PM14:00 解けた絆を結び直して
すっかり冷めた紅茶が喉を通って行くのが分かる。話に出てきたほぼ全ての人物を知るディーンは、逐一彼らの顔が思い浮かんでしまって、無心で聞くことのできないあまりにも悲しい事件だった。
波打つジェイドの金髪が俯いた頬に掛かり、ゆるりと肩に滑り落ちる。まるで金色の涙を零すように痛々しい。掛けるべき言葉が見つからず、ディーンは空のティーカップを覗き込む。
「リリティナは死にました。私が、殺しました」
確認するように、再度はっきりと、ジェイドは言い切る。疑問を挟む余地さえ許さない。それが答えだと言わんばかりに。
「彼女の遺体は荼毘に付し、ベルローザ大聖堂の墓地に葬りました。もう彼女が利用されることは無い。たとえ闇の女神であろうと、二度と彼女には手を出せないでしょう」
「……リリティナ嬢の名誉と眠りを守られたのですね」
理解を示したディーンに、ジェイドは悲しげに微笑む。その痛みを堪えるような笑い方は兄弟そっくりだなと思ったが、ディーンが口に出すことはなかった。
「リリティナはいつから雪女だったのか、とお尋ねになりましたね? 私は、“リリティナが雪女だった事実は無い”とお答えします。もし、その雪女がリリティナに似ているのだとすれば、彼女を操っていた白大蛇がリリティナの姿を借りているのでしょう」
ジェイドが『リリティナを殺した』と言って憚らないのは、雪女とリリティナは別人であることを明確にして、シュセイルで起きた一連の事件の犯人ではないことを主張するためのものだ。火葬され、大聖堂の墓地に葬られたのなら、
リリティナの正体に関しては答えが出たので、次の疑問に移ろうと、ディーンは居住まいを正す。
「お話を聞いた限りの推測ですが、白大蛇はジェイド殿下の手によって討伐されたように思います。しかし、現在浮島近郊にはリリティナ嬢の姿をした白大蛇が出没しています。クリスティアル卿を狙ったことからも、ローズデイルに出現したものと同一だと思われますが、地下牢からどうやって逃げたのでしょうか?」
ジェイドは眼鏡のブリッジを押し上げて、記憶を呼び起こすように指でこめかみを叩く。ジェイドに当時の状況を何度も思い出させてしまうのは心苦しいが、重要な疑問である。
追い払われる度、白大蛇はより狡猾になってヒースの前に現れる。死骸を確かめていない現状、白大蛇が死んだという確信が持てない。もし、今回も逃げ延びたのだとしたら、次はもっと搦め手を使ってくるだろう。逃げ延びる方法があるのなら、事前に潰しておかねばならない。
「……護衛の騎士たちの誰かに咬み付いて、一時的に取り憑いたのかもしれません。あの後、私ひとりでは大勢を運べないので、増援を呼んで弟と怪我人を城に運びました。短い間に四十名ほどの人間が地下牢に出入りしたので、様子がおかしい者が居ても気付かなかった可能性があります」
「雪女の毒には、記憶に作用する神経毒が含まれています。咬まれた騎士は、前後の記憶を失っているでしょう。おそらく、利用された本人も気付いていないかもしれない」
何週間も前のことだ。今更咬まれた騎士を特定しても意味は無い。それよりも問題なのは、死骸が見つかったとしても、何かに取り憑いて逃げ延びた可能性があるということ。
「しかし何故、遥々シュセイルまでやって来たのでしょうか? ローズデイルに潜伏して、クリスティアル卿が大聖堂を出た時に狙えばよかったのでは?」
「解呪したことで、クリスティアルに付いていた目印みたいなものが消えて、見失ったのでしょう。白大蛇はリリティナのフリをしている間に、弟がシュセイルの近衛騎士だと知った。シュセイルで待ち構えていればいずれクリスティアルが現れると、そうまでして手に入れたかった……」
ジェイドは額を押さえて、頭痛を逃すように重いため息を吐く。
「これは、言おうか迷っていたのですが……事件後、彼女の持ち物から、青い宝石がゴロゴロ出てきましてね……ちょっと、ゾッとしました」
「それは……ちょっとどころじゃないですね……」
宝石箱の中に青い瞳の眼球が詰め込まれている想像をして、ディーンは露骨に顔を顰めた。ジェイドはこほんと咳払いして続ける。
「白大蛇の氷魔法がシュセイルの土地と相性が良いことも理由のひとつでしょう。我々のように神の血を引く者でなければ、よほど魔力に敏感な者以外は、吹雪が自然発生のものか白大蛇によるものか区別がつきません」
「シュセイルで氷魔法といえば、まず最初に竜を疑いますからね。加えて、シュセイルには光魔法の使い手が少ない……闇の女神の使徒に気付き難い」
ジェイドの証言の中で、白大蛇は光を忌避している素振りがあった。天敵が少なく、潜伏する環境的にも魔力の相性的にもシュセイルの方が過ごし易いのだろう。
「なるほど……大変なご心痛の中、貴重な証言をありがとうございました。いただいた証言を元に、早急に捜査を立て直す必要がありますね」
「お役に立てたなら幸いです」
ほっと息を吐いて、ジェイドは肩から滑り落ちたショールを掛け直す。話し始める前よりも顔色が明るくなって、表情が和らいでいるが、これ以上無理をさせてはいけない。切り上げた方が良いだろう。しかし、帰る前にどうしても、ひと言言いたいことがある。ディーンは膝に肘を置いてジェイドの方に身を乗り出した。
「まったく。ジェイド殿も人が悪い。俺を揶揄っても楽しくないでしょう? これだけ関わっていながら『私が雪女事件の関係者ですか?』なんて!」
「いやいや、楽しませていただきましたよ」
突然砕けたディーンの物言いにも驚かないのは、ディーンを王太子に推す最大の後援者が、このクレンネル大公ジェイドだからである。
ディーンが『俺は王になんて絶対にならねえ!』と言っていた子供の頃から、どういうわけか他の王子には目もくれず、ディーンを支持してくれている。長年見守ってきて、ディーンの口の悪さは充分知っているため、今更腹を立てたりはしないだろう。ディーンとしては、むしろ腹を立てて、諦めてほしいのだが。
「ふふ。まぁ、わざわざ喧伝する内容でもないですから。それに……誰かに聞いてほしかったのかもしれません」
若き大公を引き摺り降ろそうと狙う者は多い。誰にも胸の内を明かせず、ずっとひとりで抱えてきたのだろう。本当に聞いてほしかったのは弟だったはずだ。そう思うと、それ以上責める気にはなれなかった。
「話して楽になるなら、いつでも聞きますよ。今度は酒呑みながらにしましょう。親父からなんか良い酒をかっぱらってきます」
「それは楽しみですね。なるべく高そうなやつにしてください」
「はは……親父が『謀反だー!』って騒いだら助けてくださいよ?」
席を立ち、応接の間を出る直前、壁に掛けられた長剣と短剣に眼が止まった。どちらも青竜アズラエルの角から鍛造された剣で、剣身は細身で青白い光を湛えている。
「あいつ……此処に飾ってたんですね」
ディーンの視線の先を眼で追って、ジェイドも剣を見上げる。
「ベアトリクス卿の形見の双剣だと聞いておりますが」
「はい。クリスティアル卿は母の唯一の弟子ですから。使ってくれたら母もアズも喜ぶと思ったんですが……『僕にはまだ重い』とか言って使わないんですよ」
美術的価値も高い逸品だが、名剣も使い手が居なければ錆びるだけ。特に亡くなった竜の骨角武器は、持ち主に不要とされ忘れられた時に朽ち果てる。竜は己の竜騎士を護るため、涙を流しながら自ら角を折って捧げるのだという。そうして作られた武器を忘れることは、竜の献身に対する冒涜に他ならない。その瞬間、竜の武器は存在する意義を失い、空に還るのだ。
――そうならないように、ヒースに譲渡したのに。
大事にされてはいるが、美術品として飾られたままでは、武器としての意義も込められた竜の思いも失ってしまう。
「ジェイド殿、ひとつ頼みがあります。クリスティアル卿には秘密で……」
ディーンの頼み事を聞いたジェイドは『弟には秘密ってところが気に入りました』と、快く請け負ってくれた。
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