PM18:30 奥様は最強

 長時間に渡るクレンネル大公の事情聴取を終えた頃には、とっくに正午を過ぎていた。『一緒に昼食はいかがですか?』と大公からお誘いをいただいたが、『急ぎフィリアスに報告しなければなりませんので』とディーンは辞退した。

 時間が許すならヒースの首根っこを捕まえてでも、兄弟を同じテーブルにつけて話し合いをさせたかったのだが、そうもいかない。先程の大公の証言を聞いて、遺骸捜索時の危険が浮上した。昨夜を最後に捜索部隊から連絡が無いのは、何か不測の事態に陥ったのかもしれない。早急に対策を練る必要がある。


 ヒースとの話し合いはまた次回に持ち越そうと、オールドローズ館を出たところで、張り込んでいた記者たちに見つかり逃走。ガレア島に戻るのに大幅な迂回を余儀なくされ、二人が近衛騎士団営舎に辿り着いたのは十七時頃のことだった。素直に昼食をご馳走になれば良かったと、後悔したのは言うまでもない。


 思いがけない大冒険を強いられたが、休む暇は無い。二人は帰還したその足で、団長の執務室に向かい、聴取の結果を報告したのだった。


「大公殿下は、こちらの全ての質問に誠実に答えてくれた。……言い難いことも、全部な」


 報告を終えたディーンは執務室の古いソファの背にグッタリともたれる。今回の事情聴取は、相手がよく知る大公ジェイドだけに、公平な眼を保つのに骨が折れた。敵対勢力の貴族を相手にする時とは別の緊張感である。


 ヒースとジェイドのすれ違いの原因となったゴシップの真偽については、ヒース本人が聞いているので伏せたが、事前に用意していた質問の答えは得られたので、フィリアスがそれ以上追及することはなかった。


「ご苦労だったな」


 夕陽が執務室を色濃く染めて、フィリアスの髪に火の粉のような赤金の光が舞う。労うフィリアスがどこか楽しげなのは、四苦八苦するディーンを見るのが愉快なのだろう。フィリアスは大公と結託して、隙あらばディーンを王太子に推挙し、政治の世界に引き込もうとしている。今回は相手が大公だったので、交渉の経験を積むための絶好の機会だと考えたのかもしれない。


 ――ま〜た何か企んでやがる。


 うんざりと舌打ちで返したディーンに、フィリアスはにやりと口の端を上げる。


「白大蛇の遺骸捜索部隊は、一時間前にイスハットに到着した。イオス島下で魔物の群れと交戦した際、通信機が破損して連絡が遅くなったそうだ。遺骸の一部を切り取って持ち帰ったので、第一騎士団で精査して死亡が認められれば、明日にでも捜査終了の宣言が出されるだろう」

「……そうか。なんだか釈然としねえが、無事なら良かった」


 一時間前にイスハットに到着したなら、今頃は大陸-浮島間昇降機エレベーターの上だろうか? 飛竜が無事なら昇降機を使わずに飛んで帰ってくるかもしれない。いずれにせよ、結果が出るのは明日なので、今日できることはもう無いだろう。そう結論付けて、ディーンはようやく肩の力を抜いた。


 話が切れたタイミングで、それまで口を挟まず、黙って聞いていたヒースが「質問があるんだけど、いいかな?」と、そろりと手を挙げる。


「あの……今回の件でクレンネル家は何かお咎めを受けたりするのかな? 僕がシュセイルの近衛騎士でなければ、シュセイルが巻き込まれることは無かったんだし……」

「兄君が心配か?」


 フィリアスの問いに、ヒースは答えに詰まって視線を泳がせた。憂いに揺れる深い青の瞳は、夕陽を滲ませて紫紺に潤む。


「それは、まぁ……ね。……大事な人を手に掛けて自罰的になってる時に、シュセイルの事件の責任を問われたら、悪くなくても余計な責任を負ってしまうんじゃないかって」


 兄とリリティナの終わりは、ヒースにとっても衝撃的だったのだろう。ディーンが報告する間、ヒースは青い顔で俯いていた。気まずいながらも兄を気遣う思いはあるようで、『悪いのは自分で、兄ではない。兄を責めるのは間違っている』そう言いたいのが透けて見える。


「そうだな。お前の言う通り、悪くないのに責任を負う必要は無い。お前がシュセイルの近衛騎士だということは周知の事実で、ジェイド殿が教えなくても他の誰かから聞いただろう。白大蛇が咬んだ者を仮死状態にして傀儡にすることが分かったのは、リリティナ嬢が亡くなった後で、あの状況で地下牢から逃げるなんて想定外だったはずだ。悪意や怠慢で逃したわけじゃない」


 ディーンが大公を擁護すると、フィリアスも頷く。


「雪女の犠牲者の多くは、シュセイルの騎士だが、彼らは任務を全うし市民を守ったに過ぎない。任務上での怪我や魔障はシュセイル王国が保障するもので、大公国に求めることは無い。……面白がって自ら雪女の餌食になった者たちについては、厳重に注意した後、社会奉仕活動に従事してもらうことになっている。いずれも大公殿の手を煩わせることは無い」


 シュセイルが自国の騎士を保障しなければ、騎士の忠誠心は薄れ、他国に引き抜かれてしまう。相手が同盟国のローズデイル大公国ならまだマシだが、敵対するグランシア帝国に引き抜かれれば機密情報が漏れて大打撃となる。保障金よりも、騎士流出リスクの方が優先度が高いということだ。


「それじゃあ、お咎め無しってこと? それはそれで、なんだか申し訳ないな……」


 そう言いつつも、ヒースは安堵した表情を隠さない。ちょっと困ったように笑う顔は、やはり兄と似ている。


「大公家には、な。『浮島に何が入ろうが、止められなかった騎士団が悪い』って、クソ親父や貴族院の連中は騒ぎ出すだろうから、大公殿下にはそっちの相手をしてほしいな」

「俺も、正直そっちの方が面倒でな。あのクソ親父のことだ。嬉々としてつついて来るぞ」


 国王の息子二人が、揃ってため息を吐くので、ヒースはそれ以上何も言えなかった。




 ††




 一日中ずっと人間の姿に変身していたシルフィは、疲労から白竜の姿に戻ってしまい、ヒースが近衛騎士団宿舎に帰った時には宿舎裏庭を占領して寝入っていた。本来、竜は竜舎に預ける決まりだが、白大蛇撃退の功労者であることを鑑みて、特別に近衛騎士団宿舎の裏庭で眠ることが許された。――表向きはそういう理由になっているが、実際は違う。


 今日一日シルフィと一緒に過ごしたエルミーナは、すっかりシルフィの味方になってしまったようで、『ヒースと離れたくない』と訴えるシルフィのために、夫であり近衛騎士団団長のフィリアスに直談判し、裏庭使用許可をもぎ取った。……というのが、真の理由である。


『シルフィさん、ヒースに見せたいからって、可愛いお洋服を着て良い子で待っていたのに……』と、エルミーナのシルフィ贔屓は止まらず、チクチクと良心を刺されたヒースは、シルフィと一緒に裏庭で寝ることにしたのだった。


 シャワーを浴びて部屋着に着替え、野営用のシュラフやランプ等お泊まりセットを手に裏庭に降りると、冬枯れの芝生の上に月明かりを浴びて白銀に輝くシルフィの背中が見えた。

 一年前は猫ぐらいの大きさだったが、今は軍馬二頭分ぐらいの大きさに成長している。それでも白竜の巣で見た母竜よりかは小さいので、これからもっと大きくなるのだろう。


「竜ってこんなに早く大きくなるものなのかな? 君が僕のために無理をしていないか心配だよ」


 ヒースがそっと頭を撫でると、シルフィはクルクルと喉を鳴らしてヒースの手に頭を擦り付ける。鰭状の耳がぱたぱた動いて、尻尾の先がゆるりと揺れた。


「おかえりヒース」

「ただいま。起こしちゃった? ごめんね」


 シルフィは眠気に重そうな瞼を半分開けて、ヒースの姿を確認すると、安心したように喉の奥でクウウと鳴く。


「シルフィ、今日はエリーとお買い物した」

「楽しかった?」

「うん。……でも、ヒースがいなくて寂しかった」

「……そっか」


 悪意も情欲も駆け引きも無く、ただ真っ直ぐに伝えられる純粋な好意が、何故だか泣きたくなるほど胸に沁みて痛い。ヒースは白竜の首の付け根に腕を回して顔を埋める。真珠色の鱗の肌は触れた時はひんやりしているが、ずっと触れていると体温が伝わってじんわり温かくなる。


「今夜は、君の隣で寝てもいいかな?」

「うん」


 許しを得たヒースは、シルフィの隣に夜露避けのマットを敷いて、その上にシュラフを広げ、枕元にランプと護身用の短剣を置く。ランプの光量を落としてシュラフに潜り込むと、シルフィは長い首と尻尾で卵を抱くようにヒースを囲んで丸くなった。


「明日はお仕事お休みだから、どこか遊びに行こうね」

「デート?」

「で!? う、うん、そう、デートだね。たぶん」


 シルフィは機嫌良さそうに喉をクルクル鳴らして眼を閉じる。呼吸でゆっくり上下するシルフィの背中を見ながら、ヒースも眠りに落ちる……――はずだった。

 枯れ草を踏み締めて何かが近付いて来る音に、眠気が一気に吹き飛ぶ。ヒースはシュラフから這い出して、鞘から短剣を引き抜いた。ランプを高く掲げると、宿舎正面入り口から裏庭に抜ける通路に黒いブーツの足元が見えた。相手はひとりのようだ。


「どちら様ですか? 夜這いは間に合ってますよ」

「誰が貴様に夜這いなんぞするか!」

「……えっ? その声」


 侵入者の男は足を引きずりながら数歩進んで、ランプの明かりの中に顔を出すと、その場にふらりと倒れ込んだ。ヒースが駆け寄って抱き起こすと、男は強い力でヒースの手を掴む。薄汚れているが、白い制服は第一騎士団のもの。袖から覗く手首にはひび割れたムーンストーンの付いたブレスレットがあった。


「貴様にだけは頼りたくなかったが……ディーン殿下に、伝えてくれ。……あいつ、白大蛇は、生きている。第一騎士団は……信用、する……な」

「アダムくん!!」


 首筋で脈を測れば、鼓動はしっかりしている。差し迫った生命の危険は無さそうだが、身体が異常に冷たい。治療の手配や、方々に連絡を入れるなどして、ヒースが寝たのは朝方になってからのことだった。

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