風は私を慰めた サイドA:3

 風を切り裂いて、最強の幻獣は夜空を駆ける。


 私は振り落とされないように必死でその背中のゴツゴツした突起にしがみ付く。


 ちらりと見える眼下の景色は煌めく街の夜景で、しかしそれもすごい速度で後方にすっ飛んで行く。


 降ろして、元の場所に戻して、と言いたいが、それすら許さないほどに竜の背中にしがみ付くのは大変な作業で、私は全集中力をその姿勢の維持に割かねばならない。


 怖い。

 さっきは、飛び降りようとしていた時はどこか麻痺していた死への恐怖。今まで無視しようとしていたそれがミルフィーユのように折り重なって、私に重くのしかかっていた。

 死にたく、ない。


 私は私の死への希求が、ほんの気の迷いの、一時的なものであったことを実感した。

 に、しても。

 今のこの状況はなんなの⁉︎

 私は実は既に死んでいて、これは死にゆく私が視ている幻覚⁉︎

 それとも何かの神様が、安易に死を選ぼうとした私に下した天罰⁉︎


 その時、竜が雲に突入した。

 私は息を呑んでゴツゴツを握る手に一層の力を込めた。

 月明かりを受けてコバルトに光る濃厚なクリームのような雲が、私と竜とを撫でるようにしながら高速で通り過ぎてゆく。私は思わず目を閉じた。

 でもそれは思ったよりも短い時間で、私を乗せた竜はすぐに雲を突っ切ってその上に出たようだった。

 途端に空気が穏やかになる。


 竜の動きも、湖面のボートのように安定した。


 私は、恐る恐る目を開けた。


「ああ……」


 感嘆の声が漏れた。


 三日月。満天の星空。

 そして、雲海。


 頭上には星の海。

 眼下には雲の海。

 その境界をどこまでも真っ直ぐに飛ぶ一匹の竜。

 私は、その竜の騎手だった。


「綺麗……」


 素直な感想だった。

 竜は少しだけ振り向いて私の様子を確認したようだった。心なしか、その表情はどこか得意げに見えた。

 

「ねえ、もっと……速く飛べます?」


 竜は前に向き直り、翼を大きく羽ばたかせた。その反動で背中もまた大きく上下したが、何故か今までよりも怖くなかった。

 竜が私を落とさないように、細心の注意を払って飛んでいることが分かったからかも知れない。


 雲の薄い所から、小さく街の灯りが瞬いて見える。細く連なる光の線は、走る列車だろうか。


「もっと早く飛んで! もっと! もっとよ‼︎」


 気が付くと私は、竜にそう命じてそのスピードに酔っていた。

 その気の狂ったような速度の中では、全てを足元に見下ろす高さの中では、私が抱えている悩みなど本当に取るに足らない、どうでも良いものに思えた。


 これは天罰なんかじゃない。

 死んだ私が視る夢でも。


 これは現実。

 飛びっきり非現実的な、素敵な現実。


 小さな何かが頬を横切って後ろに飛び去って行く。


 私は、私が絶え間なく涙を流して泣いているのを知った。

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