9月〈2〉はじめてのおでかけ・A-2

 俺たちは目当ての定食屋……いや、おにぎりカフェの前にたどり着いた。野菜を中心とした優しい汁物やおかずと、バラエティ豊かなおにぎりが売りらしく、いま健康志向の若い女性の間で人気らしい。


 これはパンよりお米、洋より和の珠希さんのためにリサーチしておいたのだ。事前にここに行こうかと伝えてみると、前から気になっていたとのことだったので俺も楽しみにしていたのだが。


「いっぱい並んでるね」


 珠希さんが目を丸くしている。店の前にはすでに長い行列ができていた。オープンしたてで大変混むと聞いたので、少し早めに来たのに。みんな考えることは同じか。ここはレストラン街なので他にも飲食店はたくさんあり、中には並ばずに入れるところもある。


「うーん、三十分待ちだって。どうしようか。今日は他にするか?」


「ううん。せっかく来たから並ぼう。待つのもきっと楽しいよ」


「まあ、そうだな……うわっ」


 珠希さんに手を取られ、長い列の一番後ろに並ぶ。何かの間違いかと思ったが、確かに手を握られているし、手を繋いだままで彼女は俺の隣に身体を密着させて立っている。


 ちょっと待ってくれ……不意打ちに心臓が飛び出そうになった。なんとか口を開くも、またもやその手の魔術でもかけられたかのように声が出ず、ひたすら口をパクパクさせることしかできない。俺、生きてるのか? そんなことすらも自分ではわからなくなっていた。


「ご、ごめんね。なんか、調子に乗っちゃった?」


「いや、大丈夫。このままでいい」


 挙動不審なのがバレていたらしい。なんとか意識を取り戻し、手を握り返した。耳の中が自分の心臓の音でガンガンとうるさかったが徐々に落ち着いてきて、会話もできるようになった。ふたりでスマホアプリの陣取りゲームで遊びながら、ひたすら順番を待った。


 そして、ちょうど三十分後。赤いのれんをくぐった店内は、和を基調としつつも、女の子の好きそうな明るい色合いの内装で、店員さんの制服も着物をモチーフとしているもの。全ての席が若い女性客で埋まっていた。


 こんなところに男が一人となると、普通なら萎縮してしまうところだろう。しかし俺に関して言えば……そもそも日常からしてこの状態なのだから、今さら臆することなどない。


 店員さんが来て、湯気がたつおしぼりと湯呑みを置かれる。この時間のメニューは日替わりランチひとつだけ。そのかわり、好きなおにぎりを二つ選べる。足りなければおにぎりや小鉢を追加することもでき、食後に小さなデザートもつけられるというシステムだ。


「私はもう決まってるよ」


 おにぎりは全部で十五種類ほど。スタンダードなものから変わり種まで色々取り揃えられている。そのうちの何にするかは、俺もここに来る前から決めていた。注文をすることにする。


「えっと、俺はエビマヨと、あとツナマヨで」


「私は昆布とちりめん山椒をお願いします」


 えっ!? 俺は必死に平静を装ったが、内心は大きく揺れていた。目の前でニコニコと笑う珠希さんが大人の女性にしか見えず、血の気が静かに引いていく。


「環くん、どうしたの? そんなにお腹すいてた? もう一つおにぎり頼んどく?」


 それなりに空腹だったが、腹の虫も驚いたのかすでに泣き止んでしまっている。


「ああ、いや、以上で大丈夫です」


 俺が手を振ると、店員さんが去っていく。なんとか落ち着こうと湯呑みに手を伸ばしたが、手がわかりやすく震え出す。


 これはまずい。馬鹿正直に好きなものを注文してしまったが、きっと子供っぽいと思われたに違いない。彼女にふさわしい男でいるためには、おかかと梅干しと答えるべきだったのではないか? いや、梅干しはあまり得意ではないが、早急になんとかすべきかもしれない。


「はあ……」


「どうしたの? 待ちすぎて疲れちゃったかな」


「ああ、いや、大丈夫。なんだろう、不甲斐なくてごめん」


「ええ? 本当にどうしたの? そんなことないよ」


 珠希さんは先ほど渡した包みをテーブルに置くと丁寧に開き、中からネックレスを取り出した。その顔はなんだかとても嬉しそうに見えて、勇気を出してプレゼントしてよかったとは思ったが。


「それも、なんかカッコつけたけど、ちょっと安過ぎたかも……ごめん」


「ううん、これが欲しかったから嬉しいよ」


 さらに。こういうものは気持ちなのだというのは分かっていても、その程度の価値しかないと言っているかのような気もする。もう少し高くても買えたのになと気が落ちた俺だったが、珠希さんは……自分でつけようとして手こずっているようだ。首の後ろに手を回したまま、何度も首をかしげている。


「つ、つけようか?」


「えっ、ありがとう。実はちょっと苦手で……えへへ」


「わかった」


 力強く頷いたものの、俺も実はやったことがなかった。ビクビクしながら受け取り観察すると、キーホルダーでもたまに見る留め金具のごく小さいものだと気が付いた。これなら何とかなりそうだ。


 意を決して席を立った。みんな食事やおしゃべりに夢中でこちらを気にしているはずもないことは分かっていても、一発で決めないと照れくさい。彼女の髪の下に手を滑りこませ、首の後ろで手早く金具を留める。チェーンを軽く引き、外れないことを確認した。


 シンプルな銀のフレームに埋め込まれたピンクの石が輝く。この値段なら本物な訳はなく、ガラスか何かに間違いないだろう。なのに彼女がつけているだけで、何だかとても尊いものに見えてくる。


「すごく綺麗。ずっと宝物にするね」


「よ、喜んでもらえてよかった」


「えへへ」


 こういう時は『あなたの方が綺麗だよ』と言うべきなのかもしれないな。笑顔が可愛くてまっすぐ見られないのに、そんな歯が浮きそうなセリフ、とても言えるはずがない……照れ隠しのつもりで、目の前に運ばれてきたおにぎりにかじりついた。


「おいしいね、お米がつやつやで甘くて。それに私、ちりめん山椒大好きで」


「それって、辛いものが好きってことか?」


 だとしたら、紺野先生と同じだ。そういえば、おにぎりのメニューに辛そうなものがいくつかあるのを気にしていたように思うが、山椒はどうだったかな。


「うーん、ちょっと違うかなあ。ピリッとするのは好きだけど」


「うーん、そうかあ……難しいな」


 どちらもあまり口にしないので、違いがよくわからないな。と思いながら味噌汁をすする。これにも小鉢にも苦手な野菜が入っていたが、好き嫌いは特にないという彼女の前で、食べられなくて残すなんて無様は晒せないととにかく必死だった。これから色んなものを一緒に食べられるように、ひとつずつ克服していかねばなるまいな。


「環くんと一緒にご飯食べられて幸せ」


 相変わらず美味しそうにご飯を食べる子で、向かい合っているこちらも幸せだった。やっぱりこの笑顔に尽きるし、ずっと見ていられるな、そう思った。




 ◆



 昼食を食べてから、本屋に行き、ゲーセンでまた景品を取って珠希さんにプレゼントし……その後は雑貨屋や服屋を何店舗か覗いたところで今日は時間切れとなってしまった。夕食の時間ギリギリまで遊んでしまうと、学校行きのバスが混むからだ。


 次はどこに行こうか、映画もいいな、温泉も。なんて話しているうちに電車はいつもの駅に到着してしまった。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうものだなと思う。


 改札を出て、ずっと繋いでいた手を離したところで、人混みの中に見知った人物を見つけた。珍しく眼鏡をかけ、長い黒髪を後ろでお団子にまとめてはいるが。


「あれ? 淑乃ちゃんだよね」


「ほんとだな。こんな時間に駅にって、もしかして今から実家に帰るのか?」


「ううん。今週は帰らないはずだよ」


 確かに森戸さんの足は、学校行きのバスが出るバスターミナルの方へ向かっている。


「へえ……声かけて一緒に帰ろうか」


「あ! いいねっ」


 森戸さんめがけて駆け出した珠希さんの胸元で、ネックレスがきらめいた。出て行くときにはつけていなかったそれを、きっと真っ先に見つけてからかってくるのだろうな、あの黒髪の悪魔は。そういう細かいところにすぐ気がつく子だから、なんだかんだ頼りになるわけだが。


 ……まあ、突っつかれるのにもそろそろ慣れないと。ゆっくり息をついてから、珠希さんの背中を追いかけた。無事にデートを終えられたことを紺野先生にも報告しないとな。そんなことを考えながら。

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