9月〈1〉たすけて!紺野先生!

 俺の名前は香坂環。歳は十五歳だが、あと二週間ほどで十六歳になる。現在は国立東都魔術高等専門学校の一年生、いわゆる魔術師の卵だ。


 この世界では魔術を使えるのは女性のみなので、実質の女子校に通うたったひとりの男子学生。立場の微妙さから色々と苦労もしたが、今はそれなりに馴染んできたのではないかと思う。


 問題の多かった魔術の方も、先生たちの細やかな指導のおかげで改善の兆しが見えてきたし、学業成績も右肩上がり。委員会の仕事なども積極的にこなしているため、横や縦のつながりも増えてきている。


 それに生まれて初めて……恋人もできた。人生は順風満帆かと思われた。しかし、俺は初手から大失敗をかましていたことを知る。


「誕生日、八月八日だったんだな……」


 本城珠希、八月八日生まれ……今日、ひょんなことからそれを知ってしまった。いや、過ぎてしまったものは仕方がないが、その頃はもう。というのが最大の問題なのだ。何も知らなかった俺は一ヶ月の夏休みを実家でのんびり過ごし、新学期を迎えた今はすでに九月も半ばを過ぎている。


 男子寮に戻ってすぐから机に向かってはいるものの、そのことが気になり全く課題が手につかない。ついでに食欲もない。


 夕食の時、食堂のおばちゃんがいつものように大盛りにしてくれようとしたのを断って、今日は少なめで済ませてきた。そのうえ考えすぎて風呂でのぼせそうになり、今も頭がぼんやりする。


 ああ、俺の馬鹿!! 時間よ戻れ!! 思わず心の中で叫ぶも、戻るわけがない。そんな魔術は存在しないというのは、魔術学校の一年生でも知っていること。


 魔術を使って時間へ干渉することは不可能だと言われている。しかし紺野先生曰く、おそらく術式を作るだけなら作れるし、過去にそれらしきものが書かれたこともあるらしい。


『不可能』といわれるのは、必要な魔力があまりにも莫大すぎるから。世界中の魔術師を全員集めたところで、実行することはできないことが予測されるためだそうだ。


 閑話休題。


 夏休み中、彼女とメッセージのやりとりは毎日していた。スマホのメッセージアプリを開き履歴を確認すると、八月八日だってちゃんと……何も言われていないが、きっと自分からは言い出せなかったというところだろう。彼女はそういう子だ。スマホを枕に向かって投げる。


 なぜ、なぜ、お付き合いをするとなった時に真っ先に確かめなかったのか。めちゃくちゃ大事なことじゃないか。再びやらかしてしまったことにうっすらと絶望しベッドに転がると、うめき声が勝手に漏れた。


 はあ。今さら祝いの言葉を述べたり、プレゼントをするなんておかしいよな……どうして俺はこう……やっぱり時間戻ってくれ。戻らないけど。


 悔しさでため息をついていると、パソコンに向かっていた同居人、紺野燈先生がぐるりと椅子を回した。


「なら今度の休み、彼女をデートにでも誘ってみたらどうだい?」


「え?」


 なぜか、夕焼け色の瞳は全てお見通しのようだった。



 ◆



「……というわけなんです」


「なるほど、相当悩んでるようだねえ。心の声が全部出てたよ」


「な、なるほど」


 いつものようにコーヒーのボトル片手に笑う先生と、膝を突き合わせて座る。何かを読まれたのかと思ったが、先生はもちろん魔術師ではない。読心術の使い手かと疑うほどに鋭いので時々忘れそうになるが。


「何かしないと気が済まないのなら、デートに行って、さりげなくプレゼントを買って渡せばいいじゃないか。口実なんて別になんでもいいんだよ」


「そ、その。で、デートに行くとしてですよ? それにプレゼントにしても。俺には女の子の喜びそうなところにはあまり心当たりがなく。でもやっぱり俺がリードしなければ、とか。そういう」


 頭の中に、話のきっかけのために密かに図書館でチェックしている女子中高生向けの雑誌の内容がモヤっと浮かび上がる。彼氏にはリードして欲しい、察して欲しい。その他いろいろ。求められることは実に多いと知ったからには、善戦せねばなるまい。


「うーん、デートプランやプレゼントは何がいいかなんて、本人に聞いたらいいんじゃないかい?」


「それじゃ気が利かないと思われませんかね? やっぱり突然彼女が喜ぶことをしてなんぼというか」


 紺野先生は腕を組み、首を横に振る。


「いいや。今の状態で下手に動くのはかえって危険だよ。世の中ではサプライズがもてはやされがちだけど、それが全てではないと思うしね。君たちはまだ始まったばかりだから、まずは相手を知ることからだ」


 相手を知ること。俺はメモ帳のページをめくった。思えば、珠希さんを見ていて気付いたことは全てメモにとっていた。


 ゆるスミのうさっちが好き、パンよりご飯、洋食より和食が好きでお菓子もそう。好きな色は多分ピンク。可愛い。利き手は右、字が丸くて可愛い。あまり器用ではなさそう、体育も苦手。でも可愛い。ちょっと多めに食べる。食べているところが可愛い。


 ……一部抜粋。途中から若干馬鹿になっているが、気にしないで欲しい。


 ところで、気になることが二、三ある。いや、これは先生に関してだが、この話の流れなら答えてもらえるかもしれない。


「さ、参考までに聞きたいんですけど、せ、先生は女性とお付き合いしたことは。あと、どんな人がタイプなんですか」


「おや、今日はグイグイ来るじゃないか。前にも話さなかったかな? 二回ほどあるよ。まあ、どちらも長続きはしなかったけれどねえ。今ももちろんフリーだよ」


 だろうな。先生の休日は別宅で寝てるか、俺と映画鑑賞してるかだ。女の影なんて一切感じない。容姿端麗なので学生にはそれなりに人気はあるが、学年が上がるごとに『面白い人』という評価に変わり、そういう対象からは除外されるらしい。


 これは委員会で先輩に聞いた話だから間違いない。さらに先生は何かを探すように宙を見つめる。


「あと、好みの女性のタイプ……うーん、外見にはこだわらないけれど、一生懸命に何かを頑張っていて、自分をしっかり持っている芯の強い人がいいねえ。でもそういう人にはすぐ愛想を尽かされてしまうんだ」


「ど、どうしてですか」


「なんだろう、僕はちょっとダメな方だからだろうねえ……二回ともそうで……ちょっと、環くん。こんなことメモを取りながら聞くようなことでもないだろう」


 紺野先生は苦笑いを浮かべ手を振る。男性で、しかも史上最年少で魔術教員の免許を取り、若くして数々の功績を残し、世界的にも名のある魔学者である先生。そんな人がダメだなんてことはないと思うが……いやまあ、生活態度にはやや問題があるか。


 今も相変わらずコーヒーをがぶ飲みし続けているし。


「ありがとうございます。やっぱりお付き合いをするって難しいんですね」


「そうだね。環くん、いずれ来る初デートはいわば天王山、これからを左右すると言っていい。ちなみに僕はそこで大失敗して振られているけど」


「えっと。なんかすごいキメ顔ですけど、ダメだったんですね!?!?」


「まあ、もしダメでもこの世に女性はひとりだけじゃないよ環くん。ましてやここは魔術学校だし、女の子ならよりどりみどりだよ」


「うわああああ! 縁起でもないこと言わないでください!」


「あはは、冗談だよ。君がそんなキャラではないことはよく分かっているとも」


 このあと、消灯時間ギリギリまで先生と作戦会議で盛り上がった。ちなみにやり残していた課題は……次の日に持ち越し、授業ギリギリまで頑張った。



 ◆



 翌日の昼休み。俺たちは本部棟前の芝生広場で昼食をとっていた。見上げれば抜けるような秋晴れの空、吹く風は爽やかで心地いい。


 そんな清々しい日なのに、今日は大好物のはずの焼きそばパンの味を感じない。まるで粘土でも噛んでいるようだが、そんなことは大した問題ではなかった。


 そう、俺はとてつもなく緊張していた。でも、今日こそは言わなければならないのだ。意を決し目の前にいる恋人に照準を合わせた。いざ。


「あ、珠希さん、こ、今度の土曜日、い、一緒に街まで出かけないか」


「え? うん、いいよ。ねえ、いいよね、淑乃ちゃん」


 やっとの思いで投げたボールが明後日の方向に飛んでしまい、ずっこけた俺。なぜか森戸さんまで地面に倒れてしまっている。そうだ、森戸さんもいたんだ……誘うなら二人きりのところでないとダメじゃないか。


 緊張しすぎてそんなことは頭からすっぽり抜け落ちていた。どうにも調子が悪い。


 森戸さんは目をカッと開くと、バネ仕掛けもかくやという勢いで起き上がり、珠希さんの両肩を掴んで声を荒らげた。


「めっ!! どうしてそうなるの!? あのね。私はあなたたちのデートにノコノコついていくほどマヌケじゃないわよ。ほら前向いて」


「ええっ!? デート!? もしかして、ふ、ふたりでってこと? ……あの、その」


 森戸さんに無理やり俺のほうを向かされた珠希さんは、明らかに困惑した顔。


 確かにいきなり一対一はハードルが高すぎる。しっかりと順序を踏むべきだった。そんなことを考えもせずに実家に誘ってしまったが、それはまあ来年だからいいとして……あれ? もしかしてあれも失敗だったか? 大失敗だよな?


 思考が悪い方に悪い方に流れていく。だめだ香坂環、ここでめげてはいけない! 慌ててうつむいたままの珠希さんの方を向く。


「ああ、いや、ごめん。みんなとでもいいよ。よく考えたら、そっちの方が楽しそうだもんな。そうだ、みんなで温泉行こう! そっちの方がいいよな!」


「え、えっと……」


 俺は珠希さんと一緒ならそれでいいし、彼女もそちらの方が気が楽なら……妙案のつもりだったのに、間にいた森戸さんの目線が突き刺さり、震え上がった。不正解らしい。


 今の俺はまさに、ヘビに睨まれたカエル、頭ひとつ小さい女子に気圧され、情けなくも後ずさる。噛まれることさえ覚悟したが、聞こえてきたのは大きなため息ひとつ。恐る恐る目を開くと、森戸さんは大げさに頭を抱えて見せると素早く踵を返した。


「ああっもうっ!! 私は先に教室に戻るわ!! あとはおふたりでどうぞ!!」


 俺たちは、不機嫌そうに黒髪を揺らしながら立ち去る彼女を黙って見送るほかなかった。珠希さんは肩をすくめ、俺を上目で見つめてくる。


 やっぱり可愛いな。胸がどうしようもなく高鳴り、思わず唾を飲んでしまう。


「ご、ごめんね。別に環くんと二人が嫌なわけじゃなくて、その。私と二人だけなんて、楽しいのかな……」


「た、楽しい! きっと楽しい!! 間違いない!!」


 こうして、めでたく今週の土曜の予定が決まったのだった。俺は、生まれて初めてのデートに出陣する。

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