8月〈4〉夏の夜の夢

 あたしの名前は伊鈴いすず みやこ。二十六歳で、職業は学校の先生。ちなみに独身で彼氏もいない!


 同級生の友達はちらほらと結婚しだしているから、あたしもそろそろ……とは思うけど、今は仕事を頑張りたいかな。何事も焦ったって仕方がないがモットーなんだ。


 さて、そんなあたしが教師として勤めるのは国立東都魔術高等専門学校、通称、東都高魔。全国に六校ある魔術学校のうちのひとつだ。


 ……とはいえ、あたしには魔術の才能など一切なく、生徒たちに教えているのは保健体育。魔術の学校と言っても魔術を学ぶだけではない。中学を出て入学してきた生徒たちは、普通の高校と同じ科目もみっちり勉強しているのだ。


 まあ、偉そうに言っているけれど、あたしもここに就職するまで全然知らなかったんだけども。


 世の中の痒い所に手を届かせるために魔術が欠かせないとはいえ、それを操る魔術師というのはそんなにたくさんいるわけではない。家族にでもいない限り、普通に暮らしていて実際に出会えることは稀。大体はテレビやネットなんかでその活躍を知ることになる。


 そんな魔術の魔の字も知らないあたしが東都の採用試験なんか受けたのは、久々に募集がかかったって周りで話題になったから。待遇面では他よりちょっといいかな程度だったので、要するに興味本位だったというわけ。


 面接の時に魔術師のイメージを問われ、『大きな窯で何か煮たり、ヘビとかカエルと仲良し』と答えて大笑いされたなあ。


 あたしにとって魔術師は、フィクションの魔女のイメージそのまんまだったからだけど、まさかこの回答をかまして採用されるとは思わなかったな。


 目に見えない力を操り奇跡を起こす彼女たちは、その卵たちも含めて人類の至宝とすら呼ばれ、尊敬され大切に扱われる。その育成には国がとんでもなく力を入れているので、魔術学校は普通の学校より少し豪華だったり。


 例えば食堂のご飯なんか、そこらのお店で食べるよりずっと美味しい。多くの学生が暮らす学生寮も、ホテルかと思うくらいに綺麗で、設備も整えられている。


 ふと大学時代に住んでいたボロい寮のことを思い出し……まあ、そんなことはどうでもいいとして。


 まあ、ここに勤めてはや三年……その間に知ったのは、魔術師もそれを目指す生徒たちも、みんなどこにでもいそうな普通の人たちばかりだということだ。



 ◆



 ある蒸し暑い夜のこと、あたしはいつもの居酒屋にいた。一昨日から学生たちは長い夏休みに入り、こちらの仕事も少し落ち着いたというわけで。


「お疲れっす、桜っち。ささ、どうぞどうぞ」


 威勢の良い店員さんが生ビールを運んできたので、目の前の飲み友達に回す。


「ああー。みやこちゃん、ありがと……はあ……なんとか、なんとか終わった。どうなることかと思った」


「今年の一年生は刺激的っすもんね……」


 黄金色のジョッキを見つめてため息をついたのは、東都高魔の第一学年学年主任の一ノ瀬 桜いちのせ さくら先生。あたしと歳は十以上離れているけど、たまたま同郷だった事もあり意気投合。こうしてたまに酒を酌み交わす仲になった。


 今年の一年生に関しては、十数年に一人しかお目にかかれないSランクの魔力保持者を筆頭に、近年稀に見る粒揃いだそう。学科試験で全教科満点をとった学生もいるし、挙げ句の果てには世界初の男子学生までいる。


 この子達が初日の夜から大騒動を起こしたのを皮切りに、教わってもいない飛行術を使ったり、遊びに行ったまま行方不明になったり……いちおう五月六月は静かだったけど、やってきた怒涛の七月。


 こっちは年イチの肝試し大会に命をかけていたというのに、当日は各種センサーを掻い潜って侵入してきた謎の魔術師に無茶苦茶にされて。桜っちは犯人とやり合って骨折までしてしまった。


 そのうえ、その数日後には例の男子学生、香坂環くんが夜間のうちに寮から誘拐され、数日間姿を消してしまった。これは無事に発見されたからよかったものの……。


 こちらの犯人もおそらく魔術師で、魔術庁はいまだに尻尾を掴めていないらしい。魔術師相手になんにもできない非魔術師あたしたちはともかく、魔術教官たちの頭はさぞかし痛んだことだろうなと思う。


「こんなこと初めてって明世先生も言ってて。あの人もう四十年以上東都ここに勤めてるのよ? ほんと、どんだけ……」


「……進藤先生ってそんな長いんすね。おばあちゃんだなとは思ってたけど」


「だって、私たちが学生の時にはすでにベテラン教師だったからね。当時は『東都の雪女』って呼んでみんなが恐れてたのよ」


「はぁー……あの優しそうな進藤先生が。想像できない」


「私はいまだに怖いけどね」


 そう言ってクスリと笑った桜っちは、仕事に対してとても真面目で、誰に対しても面倒見がいいので上からも下からも慕われている。魔術師の腕についてあたしにはよくわからないけど、今や将来の学長だと目されているらしいので……すごいのかな?


 元々は先生ではなく、警察の飛行隊を志願していたらしいんけど。小さい頃にした病気が原因で身体基準を満たせず、あきらめた、という話だ。


 それで失意のどん底だったところ、東都でいい先生たちに出会ったことがきっかけで教員を志すことにしたんだと。


 ちなみに小学生の男の子と女の子のお母さん。たまにお宅にお邪魔することもあるけど、二人とも桜っちにそっくりのしっかりさんだ。うーん、久しぶりに遊びたくなってきたな。


 さて、そろそろ乾杯をと思ったけど……飲み物が全て揃っていない。誰だ? 桜っちがもうだいぶ飲みたそうだぞ。


「あ、銀川先生なんか頼みました?」


「あら、忘れてた。ごめんなさいね。今日は車で来たから……ソフトドリンクのメニューもらえるかしら?」


「どうぞ」


 先ほどお手洗いから戻ってきたのは銀川 弥生ぎんかわ やよい先生。専科で治癒術を教える先生だ。


 魔術師としてどうなのかは……触れただけでどんなケガでも癒してしまうので、この人が一番わかりやすい。あたしもお恥ずかしながら何度かお世話になりました。


 ちなみに治癒術は魔術師なら誰でも使えるというわけではないらしくて、効果があるかないかは生まれながらの魔力の性質? に大きく左右されるんだとか。


 人体に関する深い知識が必要で、魔力の操作も難しいとかで超絶難易度といわれ……銀川先生ほどのレベルの人はこの国でも数人しかいないとのこと。彼女の指導を受けたくて東都ここを目指す学生もいるほどらしい。


 この二人は学生時代の同級生で、その頃からずっと仲良しらしい。そして、この場にはあともう一人。


「今日は誘ってもらってありがとう。こういうところに来るのは久しぶりだ」


 こういった場で顔を合わせるのは初めての佐々木 真緒ささき まお先生。


 あたしも女にしてはデカい方だけど、それをさらに上回る長身。容姿端麗という言葉を人間にしたような感じ。力強くてよく通る声をしているから、舞台女優のようだと例える人もいる。


 クールな見た目や振る舞いとは裏腹に熱いハートを持っていて、その指導力を持って数多の落ちこぼれ学生を、留年や退学の危機から救ってきた救いの女神。朝は誰よりも早く出勤し、職員室を磨きあげるところから一日をスタートさせるというのは、東都の教員なら誰でも知っている話。


 そのプライベートは謎のベールに包まれていると言われているため、こんな飲みの誘いを受ける自体が意外だったけど……なんでも、桜っちの一年先輩で、学生時代に教員志望繋がりで仲良くなって今に至るんだとか。



 ◆



「「かんぱーい」」


 グラスが鳴る。生ビールの中ジョッキがふたつと、ホワイトソーダ、グラスビール。


 テレビコマーシャルのように喉を鳴らしながら、冷えた中身を流しこんでいけば、暑さなんか吹っ飛んでしまうな。


 座卓の上にはすでに思い思いに注文したツマミが並んでいるけど、まずは枝豆を手に取る。やっぱり夏はこうでなくては。昔は『オジサンが』というイメージだったけど、これこそが至高だということは今ならわかる。はあ、塩味が沁みるわ。


 つまみと酒を交互に口に入れながら、世間話にしばし花を咲かせていると、話題は勝手にいつもの方向へ。


「みやこちゃん、最近どう? いい人見つかった?」


 お酒が進み、すっかり桜色になった桜っちが前のめりで迫ってくる。今日は二人きりじゃないから、てっきり仕事の話題だけかなと思っていたのに……いつも通りじゃないか。


「誰か紹介して欲しいっすね……だって魔術学校に出会いなしって言うじゃないすか。そもそも桜っちや銀川センセはどうやって旦那さんと知り合ったんすか」


「お見合い……」


 桜っちはなぜか気まずそうに目を逸らす。


「えっ!? 今時!?」


「私もよ。魔術師わたしたちに関して言えば今でも多いかもね、お見合い結婚。女所帯にいるから出会いがないというのもあるけど、他にもいろいろとね」


「はぁー……そうなんすね」


 他の理由が気になるところだけど、まあいいか。またひとつ魔術師に関する知識が増えた。


「しかし、みやこちゃんの相手か。うちにいる男の先生はほぼ既婚者だからなあ。やっぱり外に出会いを求めるしかないかな」


 桜っちが笑った隣、これまで黙っていた佐々木先生がじっとこちらを見ている。表情は……読めない。なんとなくそんな気はしてたけど、こういう話題はお好きではない?


 そういえば、佐々木先生は結婚しているのだろうか? 噂には聞かないし左手に指輪もしてない。でもそれが絶対の指標じゃないしなあ。


「……紺野先生はどうだ? 今のところ決まった相手はいなさそうだぞ。歳も近いんじゃないか?」


 ……予想外のセリフだ。どうやら真面目に考えてくれていたらしい。身近にいる独身男性で、確かに歳は近い……たぶん。


「紺野先生……肝試しのことではいつも的確なアドバイスくれるから気は合うのかもしれないっすけど、あんまりタイプじゃないっすね」


「なんとなくわかる。みやこちゃんはもっと男らしい人がいいんでしょ」


「そう! 紺野先生にはもっとタンパク質取って筋トレして欲しいっすね。なんか青白いし、あんなに細いんじゃ風が吹いたら飛んじゃいそうな気がします。横にいる香坂くんがまた健康的だから、余計に」


「………言い得て妙だな」


「あれでも香坂くんに会ってから、ちょっとは健康的になったのよ。一日三食ちゃんと食べるようになったみたいだし」


 おかしそうに笑いながらウーロン茶を飲む佐々木先生に、頷きながらサラダを取り皿に盛る銀川先生。


 まあ、男だてらに魔術の研究をして、教壇にも立っているとは見上げた根性だけど、やっぱりあたしが重視するのは頭脳よりも筋肉! かな。


 うーん、もし香坂くんがあと十年早く生まれてたら……やっぱり違う。あの子はああ見えてちょっと繊細すぎる。もう少し豪快な方がいいかな。


 学生相手にそんなバカなことを考えていたら、佐々木先生の顔から突然表情が消える。


 いらんこと考えてたのがバレた? 内心で冷や汗が流れたけど、何かに気が付いたらしい桜っちが、佐々木先生のグラスの中身をひと口含んだ。


「ちょっとこれ! お酒じゃない!! 真緒先輩! しっかり!!」


「え!? 佐々木先生お酒飲めないんすか!? いや、さっきビール飲んでましたけど」


「えっと……あれが限界の量、といえばいいかしら」


 あたしに言わせりゃ味見かな? というくらいの量でしたけども。確かに佐々木先生が二杯目以降に頼んでいたのはウーロン茶。どうしてこんなことに?


 ふと目をやった壁の張り紙。『ソフトドリンクはストローを挿して提供しています!』と書いてある。これはお酒と間違えないためだけど、目の前にある自分のウーロンハイのグラスには赤いストローが挿さっている。


 見た目がそっくりだから、何かの拍子に入れ替わってしまっていたのだ。すっかり見逃していた……酔いすぎかよ。


 大変なことになってしまったかもしれない。アルコールで温まっていた体がゆっくり冷えていくのを感じながら、俯いたままじっと黙る佐々木先生を見つめる。


「す、すみません……本当に大丈夫ですか」


「うん。別に死ぬわけじゃないから大丈夫よ……おーい、真緒先輩。大丈夫ですか?」


「どうせわたしは、なさけなくて、たよりないせんぱいですよお…………」


 突然、全く聞き覚えがない、あまーい声が耳を撫でる。顔を上げるやいなや桜っちにしなだれかかり、目を潤ませている佐々木先生……じゃない、誰?


「えええええ!? どうしちゃったんすか佐々木先生!! キャラが大幅に変わっちゃってますよ!?」


 ……それどころか顔つきまで変わってしまっている気が。いったいどちら様ですか!?


「あーあ、やっぱ切り替わっちゃったか。正体がバレちゃったわね」


「ええええ!? こっちが本当の姿なんすか!?」


「いや、そういうわけではないけど……お酒を飲むことで出現するもう一つの人格というか……なんというか……」


「人より感覚が鋭いからなのかな。お酒が回りやすいし、妙な感じになっちゃうのよ」


 わたし以外のふたりはすっかり慣れたものだった。


 単にアルコールの影響で人が変わってしまうだけで、体質的にダメとかそういうわけではないというので一安心……はしたものの。


 真っ赤な顔をした佐々木先生は目に涙を浮かべ、桜っちに巻きついたまま。学生には絶対に見せちゃいけない光景だ。


「そう、わたしは……よわむしけむし……なあ、さくらちゃん……」


「わあ、こりゃダメだわ……そうだ。やよちゃん、酔い覚ましの魔術ってあったっけ」


「あるある。けど、術式がパッと出てこないわね。ちょっと待って……あら、魔術書タブレット持ってきてないわ。ごめんなさい」


 これもあたしが知らなかったこと。ベテランの魔術師といえど、全ての魔術の使い方が頭に入っているわけではないらしい。だいたいは魔術書に記してある術式を確認しながら、実行するものなんだそうだ。


『昔は分厚い魔術書を持ち歩いたり、自分がよく使う魔術の術式をノートにいちいち書き写しておかないといけなかったんだけど。今はタブレットに全部入るようになったから便利になったわね』


 ……この道四十年の大ベテラン、進藤明世先生の言。魔術の世界も近年の技術革新の恩恵を受けているらしい。


「ああ、もう。しょうがないなあ……すみませんー! お水いただけますか?」


「あと、ねぎま……さんにんまえ……」


 桜っちに背中をさすられ、泣きながらねぎま串に食らいつく佐々木先生。ていうか、さっきからこれしか食べてない気がする。お皿に串が積み上がって山をなしていて……そんなに好きなのか?


 確かに美味しいけど。他にも食べるものはあるのに。


 あの佐々木先生の意外な顔は、どう考えてもこの熱帯夜が見せた妙な夢としか思えない。寸分の隙もない女性ひとだと思っていたのに……人は見た目によらない、本当に。



 ◆



 楽しい時間はあっという間。居酒屋を後にしたあたしは、まだ酔いが覚め切らない佐々木先生を積み込んだ銀川先生の車を見送った。桜っちもそろそろ家に帰らないといけないと、駅の方に向かっていく。


「さて、あたしはもう一軒行こっかな」


 まだ飲み足りないあたしは、ぬるい風に背中を押され赤ちょうちんが揺れる通りに歩き出した。夏の夜はまだまだ長いからね。

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