Ep.02 その思い出の重箱で

屋敷の入口で父・蘇我馬子そがのうまこ(36)が仁王立ちしていた。その姿を見た善徳ぜんとこ(15)と倉麻呂くらまろ(13)は驚きのあまり固まってしまった。

「お前たちに大事な話がある、中に入れ」

馬子の声は低く太い。数多の兵をまとめあげるほどの、威厳のある声である。

倉麻呂は恐る恐る馬子に聞いてみた。

「何の……お話でしょうか」

「いいから中に入れ」

馬子は即答すると、屋敷の中へ入って行った。善徳と倉麻呂は覚悟したのか、いったん深呼吸してから屋敷の中へ入った。



囲炉裏を囲んで座る馬子、善徳、倉麻呂。いつもは一家団欒して穏やかに過ごしているはずの空間が、今は殺伐としたものに様変わりしている。馬子が口を開く。

「大事な話というのはだな――」

話し出した矢先、馬子の次女・蘇我刀自古郎女とじこのいらつめ(10)が囲炉裏の近くにやってきた。全員の視線が刀自古とじこに向かう。

刀自古は無表情で3人に聞く。

「ねずみがこっちへ来ませんでしたか」

倉麻呂は迷惑そうに刀自古を見ながら、軽く注意する。

「刀自古、少し向こうに行っててくれないか。いま父上が大事な話をされようとしているのだ」

「わかりました」

刀自古は無表情のまま去ってしまった。馬子が善徳と倉麻呂に説明する。

「土間にねずみが出てな。刀自古はそのねずみを捕まえようと、朝からずっと追いかけまわしてるんだよ」

すると「いた!!」という奇声と、ドタバタする音が屋敷中に響き渡った。


「そういえば、お前たち朝いなかったよな?」

馬子は鋭い目つきで善徳と倉麻呂を見つめる。

善徳と倉麻呂はおびえている。

「どこへ行ってた?」

父の質問に、倉麻呂は意を決して答えた。

「朝廷でございます!」

「何しに行った?」

倉麻呂は反応に困って黙り込んでしまった。そんな倉麻呂を見て、善徳がぎこちなく答える。

「あの……祭りの準備がどれだけ進んでいるか、見て参りました」


険しい顔をしていた馬子だったが、善徳の返答を聞いた瞬間、表情を緩ませた。

「なら話が早い」

「どういうことでしょうか?」

善徳は思わず聞き返した。馬子は続ける。

「実はその祭儀まであと二日だというのに、準備が滞ってしまってるのだ。そこでなんだが、善徳と倉麻呂にも支度を手伝ってもらいたいのだ」


善徳はあ然としていた。一方の倉麻呂は緊張がほぐれたのか、にやついている。倉麻呂は馬子に聞いてみる。

「大事な話というのは、それだけですか?」

「それだけとは何だ?大事ではないか」

「ええ、たしかに」

「では明日より朝廷に来るように、良いな」

善徳は「承知!」と言ってうなずいた。しかし倉麻呂は何も言わない。

「どうした、倉麻呂?」

馬子は、倉麻呂の深刻そうな表情を見て疑いの目を向けた。


倉麻呂は恐る恐る答える。

「お忙しいところ恐縮ですが、我らは手伝えませぬ。実は明日の夜、伯父上がうちに来たいとおっしゃっているのです」

「なに!守屋がか⁉お前たち、守屋に会ったのか⁉」

馬子は大声で反応した。守屋という言葉に対する拒絶反応である。倉麻呂は動揺しながらも話し続ける。

「あ……いえ、じかに会ってはおりませぬ……舎人から聞いたのです。まあとにかく、我ら兄弟が料理を振る舞い、もてなすことになったのです!」

馬子はすぐに返答する。

「断る!」

「いえ!もう我らと伯父上の間で約束してしまったのです!今ここで断れば、伯父上が何をしてくるかわかりませぬ!」

「何を勝手なことをしてるんだ!馬鹿者!」

「ねずみがこっちへ来ませんでしたか」

刀自古が再びやってきた。

「知らんわ!」

馬子は激昂して答えた。



紆余曲折を経て、馬子は宴会を開くことを受け入れた。


* * *


そしていよいよ、宴会当日。

日が傾きかけた頃、馬子の長女・河上娘かわかみのいらつめ(11)が土間で料理支度をしていた。そこに母親の太媛ふとひめ(33)がやってきた。この太媛こそが渦中の人物である。夫は大臣・蘇我馬子、兄は大連・物部守屋なのだから。

「全部任せきりにしちゃって、悪いわね」

太媛が声をかけると、河上娘はたけのこを洗いながら答える。

「お任せください!今日は私たち兄弟姉妹がもてなしするのですから!」

「楽しみだわ」


そこに倉麻呂が何かブツブツ言いながら歩いてくる。

「何かが足りん……何かが足りん!」

河上娘が聞いてみる。

「兄上、どうしたのですか」

倉麻呂は右往左往しながら答えた。

「いまさらかもしれないが、父上と伯父上の関係を修復させるためには、ただ宴会をやるだけでは足りないと思うのだ」

河上娘が倉麻呂に言う。

「なら、仲が良かった頃を思い出してもらうのはどうでしょうか」

「どうやって思い出してもらうのだ?」

「あたしだったら、小さい頃に使ってた物とか見ると、あの頃は楽しかったな~って思うかな。だからそういう感じで、何かできないかな?」

「小さい頃に使っていた物……」


倉麻呂と河上娘が話し合っていると、母の太媛は優しく声をかけた。

「それなら、竹の重箱はどうかしら」

倉麻呂がすかさず聞き返す。

「竹の重箱?それが父上と伯父上とどう関係してるのですか」

太媛は昔のことを思い出したのか少しほほえんだ。

「ずいぶん前のことになるけれど、二人が狩りに行く時に、昼の食事を竹の重箱に入れて持たせたのよ。あの日はたくさん獲物を捕またようで、二人とも楽しそうだったなあ。あの時の二人の笑顔は、今でも覚えているわ」

河上娘はたけのこを洗うのをやめ、瞳を輝かせながら母・太媛のもとへ駆け寄る。

「それです!!その思い出の重箱でごちそうを出すのです!!」


これで馬子と守屋は絶対に仲直りしてくれる。倉麻呂と河上娘はそう確信していた。


(つづく)





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