きり。何かが進むのではないかと期待せずにはいられないが……それを顔に出すのはさすがに恥ずかしい。
色々と考えてしまい、ページをめくる手が止まったぼくを尻目に、透子は早くも一冊読み終え別の本を手に取る。そういえば、これも妙に煌びやかな表紙。読書家である彼女の前には十数冊の本が積み上がっているが、背表紙に書いてあるタイトルから察するに、全て恋愛小説だ。
さて、透子はぼくと婚約していることを不満には思っていないらしい。というより、ぼくのことをひっくるめて別になんとも思っていない。なぜなら彼女には恋愛感情というものがなく、この手の話題にひとつも興味がないから……だったのに。
「うむ、なるほど……両家の諍いが二人の障害になるわけでござるか。それを乗り越え互いに結ばれる様を描いた作品ということだな。しかし、この義妹というのが曲者よの。妹というものはたとえ血の繋がりがなくとも姉を慕うものと思っておったが、どうやらそうとは限らないようだ……ふむ……」
ぼくが目の前にいるのに、本をバラバラとめくりながら内容についての独り言をこぼしている。近頃の透子はずっとこんな感じで、なんと自らの手でこの手の恋愛小説ばかり漁っているらしい。いったい、いったいどうしたんだ?
出会ってから十年、ずっと揺るぎなかったはずの彼女が突然の変化を見せた。ぼくは、ある可能性に思い至った。
……あまり公にされていない話だが、東都高魔には現在、男子学生がひとり在籍しているという。魔術の素質を持つのは女性のみ。だから魔術の学校に男子学生がいるはずがない、本来ならば。
しかし神の気まぐれか、魔力を持ち魔術を使えるたったひとりの男性が確かに存在しているのだという。ぼくは、意を決して透子に尋ねることにした。
「そ、そういえば。透子の学年には男子学生がいるんだってね?」
「あな。彼のことを知っているのかね?」
透子が『彼』とさらりと口にしたことに少々ひるんでしまう。本をパタンと閉じた透子は、ぼくをまっすぐに見つめてくる。彼女の綺麗な水色の瞳は、まるで清らかな泉のようにどこまでも澄み渡っていて、吸い込まれてしまいそうだ。
「いちおう噂にはなっているよ。なんせ世界でひとりって話だろう……どうしてもね」
「……ふむ。まあ、彼は同じクラスで最も親しい友人ゆえ、何かと連むことが多いかの。最近は補講授業でも毎日一緒だ。ここに招いたこともある」
「えっ!? 同じクラス!? それにつるっ……えっ!? ここにも!?!? まっ、まさか透子、その男と……」
「ん?」
透子に不機嫌とも取れる表情を向けられ、喉が一気に干上がってしまった。潤そうとするも、恥ずかしながら動揺が丸出しで、手に持ったカップの水面がブルブルと震えている。
そいつが透子に懸想でもしたらと思うと気が気でない。なんせこんなにも愛くるしくて、聡明で、魅力的な女性なんだ。そんな彼女と同じ教室で共に過ごして、惚れるなというのが無理な話だろう。
それに、婚約者であるぼくより先にここに招かれるなんて。いったいどういうことなのだろう?
全身を冷たいものが駆け巡った。もしや、既にぼくが恐れていた事態になっているのではないか? と。唐突に
ずっと女子校育ちだった透子とは、同じ教室で机を並べることなどできなかった。それなのに、そいつは……なんて羨ましい!!
ぼくだって、ぼくだって透子と同じ学校に通って、学校生活を一緒に過ごしてみたかった!! いや、そもそも学年が違うけど、そのためなら留年だって辞さないというのに!!
「あやねどの?」
悟られぬように拳を震わせていたぼくを、透子はいぶかしげに見ていた。余裕のない態度を覗かせてしまったことに火を噴きそうになってしまったが、咳払いをしてなんとか溜まった熱を逃す。
「と、透子? ぼ、ぼくたちはその、いずれ……わかっているよね?」
「ん? 結婚するのだろう? わかっておるよ……どうしたのだ、先ほどから様子がおかしいな」
「う、うん」
ぼくの質問にやや気だるそうに答えると、気持ちを切り替えたのか再び読書にいそしむ透子。時折難しそうな顔をしては、最近気に入っているらしい紅茶をひと口。
小さく尖った唇が、小鳥のようでとてもとても可愛らしい。早く奪ってしまいたい、そんなことを思うようになったのはいつの日からか。
きっとこんな気持ちなのは、ぼくひとりだけだけど。
「そうだ、忘れぬうちにこれを渡しておこうか」
どこから取り出したのか、青磁色の紙切れを差し出された。ミシン目が入っているところでふたつに切り離せるようになっている……どうやらチケットのようだ。
裏に返すと『東都魔術高等専門学校学校祭・入場券』と記してある。
……これは!!
「えっ!? ぼくを招待してくれるの!?」
魔術学校という特殊な場所柄、学校祭は基本的に招待制が取られる。チケットを入手し入場できるのは在校生や教職員、卒業生の知り合いか、近隣住人に限られる。とはいえ、かなりの人数が呼ばれるらしいので、それなりに賑わうそうだが。
「ん? ああ。こういうことでもないと、たとえ六弥家の人間とはいえど、男性は魔術学校の中になど入れんだろう? わたしは当日クラスの模擬店の店番などもあるが、空き時間に共に回らないかね。学校には面白いものがたくさんあるぞ。ああ、もちろん、興味があるならでよいが」
「ある。行く」
透子とふたりで学園祭を回るなんて、夢のようなお誘いではないか。興味があるとかないとかではない、どんな予定より最優先されるに決まっている。スマホのスケジューラーを確認すると既に予定が入っていたが、素早くキャンセルした。
この話に乗らなければ一生後悔する。ぼくは後悔などしたくない。もしも天変地異でも起こって行けないなんてことになったら、ぼくは東都の地縛霊になる自信がある。
「よし。店番の時間が決まったら、また連絡しようかの。その時に待ち合わせの時間を決めようではないか」
「……ところで、透子のクラスはどんな模擬店を出すの?」
「ええっと……確か『クラシカルメイドカフェ(仮)』だったかの?」
「ウッ」
不意打ちに、ぼくは紅茶を噴き出しそうになった。天下の四宮家令嬢がメイド服を着るなんて、よく当主様が許可されたとは思うが……個人的には嫌いじゃない。むしろ。だって。
この手のメイド服って絶対フリフリしていて可愛いやつというのが相場だ。 リボンとか、フリルとか、そういうアレだ……それに、もしかしたらミニスカートかもしれないじゃないか。
だめだ、今はあまり具体的に想像してはいけない。さもなくば透子の前で間違いなく醜態を晒すことになってしまう。それだけは避けなければ。ぼくは何事にも動じない透子にふさわしい男になるため、何事にも動じてはいけないのだ。
とりあえず、学校祭まで精神の強化に努めなければ……ずれた眼鏡を押し上げて前を見ると、再び本を開いていた透子がぱたぱたとスカートの裾を蹴っていた。面白いシーンなのだろうか?
「あやねどのと学校祭、楽しみだのー」
確かにそう口ずさんだ透子。ぼくは、しばらく眠れない日々を過ごすことになりそうだ。
〈学校祭まであと二週間〉
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