AM10:20 悲運の人

 ローズデイル大公ジェイド・サーシス・クレンネルは、富も地位も名誉も才能も、おおよそ人が求めるほぼ全てを持って生まれた男だった。しかし、誰が言い出したのか、いつの間にか“悲運の人”という不名誉な呼び名が定着しつつある。

 金融業で莫大な富を築くには豪運も持ち合わせていたはずだが、彼の運は金を稼ぐことにのみ発揮されるようで、彼の悲哀に満ちた人生を照らす光にはならなかった。


 ジェイドの最初の悲運は、父サフィルスの未来視の魔眼を受け継がなかったことである。

 クレンネル大公家特有の深い青の瞳を持って生まれた嫡男に、人々は大きな期待を寄せて盛大に祝福した。しかし、彼が成長し言葉を覚えた頃、彼の眼に予言の力が無いことを知ると、それまで必死に擦り寄っていた者たちは掌を返して離れていった。

 ジェイドの側に残ったのは、家族と、古くから仕える家臣と、シュセイル国王アレクシウスだけだった。そのアレクシウスもまた、ジェイドの眼に失望を隠さなかったが……。


 そして、二つ目にして最大の悲運といわれるのが、十歳下の弟のクリスティアルこと、ヒースの存在だった。

 ヒースが生まれたその年は例年より暖かく、薔薇の開花が早かった。薔薇谷ローズデイルの名を体現するが如く、国中の薔薇が一斉に咲いて、現世に顕現した太陽と光の神クリアネルの御子を祝福したと云う。


 ヒースの眼は綺麗なだけで、何の力も持たなかった。しかし、予言と魔法の代わりに持って生まれた美貌は、一言で表すなら“異常”と言えよう。この世ならざる美貌は、見る者を惑わせる点においては父の魔眼に匹敵するかもしれない。


 アレクシウスは大公の二人の息子がどちらも魔眼を継がなかったことに失望したようだったが、父サフィルスは『良かった』と嬉しそうに泣いていたのを、ジェイドは強く記憶している。『魔眼を持たずに生まれたこと』こそ運が良かったのだと知るのは、父が魔眼に生命力を奪われ、若くしてこの世を去った後のことだ。


 多くの人々に祝福され、また多くの裏切りを得た兄。薔薇と美に祝福され、魔法の光を持たずに生まれた弟。兄弟はことあるごとに比較されたが、仲は非常に良かった。

 見た目はもちろん、自分を慕ってくれる歳の離れた弟というのはそれだけで可愛いかったし、両親は平等に兄弟を愛してくれた。生まれつき魔法が使えないヒースを、闇の誘いから守らなければという兄としての使命感もあって、過保護になりがちなのは自他共に認めるところである。


 社交的で剣技の才能があるヒースと、天才的な商才と相場を見る眼を持ったジェイド。お互いの足りないところを補い合えば、ローズデイルはより強固になるだろう。ヒースもジェイドも、そう信じてやまなかった。――あの事件が起きるまでは。




 ††




 シュセイル王の城が青を基調としているのに対し、オールドローズ館は煉瓦のような渋めの赤を基調にしている。一歩館内に入れば、贅を凝らした金の燭台やクリスタルのシャンデリアの装飾に圧倒される。豪華に過ぎるが成金趣味に見えないのは、年代を感じさせるアンティーク家具や設えが、渋みのある色合いに品良くまとまっているからだろうか。


 王子のディーンが見ても、どちらが王城か分からなくなる豪華さなので、初めて訪れた人間はここが王宮だと言われても納得してしまうに違いない。視界に入るもの全てが金額が分からないぐらい高そうという状況には、流石のディーンも緊張する。誤って花瓶など落とそうものなら、とんでもない金額を請求されそうである。


 普段より縮こまって行儀の良いディーンの姿を見たら、ヒースはきっと腹を抱えて笑うだろう。いくら親友が気落ちしているとしても、身体を張って笑いを取りに行くつもりは無い。執事に連れられ、応接の間へと館内を歩きながら、ディーンはヒースに見られないことを祈っていた。


 応接の間へと続く回廊は片側が鏡になっていて、豪奢な調度類と薔薇の庭園が映り込み、実際よりも広く見える。鏡の中の居心地悪そうな自分と目が合った時、ディーンはふと、この館を愛していた前大公のことを思い出した。


『未来がえるんだろう? ヒースはいつ魔法が使えるようになるんだ?』


 ディーンが初めて会った頃にはもう、その人は常に車椅子に座っていた。膝掛けの上に揃えられた指は細く、骨と皮ばかりで、痩せた首筋に白髪混じりで艶のない金髪が垂れる。サングラスの下の瞼は閉じているのだろうか、それでも値踏みするような視線を感じるのは魔眼の為す技なのか。柔らかな弧を描く唇は蒼ざめて、かつてシュセイルの勝利の予言を謳ったような神秘性は見えない。父が何故、この不気味な男を重用するのか、当時のディーンには理解できなかった。


『ヒースが苦しんでいるのを知ってるくせに、どうして黙っているんだ!?』


 その日、初めてヒースと大喧嘩したディーンは、仕事で王宮に来ていた前大公サフィルスを見つけて、無謀にも食ってかかったのだ。

 まるで、待ち伏せていたかのように人払いされていて、ディーンを止める者は誰も居なかった。――実際、サフィルスはその日、その場所でディーンに会うと予知していたのだろう。


 サングラスを取る動作がやけに緩慢に見えて、強く記憶に刻まれている。血の気の無い蒼白い瞼が開いて、親友ヒースと同じ色をした深い青の瞳を見た瞬間、ディーンは胸と頭を無理やりに開かれたような強い衝撃を受けた。


 周囲の空気が水になってしまったかのように呼吸ができず、苦しさに堪らずその場に跪く。その間も、サフィルスの眼から視線を逸らすことができない。抉じ開けられ、中身を掴んで引き摺り出し、白日の元に晒して見分されるような羞恥に似た恐怖。気付けば、ディーンは床に額付いて『みるな』『みないで』『やめて』と譫言のように繰り返していた。


『愛する者の瞳を覗いても、その人の未来は視えない。幸せを願う心が、眼を曇らせてしまうから……だから、んだ』


 冷たい手で背中を撫でられて、ようやくディーンは呼吸の仕方を思い出した。蹲った姿勢のまま顔を上げられないでいるディーンに、サフィルスは痛みを打ち明けるように苦しげに囁く。


『ごめんね。……そして、ありがとう。やっとあの子を視ることができたよ』






「殿下? 着きましたよ」

「――あ、ああ。そう、だな。案内をありがとう」


 執事の声に我に返って、記憶の底から引き上げられる。ディーンは応接の間の扉の前に立ち、軽く襟を正して身だしなみを整えてから執事に頷いた。


「失礼します」


 ひとこと言い置いてから、ディーンが応接の間に入ると、大公ジェイドは既に室内で待っていた。ジェイドはソファから立ち上がり、ディーンに向かいのソファを勧める。


「ようこそお越しくださいました。どうぞおかけください」

「ご無沙汰しております。本日はお時間をいただきありがとうございます。関係者全員に聴取しておりますので、煩わしいでしょうがお付き合いください」

「ご苦労様です。……ええ。遠慮無く、何なりとお尋ねください。初代エリオス王より、シュセイルの公爵位をいただいている身ですから、捜査に協力するのは当然の義務です」


 まだ本調子ではないため、こんななりで申し訳ありません。そう添えて、ジェイドは震える肩に厚手のショールを羽織る。まだ毒の影響が残っているのか、再びソファに腰掛けたジェイドの顔色は悪く、ひとつひとつの動作が重い。


「しかし、私が雪女事件の関係者……ですか? お力になれるでしょうか?」


 銀縁眼鏡のブリッジを押し上げ、困ったように笑うジェイドは、一見協力的な態度ではあったが、やはり痛くもない腹を探られるのは気に障るのだろう。ディーンを見据えるジェイドの視線は、あの日未来を暴いた魔眼に似て、深く鋭く突き刺さる。


「はい。残念ながら、この件に関してジェイド殿下以上に事情を知る者は居ないと思われます」


 怯むことなく切り返したディーンに、ジェイドは態とらしい驚いた表情を浮かべる。


「昨夜、イオス-シス大橋で雪女と騎士団が交戦したのはご存知でしょうか? クリスティアル卿の活躍により撃退に成功し、現在は討伐できたか遺骸を捜索中です。……ところが、ひとつ問題が浮上しました」


 弟の名を出したことで、ようやくジェイドの眼に真剣さが宿る。ディーンは膝の上に置いた拳を握り締めて、冷静に事実だけを述べるよう努めた。


「……雪女の顔が、殿下の元婚約者にそっくりだったということです。俺と、クリスティアル卿、そして第一騎士団の騎士も、はっきりと顔を見ています。また、雪女は金髪に青い眼をした若い男に執着していました。クリスティアル卿の特徴と一致します。クリスティアル卿を見てからは、彼を執拗に追い回したことから、雪女の正体はリリティナ嬢ではないか、というのが我々シュセイル騎士団の見解です」


 反論が来るようなら、従兄弟いとこのアルファルドの証言も加えようと構えていたが、ジェイドは静かに傾聴していた。


「リリティナ嬢は事件の後どうなったのですか? ローズデイルに居た時にはもう、雪女になっていたのでしょうか?」


 ディーンが言葉を切るのを見計らっていたかのように、執事がティーセットを持って応接の間に入ってきた。テーブルの上に紅茶と菓子を並べると、異様な雰囲気を察してか、すぐに退室する。ジェイドはディーンに紅茶を勧めて、自分も紅茶を含んだ。


「……ご存知の通り、リリティナ・ティアフ子爵令嬢は私の婚約者でした。あの事件の後、毒で意識を失ったままのクリスティアルを拉致しようとしたので、私が撃ち殺しました」


 あっさりと告げられた事件の顛末に、言葉を失ったディーンを見据えてジェイドは続ける。


「最初から、お話しますよ」


 長い話になりますから、どうか寛いでお聞きください。

 そう、微笑みながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る