予想外の危機 サイドB:3

 俺は飛んだ。

 背中に自殺志望のお嬢様を乗せて。


 正直、人を乗せて空を飛ぶのなんて初めてだったが、どうやら彼女は自ら飛び降りるような気は失せたらしくしっかり俺の背中に掴まってるようだし、俺の背中の翼のすぐ前は、翼を動かす筋肉の二列の山が丁度溝を作っていて、彼女を納めて飛ぶのに丁度良かった。


 今日は雲が出てるけど、だからこそ見られる景色を彼女に見せてやろう。


 悪いけどドラゴンの力があっても、人間社会の複雑な問題を鮮やかに解決してやることはできない。

 多分だけど、そんな複雑な社会を織り成す人間だからこそ、神話の時代をぶっち切りで勝ち抜いて、この世の、時代の支配者になれたんだろう。


 俺に出来るのは、現実以上の非現実をオーバーフローさせて、辛い気持ちを一時忘れさせてやることだけだ。


 でもいいだろ?

 たった一回でも。

 普通はドラゴンの背中に乗って夜空を飛ぶなんて、一生に一回だって出来ないんだから。


「ああ……」


 どうだい。まだ死にたいとか思ってるか?


「綺麗……」


 だろ?

 飛行機乗ってたってこんな景色はそうそう拝めねえ。

 それに二重ガラス越しに見るのと生で見るのとじゃ迫力が違うってもんだ。今日の雲の上は気流が一定で穏やかだ。運がいいなお嬢様。


 その時、もぞ、と彼女が俺の背中で動いた。

 俺たちドラゴンの鱗には神経が通っていて、表面を触るものは割と繊細にその感触が分かる。


 つまり、その……薄いパジャマの女の子の……身体の感触が……。


 あっ……。あっ……。


「ねえ、もっと……速く飛べます?」


 えっ、いや飛べるけれども。

 なるべく、じっとしてくれます?


 ダメだ。

 一度意識してしまうと彼女の身体の感触や体温は、圧倒的な破壊力を持って俺の精神を塗り潰してゆく。エロい?下品?好きなように言え!立場が俺の今の立場で、全くそんな意識をせずにいられる健康な青年男子がどこにいる⁉︎


 ふと、さっき嗅いだ彼女の髪の匂いが記憶に蘇る。そして背中の神経が勝手にフルHDでイメージ再現する彼女の柔らかな身体のフォルム。その体温。少し早い胸の鼓動……胸?……胸!


「もっと早く飛んで! もっと! もっとよ‼︎」 


 ああっ、やめて!動かないで!

 鎮まれ俺のリトルドラゴン。

 女の子を背中に乗せてその感触で興奮してるドラゴンなんて、誰かに知れたらドラゴン族全体の恥だし、二度と再び誰もドラゴンに乗りたいとは思わなくなるだろう。


 集中だ集中。

 飛ぶことに集中しろ。

 あと九九だ。

 こういう時は九九の七の段を暗唱して、淫らな気持ちを追い出すのだ。


 えーと、七一が七、七二十四、七三……


 あっ、ダメ。座り直さないでっ。お尻、と、股が……その体温が……うう……ウワーッッッッ!!!


***


 はあっ、はあっ、はあっ……


 彼女と出会った屋上。

 俺は姿勢を低くして、彼女に降りるように促す。


 あれから俺はなんとか自制心を振り絞り、母さんを思い浮かべるという最後の手段を用いてリトルドラゴンをベビードラゴンへ抑え込むことに成功した。

 ごめんな母さん。こんなことに母さんを使って。


「疲れまして……?」


 ま、まあね……飛ぶこと自体はなんてことないけど、女の子を乗せて飛ぶのはもっと大人になってからにするわ。


「ありがとう。竜さん。私はミドリ。榮倉ミドリ。あなた、お名前は……?」


 一応この姿でも人間語は喋れるけど、彼女が思ってるだろうドラゴンっぽく振る舞っとこ。


 ぐるるるる


 こんなもんかな。

 乗り切った……なんとか乗り切った偉いぞ俺。

 早く帰って、今夜はすぐ寝よ。なんか疲れた。どーっと疲れたわ……。

 でも、彼女……ミドリだっけ?

 元気出たみたいだし、一応人助けできたんだよな?

 ほら、母さん。俺がドラゴンになって夜の散歩をすることで、一人の女の子の命が救えたぜ?

 一体なにを根拠にドラゴン化を全面禁止に……。


「明日またここに来てくださる? 同じ時間に」


 ……は?


「でないと私、今度こそ飛び降りますから」


 ……は?




 ……は???

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