8月〈3〉はじめてのおとまり・2
次の日は日曜日。淑乃ちゃんのお母さんから料理を教わって、ごはんを一緒に準備したり。お昼はお父さんにはショッピングモールに連れて行ってもらって、淑乃ちゃんとお揃いの洋服やアクセサリーを買ったり。
夜も三人で台所に立った。お母さんに教えてもらいながら、次々と料理を作っていく。淑乃ちゃんはさすがに手つきが良くて、私はまだまだこれからといった感じかな。
なによりも母娘が息ぴったりで作業してるから、とにかく足を引っ張らないように必死だった。
今日は昨日よりも夕飯の品数が多いことに気づいた。日曜日だからかな? そんなことを考えながら、自分で作ったポテトサラダを食卓に置いたところで、袋を提げたお父さんが帰ってきて、ダイニングテーブルの横で足を止めた。
「あれ? 珠希ちゃんにも手伝わせてるのか? だめじゃないか」
「いえ。お世話になってるので、このくらいさせていただかないと」
行くあてのない私を泊めてくれてるんだから、しっかりとお手伝いしないと。当たり前のことなのに、お父さんは目を丸くしてひどく驚いた様子。
「でも、今日は君の…………」
「ちょっと!! お父さん!! こっち手伝ってくれる!?」
「え? ああ」
お父さんは確かに何かを言いかけたけど、お母さんに腕を掴まれ引きずられて行ってしまった。
◆
お父さんが何を私に言いたかったのかは、晩御飯の前に明らかになった。目の前に置かれたのは……誕生日ケーキだった。
「じゃーん! 今日のサプライズよ! 珠希さん、お誕生日おめでとう!!」
「ええっ」
そういえば今日は八月八日、私の誕生日だ。さっきお父さんが抱えて帰ってきた大きな袋の中身は、これだったみたい。いろんな色のフルーツで鮮やかに飾り付けられたケーキには、ろうそくが何本も立っていて、真ん中にはチョコのプレートが。
『たまきちゃん・おたんじょうびおめでとう』
自分の名前が入ったケーキなんて、初めて見た。誕生日のことをすっかり忘れていたのは、家族には今まで一度も祝ってもらったことがなかったからだ。
夢見たことがないわけではないけれど、それを願うたびに暗い記憶がぽこぽこと浮かび上がってきてははじけ、涙に変わってしまう。今だって、鼻の奥をつんと痛い。
…………私は。
「え? もしかして日にちを間違えてたかしら? それともこういうケーキは嫌いだったとか? ごめんなさい!」
淑乃ちゃんの言葉には首を横に振って答えるのが精一杯だった。やっと目を開けたけど、ロウソクの火がみるみるうちに滲んでいく。涙が次々とこぼれてくるのに、胸の中はじんわりと温かくて。
「だ、だいじょうぶです。うれしくて、びっくりしちゃって」
「あらあら……」
ようやく言葉を絞りだすと、お母さんから差し出されたハンカチで両目を何度も拭う。最近は、嬉しくて泣いてばっかりだ。
「よかった。じゃあ早く消しましょ! ロウソクがなくなっちゃうから」
「う、うん」
ハッピーバースデーの歌のあと、淑乃ちゃんに肩を叩かれた。
「ケーキのろうそくを一度に吹き消せたら、一年を幸せに過ごせるんですって」
「……聞いたことあるかも。頑張る」
初めてだから、加減がわからなくて上手くはいかなかったけれど、「今日の主役だから」と大きめに切ってくれたケーキに、私の名前が書かれたチョコのプレートが添えてあるだけで、ものすごく幸せだった。
「あの、お祝いしてくださってありがとうございました」
「ふふ、うちは家族みんな甘党だから、ホールケーキを食べる理由が欲しいのよ。夏生まれの人間がいないからちょうどいいわねって……ねえ、あなた」
お父さんが笑ってうなずくと、お母さんが笑って、淑乃ちゃんも笑う。あったかい家庭って、きっとこういうことなんだなと思う。叶うかどうかはわからないけど、私もいつかこんな家族を作れたらいいのにな。
やっぱり浮かぶのは大好きな彼の顔。私に明るい未来があるかはわからないけれど、願うだけならいいよね。
◆
夜は淑乃ちゃんのベッドの横にお布団を敷いて寝る。淑乃ちゃんはベッドを譲ってくれようとしたんだけど、実家では畳の部屋に布団を敷いて寝てたから、こっちの方がよく眠れると断った。お母さんが選んでくれたというピンクのパジャマも可愛くてすっかりお気に入りだ。
髪を梳かしながら今日のことを振り返った。すごく幸せだったな。明日はお揃いの洋服を着ようねなんて話をした。課題にもそろそろ手をつけなきゃ、とも。
夏休みは一ヶ月あるけど、毎日コツコツやらないと後で泣きを見そうな量ではある。二日間サボっちゃったから、頑張らないと。
小さな天窓のあるお部屋。お気に入りの漫画と小説で埋まった本棚と、机とベッド。淑乃ちゃんは愛されているんだな、そんなことを思う。
本はどれでも好きに読んでいいと言われていたから、目についたものを手に取りかけたけど。
環くんからメッセージが来ていたんだっけ。昨日は届いてすぐに開けたけど、淑乃ちゃんに見られちゃってちょっと恥ずかしくて。だから今日は彼女がお風呂の間にこっそり読んで、お返事を書くことにしていたんだった。
スマホをカバンから取り出し、画面をタッチする。メッセージアプリを開くときは、まるで宝箱を開けるみたいな気持ち。ベッドを背にして、お布団の上に膝を折って座る。
『こんばんは。珠希さんは今日は何をしましたか? 俺は、今日は友達と勉強会のはずだったのですが、近所の中高生で集まってサッカーや野球をすることになってしまい、日が暮れるまでひたすら走りました。泥だらけになったし、めちゃくちゃ暑かったです』
環くんからのメッセージは、今日も変わらず丁寧な言葉遣いなのに、内容はとてもやんちゃでちょっとアンバランスだ。
じっと机に向かってる姿か、ひとりで走ってる姿しか想像できないけれど、男の子の友達とはそんなふうに遊んだりするんだ。見てみたいな。新学期に会えたら、真っ黒に焼けてたりしてね。
今日あったこと、か。淑乃ちゃんの家族に誕生日のお祝いをしてもらって、とても嬉しかった……と書こうとして、手が止まった。
環くんは、きっと今日が私の誕生日だとは知らない。聞かれてもいないのに自分からアピールするのはたぶん変。それにもし私の誕生日に興味がないとしたら、反応に困るかもしれないから、えっと。
『今日は淑乃ちゃんのお母さんにお料理を教えてもらったり、おしゃべりしたり。お父さんに買い物に連れて行ってもらったりしました。淑乃ちゃんとお揃いの服を買ったよ。いっぱい外で遊ぶの、とっても楽しそう。でも、熱中症には気をつけてくださいね』
誕生日の話題を避けて、まとめた。別に嘘は書いてないから大丈夫だよねと思いながら。一度読み返してから紙飛行機のアイコンを押した。瞬間、息をつくようにこぼれた疑問。
「環くんの誕生日っていつなんだろ」
「……十月一日よ。前に本人から聞いたから間違いないわ」
「わあ!? いつの間に!?」
いつのまにかお風呂上がりの淑乃ちゃんが部屋の中にいて、びっくりしてお尻が浮く。本当にいったいいつから? 慌ててスマホを胸に押し当てた私を見つめ、淑乃ちゃんは本棚から本を何冊か引き抜いてから、にんまりと笑う。
「ほんと、幸せそうねえ。香坂くんにも誕生日祝ってもらえた?」
「え、えへへ……まだちょっと言えてなくて……」
「えっ。そうなの?」
私の隣に座ってたぶん、ちょっと前からいたんだろうな……全然気がつかなかった。恥ずかしいよ。
『来年の夏休みは、一緒に俺の実家に帰らないか』
一昨日、電話で言われたことをふと思い出してしまって、さらに顔が熱くなった。ぱたぱたと両手であおいでも、なかなか冷めない。
彼のお家だなんて、きっとこうしてお友達の家にお邪魔するのとはちょっと違うはず。この胸のドキドキはときめきだけじゃないけど、まだ遠い次の夏に思いを馳せた。
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