そして、契約は成った サイドA:4
私、榮倉ミドリは憂鬱だった。
昨日までは。
そう。私は命の危険と引き換えに、とてつもない奇跡を手に入れた。
竜。
幻獣の王。神話の覇者。そして有史以来あまねく獣の中で最強の生物。
学校の授業も、友達との薄っぺらい会話も、今日は心にゆとりを持って卒なくこなすことができた。
私には、竜がいる。
その事実は、世界に横たわる現実の重さをほんの少し軽くして、その灰色がかった色彩をほんの少し鮮やかにした。
***
マンションの屋上への扉は施錠されている。
だけど私は、階段の踊り場から外構の出っ張りを渡ればそんなに危なくもなく比較的簡単に屋上に登ってしまえることに気が付いた。
初めはほんの小さな悪戯というか、私だけの秘密の場所、みたいな感じで。
嫌なことがあったり、なんとなく一人になりたい時に景色を眺めたり、本を読んだりするのに使っていた。
でもまさかそこが、発作的とは言え死を選ぶ場所になるなんて。
まさかそこが、運命の竜との出会いの場所になるなんて。
まさかそこが、その竜との、契約の場所になるなんて。
夜の七時過ぎ。
私は入浴して身を清め、髪を乾かし整えて、黒いフォーマルドレスに着替えると屋上に向かった。
竜はそこにいた。
闇夜に身を沈めるように。翼を畳んで。
瞳を閉じている。
眠っているのだろうか。
「来てくれたのね……」
私の呼び掛けに、竜は目を開けて首をもたげた。
ぐうー、と喉を鳴らす。返事をしたのだろうか。
いい子だわ。
「今日はあなたに贈り物があります」
私は竜を見つめ、竜は私を見つめた。
「私の竜としてのあなたの名前」
私は少し息を吸い込んで、はっきり宣言した。
「今日、今夜、今から。あなたの名は、オクトーバー」
『お、お、くとぉバー……』
竜は私が名付けた名を繰り返した。人間の言葉で。
知能が急激に成長した? 名前が付いたことで自我が強化されたの?
「そして私も今までの名前を捨てます。あなたに乗る私の名前は、グリーン。オクトーバーに乗るライダー。私は、グリーン」
竜は首を垂れて、私に背中までの道を開いた。
契約は、成った。
私は竜の頭を撫でると、その首筋に足を掛けて、背中に跨った。
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