Ep.03 宴の席
子供たちの発案で、父・
馬子の次男・
ふと疑問に思ったのか、倉麻呂が母・太媛に尋ねる。
「それで、その思い出の重箱は今どこにありますか?」
「さあ……どこに行ってしまったのかしら。家の中にはあるでしょうけど……」
一瞬にして、河上娘の瞳から輝きが失われた。倉麻呂も絶望して言う。
「てっきり、どこにあるかご存じかと思っていました……」
太媛は必死に思い出そうとしている。
「どこかで見たような気もするけど……」
河上娘は諦めたのか、無言でたけのこの調理に戻った。
そこに、馬子の次女・
刀自古は倉麻呂を見て、無表情で言う。
「ねずみ、捕まえました」
倉麻呂はどうでもいい報告にあきれたのか、目線をそらし不機嫌そうにして答えた。
「いまは刀自古にかまっている余裕はないのだ」
一方、母・太媛は優しく声をかける。
「捕まえてくれてありがとうね」
刀自古は少しニッコリとして、手に持っていた二段重ねの箱を太媛に見せた。太媛が言う。
「これは……」
刀自古は微笑みながら答える。
「中にねずみが入っています」
横でたけのこを調理していた河上娘が怒る。
「土間にそんなもの持ち込まないでよ!」
「ごめんなさい」
刀自古は咄嗟に謝って土間を去ろうとする。
「待って!」
太媛が止める。
「その箱よ!さっき話していた思い出の重箱!」
一斉に驚く倉麻呂と河上娘。河上娘は調理するのをやめて、箱に駆け寄った。彼女の顔には「よかったあ」という安堵の表情が浮かんだ。
倉麻呂は刀自古を見て必死に言う。
「刀自古、この箱を貸してくれないか」
刀自古は箱を抱きかかえて、倉麻呂を睨んだ。
「いやだ!刀自古のだもん!」
「頼む!父上と伯父上の仲直りのために、絶対に必要なんだ」
「なんでなんで!」
刀自古はその場から立ち去ろうとした。しかし倉麻呂がそれを力ずくで止める。刀自古はギュッと竹の重箱を抱きかかえて抵抗していた。
振り回される竹の重箱。やがて倉麻呂は無理矢理奪い取った。
「今晩使うだけだ!明日には返すから!」
倉麻呂は蓋を開けた。中に入ったねずみは、頭を打ったのか、息が途絶えそうになっている。とりあえずねずみをどこかへ移さなければこの箱は使えない。そう思った倉麻呂は、ねずみをそっと掴んで刀自古に渡した。
「ほかの箱にでも入れておきな」
そう言い残し、倉麻呂は箱を洗うため井戸に向かった。
刀自古は悲しそうに弱ったねずみを眺めていた。
* * *
飛鳥の空がオレンジ色に染まる。いよいよ宴会が始まろうとしている。
倉麻呂と河上娘は玄関にいた。守屋と、彼を迎えに行った馬子の長男・
一方、刀自古は土間で竹の重箱を眺めていた。刀自古は重箱のふたを開けて中身を見た。蒸した米が湯気を上げ、美味しそうに入っている。しかし刀自古は、逆に自分の瞳から湯気を出しそうなほど、その米を激しく睨んでいた。
* * *
守屋が到着した。
父・母・伯父が囲炉裏を囲む。その光景は、倉麻呂がずっと待ち望んでいたものだった。しかし、次男の倉麻呂とは対照的に、長男・善徳は震えていた。今まで味わったこともないような緊張を体感していたからである。
ピリピリした雰囲気の中、守屋が口を開く。
「今日は、私に謝ることがあるそうだな?」
馬子は眉間にしわを寄せて答える。
「ん?そなたが話したいと言うたから、仕方なく受け入れたのだぞ」
「なんだと?話が違うなぁ」
守屋は首をかしげた。倉麻呂は自分のついた嘘が露見しそうで焦っている。善徳は冷静に振舞っているものの、本当は心臓が止まりそうなほどドキドキしていた。
馬子はついに怒り出してしまった。
「こっちは新嘗祭の準備が大変だというのに、わざわざ時間を割いてやったのだぞ⁉祭りまでに支度が出来なかったら、どう責任をとるつもりだ!守屋!」
守屋は怒りを静め、淡々と反論する。
「それとこれとは関係ない。新嘗祭の準備が遅れてしまったのはすべて馬子、そなたのせいである」
「新嘗祭の一切を取り仕切ると、前に言うたではないか」
「取り仕切るとは言った。だが責任を取るとは一言も言ってないぞ」
「往生際が悪いぞ!
「それはそなたの方だ、
太媛は、馬子と守屋の会話を二人の間で黙って聞いていた。目を閉じて、ただ静かに時が過ぎるのを待っていた。が、我慢しきれなくなり爆発する。
「おやめください!」
太媛は、馬子と守屋の会話を制止した。
「そのようなお姿を子供たちに見せるのはやめてください。せっかく子供たちがおもてなしすると言っているのに、これでは台無しではないですか」
太媛は倉麻呂と河上娘の方をじっと見つめた。二人は、これが母・太媛の合図だと気づいた。
続けて倉麻呂が明るく話し出す。
「そうです。今日は、大臣と大連ではなく、父上と伯父上として楽しんでほしいのです!」
河上娘が土間から竹の重箱を運んできて、守屋の前に置いた。蓋が乗っていて中身はまだ見えない。
倉麻呂が説明する。
「この重箱は、お二人が若い頃、狩りに出かけたときに使ったものです。覚えていらっしゃいますか」
馬子と守屋は昔のことを振り返りながら、つぶやきはじめた。
「そういえば使ったのう、馬子」
「あの時は獲物が仰山とれたのう、守屋」
「楽しかったなあ……」
「またあの時のように、何も考えずに、狩りを楽しむことができたらよいのう……」
「ああ……」
緊張が溶け、良い雰囲気になってきたところで、河上娘が箱のふたを開けようとする。
「ぜひ、狩りに行った時のことを思い出しながら、お召し上がりください」
そう言って、竹の重箱を開けた。
思い出の竹の重箱から、あったかい湯気が昇り、美味しそうなご飯が現れる……
はずだった。入っていたのは、一匹のねずみの死骸だった。
(つづく)
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