Ep.04 最悪の事態

 囲炉裏を囲む蘇我馬子そがのうまこ(36)、太媛ふとひめ(33)、物部守屋もののべのもりや(37)。馬子と守屋の思い出が詰まった竹の重箱が、守屋の前に置かれた。馬子の長女・河上娘かわかみのいらつめ(11)が箱のふたを開ける。その中には、一匹のねずみの死骸だけが転がっていた。それを見た守屋は思わず飛び跳ね、その場から離れた。

「穢らわしい!」


 馬子の次男・倉麻呂くらまろ(13)は慌てて守屋に尋ねた。

「いかがしましたか、伯父上?」

守屋は倉麻呂のことを睨みつけながら答える。

「倉麻呂、そなたらは私にこれを食べろと申すか。こんな侮辱は初めてだ」

倉麻呂と河上娘は箱の中身を見て驚愕した。自分たちが用意したはずの蒸した米ではなく、ねずみの死骸が入っていたのだから。倉麻呂は咄嗟に刀自古を呼びつける。

「刀自古!出てこい!」

その間に守屋は帰り支度をしていた。河上娘が必死に止めようとする。

「伯父上、申し訳ございません!お待ちください!」

「帰らせてもらう」

太媛も守屋を引き留める。

「兄上、これは何かの間違いですわ」

しかし、守屋の怒りは収まらなかった。とうとう屋敷を出て行ってしまったのである。


 馬子の長男・善徳ぜんとこ(15)は守屋の後を追いかけた。守屋は振り返って、善徳を待った。

「なんだ?」

善徳は冷静に話す。

「伯父上、お送りいたします」

「結構」

守屋はそう言い放つと、足早に去っていってしまった。


* * *


 囲炉裏で焼かれている魚は、もう焦げる寸前の状態である。河上娘はひどく落ち込んでいた。


 倉麻呂に呼ばれて、馬子の次女・刀自古とじこ(10)が囲炉裏の近くにやってきた。馬子と太媛、それに倉麻呂と河上娘、その場にいる全員が刀自古を見ている。刀自古は動じず無表情のままでいる。


 倉麻呂が刀自古に近寄って言う。

「ねずみをあの箱に入れたの、刀自古がやったんだよな?」

「はい」

倉麻呂は涙目になりながら、刀自古にきつくあたる。

「今日がどれだけ大事な日かわかっているだろう⁉どうしてこんなことをした!」

刀自古は倉麻呂のことを激しく睨みながら答えた。

「あの箱、私のだもん‼」

倉麻呂は呆れて言葉が出なかった。ただ深いため息が出るばかりだった。


 馬子は鋭い目つきで倉麻呂を見た。倉麻呂は目線に気づいたのか、屋敷の外へ出て行って外の風にあたっていた。

 

 河上娘は気力を失ったのか、その場に座り込んでしまった。母・太媛は優しく声をかける。

「さあ、魚が焦げてしまいますわ。食べましょう」

囲炉裏を囲む馬子と太媛、そして河上娘。決して居合わせたくないような、気まずい空気がその場に漂っていた。


* * *


 翌日、4月2日。新嘗祭にいなめさい当日である。

 明け方、朝廷は深い霧と静寂に包まれていた。その静けさを破るかのごとく、ぞろぞろという足音が響き渡った。群臣たちが門をくぐりぬける。


 朝廷の庭、朝庭に群臣は集まって座っていた。やがて堂々たる風格で、大臣・蘇我馬子がその場に現れる。群臣を鼓舞するように、大声で話し始めた。

「では、朝政を開始する。今日は新嘗祭当日!正念場だ!」

「はっ!」

群臣が声をそろえて返事する。その中には、善徳の姿もあった。


 馬子は当初、祭りの準備を手伝わせるべく、善徳と倉麻呂の二人を朝廷に連れてくるつもりだった。しかし、前日の宴会で不快な思いをした挙句、その宴会は倉麻呂が独断で開いたものだったと知って、倉麻呂を連れてくるのをやめてしまった。


 馬子は朝政を開始しようとする。

「では……」

話し出そうとしたその時、門からもう一人現れた。

「待たれよ」

冷静な声の主は、大連・物部守屋であった。

「この物部守屋なくして朝の政を進めるとは、なんと愚かなことか」

これに馬子も冷静に返す。

「遅れてきた分際でその物言いとは、そなたこそなんたる愚行」

二人は、お互いに恐ろしいほどの眼力で睨みあった。完全に、昨日の宴会での怒りを引きずっている。


 当時は、大王を中心として、各地の人々を統治する豪族が朝廷に集まって、国の政治を行っていた。早朝に行われていた群臣の会議は、朝政と呼ばれた。


 睨みあう馬子と守屋を見て、有力豪族の一人、坂本糠手さかもとのあらて(45)が話し出す。

「まあまあ、お二方、落ち着きなされ。今宵の新嘗祭は豊作を祝い、神に感謝申し上げるもの。ならばお二人ではなく、神職を担う中臣連が中心になって議論するべきではないかと思います」


 坂本糠手からの名指しに驚く、中臣勝海なかとみのかつみ(44)。中臣氏の子孫は、のちに蘇我蝦夷・入鹿親子を滅ぼすことになるが、それはまだまだ先のことである。

「わ、私でございますか⁉」


 群臣がいくら言おうと馬子と守屋の睨み合いは止まらない。守屋は馬子の事を罵倒する。

「そもそも、古くからの神事を軽んじ、仏の教えを広めようとしておるそなたが、なぜ新嘗祭に関わろうとしているのだ」

「決して古くからの神事を軽んじてはおらぬ」

「いや我らからすれば軽んじているようにしか見えぬ!日本古来の神こそ、最も大切にすべきなのだ!」


 守屋は同じ意見を持っているであろう中臣勝海を見て問いかける。

「そうであろう?中臣連?」

中臣勝海は慌てて答える。

「た、確かにその通りでございます。大臣の態度は決して良いものではありませぬ」


 守屋は満足した表情で馬子を見る。

「どうだ、大臣?わかったかな?」

馬子は不敵の笑みを浮かべて答える。

「今はそのような議論をしている場合ではない。のう?葛城臣?」


 葛城烏那羅かつらぎのおなら(41)、彼もまた大王を支える豪族の一人である。

「然様でございます。その議論は、今宵の新嘗祭が終わってからでもよろしいのではないですか」


 坂本糠手も同調して答える。

「私もそう思う」


 中臣勝海は周りの群臣の顔色を窺いながら、恐る恐る話し出す。

「では……新嘗祭については、とりあえず私が仕切ってもよろしいかな」

守屋は腑に落ちない様子だが「よかろう」と合意した。馬子も納得いっていないようだったが、「うん」と承諾した。


 中臣勝海は声高らかに話し始めた。

「では、本日の新嘗祭について説明を始める!皆様方の持ち場については、前回決めた通り・・・」




 悲劇の新嘗祭が始まろうとしている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る