Ep.02 その思い出の重箱で
屋敷の入口で父・
「お前たちに大事な話がある、中に入れ」
馬子の声は低く太い。数多の兵をまとめあげるほどの、威厳のある声である。
倉麻呂は恐る恐る馬子に聞いてみた。
「何の……お話でしょうか」
「いいから中に入れ」
馬子は即答すると、屋敷の中へ入って行った。善徳と倉麻呂は覚悟したのか、いったん深呼吸してから屋敷の中へ入った。
囲炉裏を囲んで座る馬子、善徳、倉麻呂。いつもは一家団欒して穏やかに過ごしているはずの空間が、今は殺伐としたものに様変わりしている。馬子が口を開く。
「大事な話というのはだな――」
話し出した矢先、馬子の次女・蘇我
刀自古は無表情で3人に聞く。
「ねずみがこっちへ来ませんでしたか」
倉麻呂は迷惑そうに刀自古を見ながら、軽く注意する。
「刀自古、少し向こうに行っててくれないか。いま父上が大事な話をされようとしているのだ」
「わかりました」
刀自古は無表情のまま去ってしまった。馬子が善徳と倉麻呂に説明する。
「土間にねずみが出てな。刀自古はそのねずみを捕まえようと、朝からずっと追いかけまわしてるんだよ」
すると「いた!!」という奇声と、ドタバタする音が屋敷中に響き渡った。
「そういえば、お前たち朝いなかったよな?」
馬子は鋭い目つきで善徳と倉麻呂を見つめる。
善徳と倉麻呂はおびえている。
「どこへ行ってた?」
父の質問に、倉麻呂は意を決して答えた。
「朝廷でございます!」
「何しに行った?」
倉麻呂は反応に困って黙り込んでしまった。そんな倉麻呂を見て、善徳がぎこちなく答える。
「あの……祭りの準備がどれだけ進んでいるか、見て参りました」
険しい顔をしていた馬子だったが、善徳の返答を聞いた瞬間、表情を緩ませた。
「なら話が早い」
「どういうことでしょうか?」
善徳は思わず聞き返した。馬子は続ける。
「実はその祭儀まであと二日だというのに、準備が滞ってしまってるのだ。そこでなんだが、善徳と倉麻呂にも支度を手伝ってもらいたいのだ」
善徳はあ然としていた。一方の倉麻呂は緊張がほぐれたのか、にやついている。倉麻呂は馬子に聞いてみる。
「大事な話というのは、それだけですか?」
「それだけとは何だ?大事ではないか」
「ええ、たしかに」
「では明日より朝廷に来るように、良いな」
善徳は「承知!」と言ってうなずいた。しかし倉麻呂は何も言わない。
「どうした、倉麻呂?」
馬子は、倉麻呂の深刻そうな表情を見て疑いの目を向けた。
倉麻呂は恐る恐る答える。
「お忙しいところ恐縮ですが、我らは手伝えませぬ。実は明日の夜、伯父上がうちに来たいとおっしゃっているのです」
「なに!守屋がか⁉お前たち、守屋に会ったのか⁉」
馬子は大声で反応した。守屋という言葉に対する拒絶反応である。倉麻呂は動揺しながらも話し続ける。
「あ……いえ、じかに会ってはおりませぬ……舎人から聞いたのです。まあとにかく、我ら兄弟が料理を振る舞い、もてなすことになったのです!」
馬子はすぐに返答する。
「断る!」
「いえ!もう我らと伯父上の間で約束してしまったのです!今ここで断れば、伯父上が何をしてくるかわかりませぬ!」
「何を勝手なことをしてるんだ!馬鹿者!」
「ねずみがこっちへ来ませんでしたか」
刀自古が再びやってきた。
「知らんわ!」
馬子は激昂して答えた。
紆余曲折を経て、馬子は宴会を開くことを受け入れた。
* * *
そしていよいよ、宴会当日。
日が傾きかけた頃、馬子の長女・
「全部任せきりにしちゃって、悪いわね」
太媛が声をかけると、河上娘はたけのこを洗いながら答える。
「お任せください!今日は私たち兄弟姉妹がもてなしするのですから!」
「楽しみだわ」
そこに倉麻呂が何かブツブツ言いながら歩いてくる。
「何かが足りん……何かが足りん!」
河上娘が聞いてみる。
「兄上、どうしたのですか」
倉麻呂は右往左往しながら答えた。
「いまさらかもしれないが、父上と伯父上の関係を修復させるためには、ただ宴会をやるだけでは足りないと思うのだ」
河上娘が倉麻呂に言う。
「なら、仲が良かった頃を思い出してもらうのはどうでしょうか」
「どうやって思い出してもらうのだ?」
「あたしだったら、小さい頃に使ってた物とか見ると、あの頃は楽しかったな~って思うかな。だからそういう感じで、何かできないかな?」
「小さい頃に使っていた物……」
倉麻呂と河上娘が話し合っていると、母の太媛は優しく声をかけた。
「それなら、竹の重箱はどうかしら」
倉麻呂がすかさず聞き返す。
「竹の重箱?それが父上と伯父上とどう関係してるのですか」
太媛は昔のことを思い出したのか少しほほえんだ。
「ずいぶん前のことになるけれど、二人が狩りに行く時に、昼の食事を竹の重箱に入れて持たせたのよ。あの日はたくさん獲物を捕またようで、二人とも楽しそうだったなあ。あの時の二人の笑顔は、今でも覚えているわ」
河上娘はたけのこを洗うのをやめ、瞳を輝かせながら母・太媛のもとへ駆け寄る。
「それです!!その思い出の重箱でごちそうを出すのです!!」
これで馬子と守屋は絶対に仲直りしてくれる。倉麻呂と河上娘はそう確信していた。
(つづく)
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