9月〈2〉はじめてのおでかけ・B

 私も早く一人前になりたいわ。そう思いながら、背伸びした時に少しずれてしまった眼鏡を直す。だって、魔術を使って姿を隠したりごまかしたりすることができれば、こんなふうに変装までしてコソコソする必要もないもの。


 私、森戸淑乃は、本日めでたく初デートに出かけた友達二人が心配なあまり……朝食を食べてすぐバスに飛び乗って、そのまま駅前のバスターミナルに張り込んでいた。二本遅いバスの中から二人は別々に降りてくると、そのまま別々に駅の中へ入っていったので慌てて後を追う。


 改札を抜け、人混みの中でターゲットを見失わないように必死になっていた私は、横から現れた人に思いっきりぶつかってしまった。


「きゃ! す、すみません」


「いや、こちらこそ前を見ていなくて申し訳……あ、君は!?」


 怒鳴られたりすることを覚悟したけど、聞き覚えどころか、聞き慣れた声が降ってくる。


 まさかと思いながら、視線を上に動かすと……まんまるに見開かれた橙色の瞳。私と同じように眼鏡をかけ、マスクまでつけたうえに帽子を目深にかぶっているけれど、これはもう間違いようがない。


「えっ!? 紺野先生!? どうしてこんなところに」


「いやあ、たまたまだよ。僕はたまたま街に出ただけだ」


 なぜかこちらから思いっきり目を逸らし、モゴモゴと答える紺野先生。たまたまというけれど何だか様子がおかしいし、変装までして……まさかとは思うけど、私と同じ目的でここにいるの?


「もしかして、付いてき……」


「……そういう君こそ、ふたりが気になって付いてきたんじゃないかい?」


「いいえ!? 私は別に!!」


 肩が跳ねた私を見て、先生がすかさず口に人差し指を立てる。確かにここで大声を出したら変よね。目配せをしあい、お互い帽子を目深に被りなおす。


「まあ僕は、うん。教え子が心配で、ということにしておこうか」


「……やっぱりそうなんですね。でも、見失っちゃいましたね」


 先生とのやりとりの間に、二人は人の流れの中に消えてしまっていた。見守りは諦めるしかなさそうね……肩を落とした私に、いつのまにかマスクを取っていた先生がそっと話しかけてきた。


「それで? 尾行は続けるつもりかい?」


「え、先生。もしかして二人の行き先を知ってるんですか?」


「もちろん。今回の計画の立案には僕も関わっているからね」


 得意げにウインクを返されて、どきりとする。なんというか、顔だけならすごくタイプだから、話していると何だか調子が狂うのよね。


 かくして、私は紺野先生と二人で探偵の真似事をすることになってしまったのだった。


 ◆



 先生の言う通り二駅先で降りた香坂くんと珠希さんは、仲良くショッピングモールへ吸い込まれて行く。アクセサリーショップで、ちゃんとプレゼントを買ってあげているところを確認し、私はひとまず満足した。そのあとは雑貨屋へ、ここは見るだけ。


 そのあとレストラン街にやってきた二人はとある店の前で足を止めた。先生と私は慌てて近くの柱の影に潜んで、二人の様子を伺う。


 好きなおにぎりと日替わりのお味噌汁とおかずをセットにしたランチが食べられるお店。野菜たっぷりのお味噌汁と、季節を意識した彩りもいいおかずが美味しくてヘルシーだと女の子に大人気で、並んでいるのもほとんどが若い女性客だ。


「私の実家の方にはあったんですけど……ここにもオープンしてたのね。珠希さん知ってたのかしら。おにぎり好きだし」


「環くんが必死でリサーチしていたよ。彼女は和食の方が好きだから、いい感じのお店はないかって」


「へえ、やるじゃない」


 入り口には『現在三十分待ち』と書かれた看板が掲げられている。もしかしたら他に行くかもと思ったけれど、ふたりはどうも並ぶことを決めたよう。列の一番後ろに並び、二人で手を繋いで、一台のスマホを覗き込みながら楽しそうにおしゃべりをしている。次はどこに行くか話しているというところかしら。


 ……いいなあ。


 ふたりの姿に、そんな気持ちがふわりと浮かぶ。私もいつかあんな風に誰かとデートする日は来るのかしら。まだ漫画のキャラ以外に恋をしたことがないから、はっきりとイメージできないけれど。


「よし、今のうちに僕らもそのへんの店に入ろうか。並ばずに入れるところなら、対象より先に出られるだろう」


「えっ……ご飯食べるんですか?」


「だってもうお昼だよ。お腹空いてないのかい?」


 先生の呼びかけにお腹の虫が元気よく返事をする。せ、先生の前でなんて恥ずかしい。あわててお腹を押さえても取り消せるわけもなく、認めざるを得ないわけで……。


「す、空いて、ます」


「だよね。じゃあ手早く済ませよう。腹が減っては戦はできぬというからね」



 ◆



 先生と二人で入ったのはクラシカルな雰囲気のカフェ……というよりは喫茶店といった方が良いかしら。有名なチェーン店だけど、入るのは初めてだった。それなりに賑わってはいたけど、入店してすぐテーブル席に案内される。帽子を取って着席し、メニューをさっと見て注文を済ませた。


 でもほんと、どうしてこうなったのかしら。テーブルに向かい合わせになると、改めてそんな考えが頭をよぎる。緊張しているせいか喉が渇いて、目の前に置かれたグラスに自然と手が伸びる。だってよく考えたらこれって。


「……まるで僕たちもデートしているみたいだねえ」


「んんっ!?」


 先生の放った一言に、水をうまく飲み込めず咳き込んでしまう。そう。先生とこうしていると、側から見たらデートのように見えなくもないはず。先生と学生、見つかったら大変なことになるんじゃ……あたりを見回したけれど、店内には魔術学生と同じくらいの年齢の人はそもそもいない。とりあえず安心してよさそうね。


「大丈夫かい!? ごめんね、冗談だよ。もし本当にそうだとしたら大問題だ」


「びっくりさせないでください……」


「申し訳ない。こんなこと久しぶりだから、つい」


 先生はいたずらっぽく笑うと、ずれた眼鏡を外しテーブルに置く。


 ということは、お付き合いされている方はいないってことなのかしら。まあ確かに、香坂くんの話を聞いている限りではそんな気はするし、高学年の先輩たちも、女性ばかりの環境にいるのに浮いた話はひとつも聞かないとよく言っている。もしかしたら男の人が好きなのかもと噂されるくらいだ。


 待って。こんな風に香坂くんの後をつけたりして、やっぱり彼のことが好きとか? まさかね……でも。そんなことをモヤモヤと考えているうちに、私が注文したチーズオムライスが運ばれてきた。先生のはまだ。


「あ、僕のことはいいから、温かいうちにどうぞ」


「じゃあ、いただきます」


 ふわふわの卵ごとすくって一口。あ、おいしい。今度みんなで食べに行きたいわ……ようやくビーフシチューが運ばれてきたので、先生も手を合わせて食べ始めたけれど。


 ……話すことがない。急いだほうがいいから、黙々と食べるくらいでちょうどいいかも知れないけれど。でも少し気まずいわ。出来るだけ目を合わせないようにしていたけれど、先生は私をじっと見つめたまま、笑顔を崩さない。何か言いたいことがあるのかしら?


「そうだ、君はどうして魔術師を志したんだい?」


 まるで面接試験でもされているかのような質問。本当のことを答えるべきなのか、それとも優等生な回答をするべきなのか。でもここは学校ではないし……少し迷ってから、本当のことを答えることにした。


「え、えっと……中学一年の時に、魔術庁から魔術師を目指すなら特別奨学金をつけるってお手紙をいただいたのがきっかけで。正直、それまで考えてもいなかったです」


 この国の女の子は全員、節目節目で魔力の有無やその強さを測る検査を受ける。そのときに私みたいに力が強いとわかると、こういう風に国から直接スカウトを受けることになるらしい。


 受けるかどうかは個人の判断に委ねられているけど、魔術の才がある人はどこへ行っても大切に扱われるし、将来が保証されるようなものだから受ける人がほとんどだそう。


 まあ、その時の私に目標なんか特になくて、魔術学校は女子校だと気づいたから選んだといったところ。男子が本当に苦手だったから本当はずっと女子校に行きたかったんだけど、中学受験で大失敗してしまったから。それなのに今となっては……人生何があるかわからないものよね。


「でも今は……確か実技では学年最優秀だよね。単に魔力が強いだけでは達成できないことだ。すごいと思うよ」


「いや、そんな。自分の未熟さのせいでみなさんに迷惑をかけたので、頑張らなきゃと思っただけです。でも、誰かの役に立ちたいなと最近やっと思い始めました」


「うん、なるほどね……話を聞かせてくれてありがとう。


 正直言うと、入学初日に自分がやらかしたことを塗りつぶしたいがためだけに必死に頑張っていたといってもいい。けれど、香坂くんがいなくなったとき、珠希さんに頼られてはじめて、私は自分の力が人の役に立つんだと言うことを知って。やっと、はっきりとした目標ができたのよね。


 カタカタという音に振り向く。横を通り過ぎた店員さんがワゴンに乗せて運んでいたのは、銀のお皿に乗せられた固そうなプリン。


 添えられたたっぷりのクリームにシロップ漬けの赤いさくらんぼが乗せられていて、すっごくおいしそう……先生の前なのに、目が勝手に吸い寄せられてしまう。でも、今日のところは我慢しないと。すぐに視線を前に戻す。


「デザートも食べたいのかい? 遠慮しなくていいんだよ」


「え!? えっと……でも」


「すみません」


 今日はそんな目的で来たんじゃないですから、と言おうとしたんだけれど。先生は私の返事を待つことなく店員さんを呼んで、追加のコーヒーとプリンを注文してしまった。


「うーん、やっぱりこういうところで飲むコーヒーは格別だね。ああ、ごめんね、勝手に注文してしまって。もしかして、他のものがよかったのかな」


「いいえ、確かにこれが食べたかったんですけど。そんな目的で来たわけじゃないのに、良いのかなと」


「まあまあ。せっかく来たんだから、楽しまないと。悔いを残したくないじゃないか」


 先生の余裕のある笑顔を見ていると、なんだかバツが悪くなってくる。もう十六歳になったのに、これじゃまるで小さい子供だわ……半ばやけのように、プリンをすくって口に入れた。


 濃厚な卵の風味を感じたあとに、バニラの香りが鼻に抜けていく。思った通りとってもおいしい。ゆっくり味わいたいけれど、それはまたの機会に。少し急いで食べた。


「すみません、終わりました」


「うん、出ようか」


 先生について帽子を被り直し、席を立つ。もちろん会計は別にしてもらうつもりでお財布を取り出したのに、先にレジに向かった先生はまとめて全て支払ってしまった。


「え、そんな、ご馳走になるわけには」


「気にしないで。時々甘いものを差し入れてもらってるし、おかげさまでとても楽しい時間を過ごせたしね。一度きりとは言わずまた付き合って欲しいくらいだよ」


「またって。じょ、冗談ですよね?」


「あはは、もっと話を聞いてみたいとは思ったよ。また機会があれば、ね。とにかくここは僕が」


 こう言う時はどうするべきなの? 知識にないことばかりで目が回りそうになる。ここは素直にご馳走になって、また後でお礼をしたらいいかしらね?


「……ありがとうございます。ごちそうさまでした」


「いえいえ」


 先生はあくまでも先生だった。それと、きっとこれが大人の余裕ってやつね。先生が何歳かわからないけれど私なんか小娘に違いないだろうし、どう考えても釣り合いっこないもの。


 ……その時突然、胸の奥に名前のわからない感情が沸き起こった。大きな背中を見つめていると、どんどん鼓動が速くなってくる。


 この気持ちは、いったい何なのかしら?



 ◆



「別になーんにも心配することなんかなかったですね。楽しそうだでしたね」


「本当に。いやあ、無事に済んでよかった。いいものを拝ませてもらったよ」


 仲睦まじい様子の二人を見守ってから、一足先に夕方の駅前に戻ってきた。行き交うのは家に帰る人、これから街へ繰り出す人、きっと色々。


 先生は香坂くんにバレないようにここまで車で出てきていたそう。学校まで乗って帰るか聞かれたけれど、さすがにそれはと丁重にお断りをした。さすがに先生の私用車から降りるところなんて見られたら、変な噂を立てられかねない。


「今日はとても楽しかったよ、ありがとう」


「こちらこそ、ありがとうございました。なんだか漫画みたいで楽しかったです」


 先生はぶっと吹き出し、子供みたいに笑っていた。おかしなことを言ったかしら? 恥ずかしくて顔が熱くなってきてしまう。


「あはは、ごめんね。確かに探偵かスパイみたいで、スリリングで面白かったね……いや、本当に映画みたいだった。うんうん、ふたりにバレないようにくれぐれも気をつけよう」


 なるほどね。確かに映画がお好きだと言っていたし、意外とノリがいいことに安心した。バカにされてしまったのかと思ったから。


「そ、そうですね。あ、先生も安全運転でお願いしますね」


「うん。そうだね。ありがとう。じゃあまた夕食の席で会おう」


 先生が雑踏の中に消えていくのを見つめ、ずっとかぶっていた帽子を取って鞄にしまった。大切な友達に秘密ができてしまったわ。今日一日後をつけたこともだけど、もうひとつ。


 まだはっきりしないけど、先生に対してある気持ちを抱いてしまったかもしれないこと。こんなこと許されるわけがないから、気の迷いだといいんだけれど。


 ……きっと幸せそうな二人を見て、羨ましくなっちゃっただけよね。


「なんだか疲れちゃったわ……甘いもの買ってから帰ろうかしらね」


 私は一人、この辺りで一番お気に入りのケーキ屋さんに向かって歩き出した。

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