回想③それは舞い散る白雪のように

 誰もが口を噤んでいた。ちらちらと目を泳がせ左右の人と目配せしながら、ジェイドとは目を合わせようとはしない。ジェイドは熱いため息を吐いて、ベッドの上で上半身を起こす。母のラウラが手を貸してくれたが、やはり目を合わせてはくれなかった。――何か有ったと察するには充分な反応である。


「私が毒にやられて寝ている間に、譲位したのだろうか? 公王の問いに、何故誰も答えようとしない?」


 家臣に名指しで問い詰めることもできたが、ジェイドとしては、家族のように接してきた者たちにきつい態度を取ることは、なるべくなら避けたかった。しばらく沈黙が続いたが、主人の意向を汲み取ったのか、人垣の裏に影のように控えていた家令のスペンサーが、ベッドの前に進み出て跪く。


「ご報告が遅れ、申し訳ありません。お目覚めになられたばかりで、このようなことを申し上げるのは、大変心苦しいのですが……落ち着いてお聞きください。弟君は陛下の暗殺を図ったため、拘束して地下牢に収容しています」


 ジェイドは己が耳を疑ったが、高熱の怠さで動揺を面に出さずに済んだのは幸いだった。


「弟が暗殺を図ったという証拠は?」


 淡々と問いを重ねるジェイドの反応に、家令は赦しを求めるように深く首を垂れて、震える声で答えた。


「それ、は……、陛下が毒に倒れられた直後に、弟君がリリティナ様に……乱暴を働いたと……リリティナ様が涙ながらに訴えられ、発覚したのです」


 家令の報告に、ジェイドは瞑目した。身体の芯に熱が籠って血が昇り、頭蓋が締め付けられるように鈍く痛む。頭が上手く回らない。


「……彼女は何処だ?」

「リリティナ様は、お部屋で療養されていたのですが、二日前に姿を消してしまわれて……現在総出で行方を追っています」

「そうか。もうよい。分かった」


 胸に込み上げる思いは怒りでも悲しみでもなく、『ああ、またか』という諦念だけ。ジェイドの人生にまたひとつ悲哀の痕が加わっただけのことだ。

 ジェイドはベッドから起き上がり、いつもの眼鏡を掛けると、部屋の壁に飾られた魔光銃を手に取った。


「騎士を招集せよ。逆賊を討つ」

「お待ちください陛下! 処分はリリティナさんを見つけて、双方の事情を聞いてからでも遅くはありません。……待って、ジェイド!」


 追い縋る母に背を向けて、ジェイドは騎士を引き連れて地下牢へと向かった。




 ††




 ゴツゴツとした岩壁に手を着きながら、ジェイドは石段を踏み外さないように慎重に下って行く。普段は地熱で暖かい地下道は、壁や石段に薄らと氷が張って氷室のように肌寒い。痛みと倦怠感を押し出すように溢したため息は、一瞬で白い煙となって眼鏡を曇らせる。袖で乱暴にレンズを擦るジェイドを、同行した騎士たちは黙って見つめていた。


 しばらく降りて、地下牢に続く扉が見えた所で、ジェイドは魔光銃の安全装置を解除した。この異常な寒さからは、闇の気配がする。何が居るかは分からないが、何かが居るのは確かだ。用心に越したことはない。

 歩みを進めようと踏み出したジェイドに、それまで背後で見守っていた騎士団長エドヴァルドが声を掛けた。


「陛下。我々が先行いたします」


 ジェイドが振り返ると、エドヴァルドを始め、騎士たちは剣の柄に手を置き、いつでも抜けるように構えていた。ジェイドは頷いて、壁に寄って先を譲る。


「……ああ、頼む」


 その場で隊列を組み直し、ジェイドの前後に騎士が配置された。わざわざ銃を持ったジェイドの前に立つということは、撃たせる気が無いのか、それとも撃たないと思っているのか。

 考えている間に地下牢の入り口に辿り着いた。やはり、冷気は鉄製の扉の向こうから漏れ出ている。一行は凍りついた扉を蹴り破って地下へと踏み込んだ。





 あたりは一面、銀世界だった。燻んだ銀色に凍りついた鉄格子の回廊が真っ直ぐに伸びて、最奥の牢屋へと続いている。ジェイドの視線は、自然とその牢屋へと誘導された。――牢屋の中の、その人物に。


 探るように一歩踏み出したつま先に何かが当たって、恐る恐る視線を下げれば、氷漬けになった看守が横たわっていた。側に居た騎士が抱き起こすが、すぐにジェイドの顔を見上げて首を横に振る。地上へ連れ帰るにも、まずは原因を排除せねばならない。入り口付近に運ぶように指示して、ジェイドは銃のグリップを握り直した。


 じゃりじゃりと、靴底が細かな氷を潰す音が、静謐な氷の宮殿に響く。最奥の牢屋には、開いた二枚貝のような形の氷のベッドが在った。無論、元から備え付けられたものではなく、魔力によって作り出されたものだろう。ベッドの上にはひと組の美しい男女が寝そべっている。

 意識が無いのか、だらりと力が抜けた半裸の男――弟クリスティアルの胸に、うっとりと頬を寄せるのは、かつて将来を誓った女の姿をしたナニカ。


「弟から離れろ。リリティナ!」


 構えた銃口の先で、リリティナが嗤う。騎士たちは抜剣してジェイドを護衛するが、目の前で何が起きているのか理解が追いついていないようだった。

 ざりざりと氷の上に長い胴を滑らせながら、リリティナは億劫そうに身を起こす。純白の花嫁衣装の裾から伸びる太い蛇腹に、ジェイドは息を飲んだ。


「ふふふふ……いらっしゃいジェイド様。私の可愛い人。妬かないでちょうだいね。私は貴方のことも愛しているのよ。でも、この子が逃げようとするから仕方なくこうしただけなの」


 悪びれた様子は微塵も無く、白蛇の女怪は宝物を抱くように氷のベッドにとぐろを巻く。


「初めて見た時から欲しかった。ずっと探してた。青くて、キラキラした、強い光を放つ宝石のような瞳。は食べちゃいたいって思ったけれど、こんなに素敵に育つなんて」

「……貴様、あの時の白大蛇か!?」


 両眼の視力は無事だったが、生命力を使い果たした父は、あの日を境に、自力で立てなくなる程に弱ってしまった。これは、あの時逃したツケが回って来たのか、それとも報復の機会が巡って来たと捉えるべきか。かじかむ指先を引き金に添える。


「貴方の眼も好きよ。でもこの子も捨てがたい。だったら、両方とも私のものにしてしまえばいいって思ったの。貴方もこの子も愛してるんだもの――だって、私にはそれができるから」


 白大蛇は巨大な雌に小さな雄が群がる一妻多夫制。彼女が望めば、多数の夫を迎えることができる。しかし、できるからといって、ジェイドには――おそらく弟にも、到底受け入れることはできない。人ではない別モノと化した彼女は、婚姻が相互同意の時点で破綻していることに気付いていないのかもしれない。


 白大蛇は自慢の宝を見せつけるように弟の瞼に口づけて、頬から首筋、鎖骨を通って鍛えられた胸へと指を這わせる。その様は、傷付き倒れた騎士を優しく介抱する女神のように神々しい。しかし、その顔に浮かぶ愛欲に塗れ淫蕩とした笑みは、ジェイドが今までに見たどの魔物よりも醜悪だった。


「だから、ね。邪魔をしないで。貴方もこの子も、平等に愛してあげる。なるべく傷つけたくないのよ」


 不意に、肺が押し潰されるように苦しくなって、急激に温度が下がったのだと覚った。ジェイドは震えてカチカチと鳴る奥歯を噛み締めながら、体内を流れる魔力に集中する。最早、これ以上の話し合いは無意味だ。


「――其は払暁の剣を以て、日輪の戦車を駆る者」


 ジェイドの足元から蛍火のような金色の光の粒が立ち昇り、薄暗い地下牢を明るく照らす。風や雷は空が開けた場所でなければ呼び出せないが、光は違う。闇の只中であっても、心に光を失わない限り潰えることはない。


「七つの光輝の薔薇の主人。創世の炎が一、光明の白き炎の守護者。我が祖神、太陽と光の神クリアネルよ。我が身に宿りて、闇夜を焦がせ!」


 心臓が跳ねて、血液と共に熱い魔力が身体を駆け巡る。身体を蝕んでいた毒気を吹き飛ばすと、手足の指先に神経が通っていくような心地がした。握力の戻った手で魔光銃のグリップを握り込めば、銃床にはめ込まれた魔石に黄金の魔力光が充填される。


「もうあの頃の私ではない。二度と家族を奪わせはしない」


 ――兄弟仲良くね。

 父が何故そう言ったのか、今なら分かる。あの日、白大蛇の眼から未来を視た父は、兄弟の間に亀裂が入ることを予知したのだろう。だが、父に言われるまでもない。ジェイドは弟の無実を信じていた。確信を得た今、リリティナの眉間に向けた銃口は揺らぐことはない。


「我が祖神の名において、闇よりいでし魔を祓う」


 ジェイドの最終通告に、白大蛇はにたり、という擬音が合いそうな笑みを浮かべて蛇腹をくねらせる。立ち上がれば見上げるほどに大きな体躯は、重量も相当のものだろう。氷の表面を滑らせて速度をつけた尾が鞭のようにしなり、護衛の騎士たちに襲い掛かった。


 エドヴァルドの指揮下、隊列を組んだ騎士たちは光の盾を作り出して防いだが、白大蛇の重い一撃にじりじりと押されている。しかし、目の前の戦況を見守る暇は無い。首筋に嫌な冷気を感じたジェイドは振り向きざまに発砲。天井を這って忍び寄っていたリリティナの頬を掠った。


 リリティナは焼け焦げた頬を撫でながら距離を取り、悲しそうにジェイドを見つめる。腰から下は大蛇の姿をしていても、顔だけを見ればそれは確かに、恋慕った女性の顔で……。

 怯んだジェイドの隙を見逃さず、リリティナは一瞬で距離を詰め、氷の鉤爪を振り下ろす。だが間一髪、リリティナとジェイドの間にエドヴァルドが滑り込み、剣で鉤爪を受け止めた。


「愛しい人。怖がらなくていいのよ? ふふふ、あはははははっ!」


 リリティナは狂気に身をくねらせ、巨大な尾を振り回して騎士たちを薙ぎ払うと、なおもジェイドに手を伸ばした。ジェイドに触れさせないようエドヴァルドがひとり奮闘したが、氷の蔦が脚に絡み付いて自由を奪う。続け様に放たれた氷の矢から身を挺して主人を庇ったエドヴァルドは、氷の彫像となってその場に倒れ伏した。唯一、残ったジェイドを睥睨して、リリティナは狂ったように嗤う。


「ああ、なんて可哀想な人! 貴方の悲運ごと、私が抱いてあげる」


 床を、壁を、天井を、リリティナの甘い声がぐるぐると反響する。受け止めてほしいとでも言うのか、リリティナは両腕を大きく開いて、ジェイドの胸に飛び込んで来た。


 冷たい抱擁に囚われたその時、ドン、と。鈍く、湿った銃声が一発、氷壁に呑まれていった。


 銃を握ったジェイドの手を、銃ごと自分の胸に押し付けたまま、は安堵したように微笑んだ。黒く焼け焦げた傷痕から黄金の光が漏れる。彼女の皮膚の下を通って、白大蛇の鱗を一枚一枚描き出すように、尾の先まで黄金の光が奔る。やがて、内側から破裂するようにガラスのベルのような清涼な音を立てて白大蛇の身体は砕け散った。


「ご無事で、良かっ、た。ジェイドさ……ま」

「リリ……君なのか?」


 地下牢に、砕けた白大蛇の鱗が舞う。

 ジェイドの頬を撫でるリリティナの手は氷のように冷たく、頬を伝う涙の熱に溶けてしまいそうに儚い。いつかの花畑で見たのと同じ、少し恥ずかしげにはにかんだ笑みを浮かべて、リリティナはゆっくりと瞼を閉じた。腕の中で永遠の眠りについたリリティナを抱き締めて、ジェイドは降り止まぬ白雪に打たれていた。

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