10月〈3〉俺のための服

「少し背が伸びてるみたいですね。制服は窮屈だったりしませんか」


「いや、特に気にならないです」


「わかりました」


 肩幅や腕の長さ、胸回りや腰回り、あちこちを細かく計測される。


 一通り測り終えると、業者の人がメジャーをクルクルと巻いた。それを目で追ってから一礼する。机の上に置かれた紙には、数字が細かく書き込まれていた。


 ある日の放課後、男子寮。二年生から必要な実習着を作るための採寸に、学校指定の業者の人たちが訪れていた。俺が毎日着ている制服も、この人たちの手によって作られたものだ。


 東都の実習着は濃灰色で、所々に緑色がアクセントのように入る。外での実習時に着用するため、汚れや動きに強く、洗濯にも耐える素材でできているらしい。


 マントを上に羽織るスタイルはやはり魔術師独特のもの。男子用のものは当然この世界には存在しない。


 女子の採寸は年明けに行うらしい。俺だけ早く採寸されたのは、これをもとに、またから作り上げる必要があるからだ。先日、試しに女子用のものを試着してみたものの、サイズが大きいものでも体格に合わなかったのだ。


 業者の人たちを見送った紺野先生が、壁にかけてある俺の上着を見て笑う。


「そういえば、君の制服も世界に一着だもんねえ。貴重なんだよなあ」


「はい。女子の制服の何倍もするみたいで。車買えるかもって母親が笑ってました」


「おおー……まあ、僕みたいな人間からしたら、憧れの服だしね」


 先生は感嘆の声をあげ、目を輝かせた。魔術師お決まりの服装……上着に肘を隠す丈のケープが取り付けられた特殊なデザインの制服。


 これも、もちろん俺のためだけに作られたものだ。男子用に同じデザインのものを作るとなるとかなりコストがかかるということで、同じ生地を使った普通のブレザーの制服にしてはどうかという提案もあったらしい。


 しかし、『やっぱり魔術師はこうでないと』という母親の強い希望で、なんと入試を受ける前から制作に取り掛かり完成した服なのだ。


 もちろん、そんなに手間のかかった服に袖を通すなんてことは生まれて初めての経験だった。


 学費や寮費はかなりの格安とはいえ、子供を遠方の学校に通わせると、なにかとお金がかかるものだと思う。だから制服なんか別になんでもよかったのだが……少々無理をしてくれたのも、俺の将来に期待を込めてくれたからだと今ならわかる。


 その時、インターホンが鳴った。宅配便だろうか? 俺と同じ考えだったのか先生も同時に反応し、壁にかけられた受話器で話をしてから玄関の方に向かった。


「香坂くん、こんにちはー!」


 予想に反して、先生とともに現れたのは四年生の歌川先輩。学生会の役員で、代表委員会でもたまに顔を合わせる人だ。片手には大きな紙袋を持ち、満面の笑顔で立っている。


 確か上崎先輩や三井先輩とは親しいようだが、俺とはそこまで……である。それなのにわざわざ寮まで訪ねてくるなんて、俺にいったいなんの用事なのだろうか?


「こ、こんにちは。どうしたんですか?」


「お届けものにきたの。これね、君のために作ったんだよ。どうかな!?」


 差し出された紙袋を受け取り、中身を見ると深緑色のワンピースが綺麗に畳まれて入っていた。フリルに縁取られた白いエプロンもついている……この服がなんなのか、一応知識にはある。


 これを俺のために? 脳が考えるのを全力で拒否している気がしたが、なんとか声を絞り出す。


「め、メイド服ってやつですか……これ」


「はい、メイド服ってやつです」


「……えっと、俺が着るんですかコレ?」


 恐る恐る返した俺を見て、歌川先輩はにっこりと笑った。そういえば、先輩は学生会に所属しているが、同時に被服サークルのリーダーも務めていて……。


「だからうちのサークルが総力を上げて君のために作ったんだって。学校祭には外部の人もたくさん来るから、制服姿の男子がウロウロしてちゃ目立つでしょ」


「いや、そこはもう私服で良いですよね!? こんなの着たら、逆に目立ちますって」


「大丈夫だよ環くん。僕も着て隣にいるからそんなに目立たないんじゃないかな」


「いや待ってください。とんでもないこと言ってませんか」


 俺のツッコミに小首を傾げ、綺麗な微笑みをよこした先生は、確かに女性に見紛うほどの華奢な体格に綺麗な顔立ち。これならもしかしたらとは思うが……でも、ちょっと長身すぎるな。まあ、顔面その他もろもろがパッとしない俺は論外だが。


「とにかく一度試着してみてくれないかな? 修正しないといけないかもだし!! お願い!!」


「は、はい……まあ、試着だけなら……」


 歌川先輩の迫力に押し切られるように紺野先生と二人で自室に入り、ドアをしっかりと閉めてから下着姿になった。


 しかし、当然女性ものの服なんて今まで一度も着たことがない。ワンピースをつまみ上げ、ファスナーを開けてみる。多分こっちが前だろう。しかし、反対側にはシャツの前立てのようにボタンが並んでいる。いったいどうなってるんだ?


「えっ、これどっちが前なんですか?」


「ファスナーが後ろだよ環くん。そのボタンは飾りだ。初めてだと難しいだろうから、それは僕が上げよう」


 おかしい。やたら慣れてるのはどうしてだ? やっぱり自分で着て……いや、脱がせ……いや、もう何も聞くまい。悟りの境地に突入した俺は目をつむった。


 袖を通し切ってしまったのを確認したのか、先生が後ろを閉じた。ファスナーが上がる感触に、背筋がゾッとする。続けてエプロンをつける。これも先生が後ろのリボンを結んでくれたが、やっぱり手慣れている。


 そして。


「香坂くん! いいじゃん! めちゃくちゃ似合うよ!!」


「ど、どうも? ていうか、なんで、こんなぴったり……?」


「うん。サイズは大丈夫みたいだね。ああ、我ながら腕が良すぎるわ」


 ドアを開けた先にある姿見に写るのは、膝を隠す丈のメイド服に身を包んだ俺。そしてその隣には、明らかに見苦しいものを目の当たりにしているはずなのに、うっとりした表情をしている歌川先輩。なんだ、ちょっと心配だ。


 ……悔しいがあまりにも着心地が良すぎる。どこも苦しくないし、どこも余ってない。不気味なほどサイズが合っているのだ。しかし足元はスカスカでなんとも心許ないので、どうしても落ち着かない。下半身を風が絶え間なく吹き抜けていく未知の感覚に、涼しいとこそばゆいが混じり。


「……知らなくても良い世界を知ってしまった」


「え? もしかして、クセになった?」


「……ならないですって」


 目を輝かせた歌川先輩に、苦笑いで返した。こんなの、クセになんかなるもんか。自らの弱いところを晒したままのようで、不安でたまらないというのに。


 そういえば、と腕を組む。目の前の歌川先輩もそうだが、ほとんどの女の子は常時スカートの制服を着ている。この感覚が平気とは不思議なものだ。また一つ、異性に対する疑問が増えた。


 そこでまたチャイムが鳴って、紺野先生が玄関に向かった。今度こそ宅配便だろうか。歌川先輩と二人きりというのもなんだか気まずいので、早く戻ってきてほしいと願った。しかし、


「えっ、環くん!! どうしたのその格好!?」


 …………み ら れ た。


 目の前に立ってるのは、どっからどう見ても珠希さんだ。最悪だ、人生が終わった。


 付き合い始めたばかりの彼女に絶対に見られてはいけないものを見られてしまった……って言うか状況わかっててなんであっさり部屋に入れてるんだよ紺野先生いいいいい!!


 ニコニコ笑ってないでなんとか言ってくれよ!!


「えっ!?!? こ、これは!!!!」


 目をまん丸に見開いた珠希さんの姿に絶望し、もう父親の元に逃げるしかないと、いつも内ポケットに入れている例の懐中時計を取り出し……って今着てるの制服じゃなくてメイド服じゃん!! ああもうむちゃくちゃだ!!


 髪を混ぜると、大振りのカチューシャがぽとりと落ちた。


「……ねえ、それ、学校祭の衣装かな?」


「…………ああ、うん。そうらしい」


 しどろもどろと答えた俺に、珠希さんが驚きの表情のままで迫ってくる。もはや下半身の風通しなど些末に思えるほど、血の気と意識を完全に失いかけていた。壁際まで追い詰められている間、今までのことが走馬灯のように頭を駆け巡る。


 …………短い間だったけど、ここでお別れだ。楽しかったよ、さようなら珠希さん。どうか幸せに……。


「すっごくよく似合ってる!! かわいいね!! そうだ、あのね。私もお揃い着るんだよ。楽しみだなあ……」


 ド派手にずっこけた。いやもうツッコミどころはたくさんあるが、どうやら命拾いはしたことだけは確かなようだ。上半身を起こし息をつくと、窓の外の空がやたらに青く見えた。


「そ、そうなんだ。へえ……ふぅん……」


「そうそう、一年四組の子に頼まれて何着か作るのよねー。そっちは今作業してるから」


「えへへ、ありがとうございます先輩」


「楽しみにしててね!」


 歌川先輩と珠希さんのやりとりを聞いていると、ごちゃ混ぜになっていた感情が少し凪いだ。似合ってるということは、少なくとも俺のこの姿を好意的に捉えてもらえたということ。


 それに、同じ服を珠希さんも学校祭で? 野郎が着ても色々とギリギリなだけだが、彼女ならきっと可愛いだろうなと思うと、心も弾むというものだ。


「ちょ、た、環くん!! 丸見えだよ!!」


「え?」


 こちらを振り向いた紺野先生が珍しく目を大きく見開いている。何をそんなに慌てているんだろう? ん、何が丸見えなんだ?


「あっ!! ほんとだ香坂くん!! 早く隠して隠して!!」


「きゃあ!! ご、ごめんね!? 見っ!!」


 あぐらをかいてから、三人を順に見る。なぜか揃いも揃って様子がおかしい。しかし、ここで全員の視線が俺のある一点に集中していることに気がつき、ゆっくりと視線を落とし、そして気がついた…………。


「うわあああああ!! ごめん!! ごめんなさいッ!!」



 ◆



 さて。


 女性の前で醜態を晒してしまった俺。私服に着替えてから歌川先輩を見送ったが、今もなんとなく足を揃えて正座をしている。


 どうやらスカートを履いている状態では、決して中身を見せぬよう足さばきに細心の注意を払う必要があるらしい。女の子たちはみんなそれをきちんと意識し、当たり前のようにやってのけているわけで、本当にすごいことだと思う。


 歌川先輩はそのに関して、『男兄弟いて見慣れてるからー』と涼しい顔だったが、珠希さんは何も言わず逃げるように帰ってしまった。


 はあ、今度こそ終わったかもしれない。一応、最近おろしたばかりのものではあったが、男のパンツなんか見苦しいものに違いないだろうし。再び失恋の可能性が高まったことに、頭を抱えるしかない俺のそばに、ボトルコーヒーを抱えた先生が寄ってきて笑う。


「とりあえず環くんは学校祭までに、スカートを履いているときの振る舞いを覚えないといけないね」


「いや、それでもメイド服アレ着ないとダメなんですかね?」


「だって、それも君のために作られたものだろう?」


 確かにそうだけどと、そのまま置いて帰られたメイド服に目をやる。この世界でたったひとりの男性魔術師になるためには、女の園でどんな試練にも耐えなければならないのはわかっているが、はたしてコレって必要か?


 …………いいや。首を振って、湧き上がった疑問を押さえつける。今後、何が役に立つかわからない。とにかく目指す道はかなり険しいものには違いないのだから、なんでも経験しておくべきなのだ。


 …………とでも思わないとやってられなかった。






 〈学校祭まであと三週間〉

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