AM9:45 古き有翼人の都

 ガレア島の飛竜発着場入口に人集りを見た時、ディーンは顔から血の気が引く思いがした。

 待ち合わせ相手に何かあったのかと、ゆっくり近付き少し踵を浮かせて人々の頭上から覗いてみると、なんのことはない。待ち合わせ相手のヒースが柱にもたれて物思いに沈んでいるのを、みなが遠巻きに眺めているだけだった。

 ただぼうっと立っているだけで、いちいち絵になるのだから始末に悪い。背景に華を背負う呪いでもかかっているのかと疑いたくなる。


「通してくれ」


 ディーンが声をかけると人垣がさっと散った。ディーンの声が聞こえたようで、ヒースは顔を上げて迷子の子供が親を見つけたような顔で笑う。


「おはよう。俺、遅刻したか? なんかお前、すげえ疲れた顔してるな」

「おはよ。遅刻じゃないよ。僕が早めに着いただけ。……昨日色々あったからね。疲れが残ってるのかも」

「ふうん?」


 何はともあれ無事に合流できた。飛竜貸出受付まで連れ立って歩きながら、ディーンはヒースの横顔をちらりと窺う。いつもは人の良さそうな柔和な笑みを浮かべる唇はきっちりと結ばれて、その類稀なる美貌も相まって近寄りがたい空気を醸し出している。幼馴染のディーンから見ても珍しい光景だ。


「体調が悪いなら無理はするな」

「ありがとう。でも、団長ボスなら行かないとまずいでしょ」

「……確かにフィリアスのもあったが、お前を連れて行くことには俺も賛成した。――安心しろ。大公殿下には俺ひとりで会ってくる」

「それなら、どうして僕を連れて行くの?」


 なんとなくヒースの言葉に険を感じていたが、気のせいではなかったかと、ディーンは小さくため息を吐く。そして、こういう時は余計な気を回さず、正直に話す方が良いとディーンは経験的に知っている。

 ディーンはヒースの腕を引っ張ってロビーの端に連れて行くと、周囲を警戒しながら声を潜めた。


「……ローズデイルでお前が投獄された時、クレンネル家のタウンハウスの使用人たちが、俺に嘆願書を送ってきたんだ。『親友であらせられる殿下もご存知の通り、クリスティアル卿は兄君の婚約をたいそう喜んでおりました。不貞などするはずがありません。どうか公王陛下にお取り成しを』ってな」

「そんなの……初めて聞いた」

「フィリアスにも言ってねえし」


 あいつのことだから、とっくに知ってるかもしれねえけどな。と、遠い眼をするディーンの腕を、今度はヒースが掴む。


「それで、どうしたの?」

「まずは、我が国の近衛騎士を投獄しなければならなかった理由について、説明を求める手紙を送った。その間に、ローズデイルに行く前のクリスティアル卿についての証言と証拠を集めて……。とまぁ、色々準備したが、結局使うことはなかったけどな」


 ヒースは形の良い眉を顰めて、制服の胸元を握り締める。使用人のために胸を痛める主人だからこそ、使用人たちも親身に守ろうとするのだろう。互いに思い遣るその姿は、何度も使用人として暗殺者を送り込まれたディーンには眩しく見えた。


「そういうわけだから、大公殿下に会いたくないなら、無理に会わなくてもいい。だが、お前を慕って擁護してくれた使用人たちには、ちゃんと顔を見せて礼を言えよな」

「……うん。……ディーンも、ありがとう」

「ふん。これからの働きで返してくれ」


 踵を返し、ひとりでずんずん先に進むディーンを小走りで追いかけること数分。近衛騎士団の飛竜貸出受付に着いた。

 騎士団所属の正騎士の場合、飛竜貸出受付で係員に、騎竜免許と制服の襟に付けた騎士団証を見せて、書類にいくつかサインをすると無料で小型飛竜を借りる事ができる。


 近衛騎士団の竜舎に居るのは二本脚の翼竜ワイバーン型小型飛竜種の灰竜である。よく竜の世話をするディーンは竜に懐かれていて、竜舎に入るとすぐに竜に囲まれるのだが、今日は何故かヒースの方に竜が集まった。

 灰竜たちは人懐っこく好奇心旺盛なので、竜舎に見慣れない人間が来ると寄ってくるのだが、それにしてもまるでマタタビの前の猫のような歓迎ぶりである。灰竜たちはヒースの頭や背中を鼻先でつつきながら、『誰に乗るの?』と付き纏う。


「シルフィのにおいか、気配が付いているのかなぁ? あはは……」


 なんだか少し寂しそうな顔をしているディーンに、ヒースは慌ててフォローしたが、浮気がバレたみたいに見えるのは、ヒースの普段の素行のせいなのか。


「別に気にしてねえし。とっとと竜を選べよ」


 ヒースがさらに言い訳を重ねる前にディーンはヒースの腕に鞍を押し付けて、側に居た灰竜を一頭、竜舎の外に連れ出して行った。残されたヒースはガックリと項垂れる。


「はぁ……竜も人間も、難しいね」


 ね? と、隣に居た灰竜に同意を求めてみるが、灰竜はつぶらな眼を瞬いて、首を傾げるばかりだった。




 ††




 かつて、シュセイルの北の険しい山々には、有翼人と呼ばれる背に翼を持った人々が暮らしていたと云う。戦神、雷神、風神からなる天空三神を信仰する彼らは、天空三神の威光を伝える者として地上の人間たちから『天使』などと呼ばれることもあった。

 神話の終わりに、地上に堕とされた戦神の魔力の余波によって、シュセイルの大地は巨大な魔石となり、四つの島となって空に浮上した。それが、シュセイルの首都四島の始まりだと云われている。


 王宮があるエア島には、有翼人の遺跡が数多く遺されており、遺跡公園として公開されている。遺跡には現代の魔法学では解析不能な機構もあるため、エア島に住む者は遺跡を避けて住居を建てねばならない。ゆえに、エア島の地価はシュセイル王国内最高額で、裕福な高位貴族しか邸宅を構えることができないのだ。


 クレンネル大公家のタウンハウス、通称オールドローズ館が、王宮に近いエア島の一等地に在るのは、そういった理由からである。

 王宮に次ぐ敷地面積を誇るが、その大半はローズデイルから持ち込んだ薔薇が咲き乱れる庭園になっている。しかし真冬の今は、庭園全体が眠りについたかのように陰鬱で、華やかさの欠片も無い。


 二ヶ月訪れないと花も機嫌を損ねるのか、棘に触れたヒースの指にじわりと赤い血の滴が浮く。近くに居た若い庭師が慌ててすっ飛んで来て、指に治療魔法をかけてくれたが、ヒースは庭園のベンチに腰掛けてぼんやりとその光景を眺めていた。


「頼みますよ坊ちゃん〜! 子供じゃないんだから不用意に薔薇に触らないでください!」

「ごめんごめん。ちょっとぼーっとしてた」


 ヒースが治してもらった手をひらひらさせて無事をアピールすると、庭師はやれやれと肩を竦める。

 他の貴族家の者が見たら不敬だと叱られそうだが、大公家の使用人は大体このように気負いせずに主一家に話しかけてくる。主一家もまた、使用人たちに対して分け隔てなく気作に接しているからだろう。


「後で、消毒しておいてくださいね」

「うん。ありがとう。ロビン」

「坊ちゃんに傷痕が残ったら、俺……世のクリスティアル卿ファンの皆様に殺されるかもしれないんで」

「ははは! そんな悪い子たちじゃないから大丈夫だよ」


 ヒースが礼を述べると、庭師のロビンは帽子を深く被り直して俯く。帽子のつばと色褪せたボサボサの金髪が目深にかかって、表情は見えない。照れ隠しかと思いきや、ロビンの声音は固かった。


「……時間がおありなら、他の奴らにも顔を見せてあげてください。みんな、心配してたんですよ。ここの使用人たちは、公王陛下の御婚約に、坊ちゃんがどれほど喜んでいらしたか知っていますから……」


 ガレア島の騎士団寮にも部屋があるが、ヒースは休日になるとよくこの館で過ごした。この館は亡き父がシュセイルでの仕事の際、長く滞在していた場所なので、そこかしこに父との思い出が眠っている。ヒースが遠く離れて暮らす家族を感じられる、大好きな場所のひとつなのだ。


 ローズデイルに出発する前にも、ヒースはこの館で過ごし、使用人たちの前で兄からの手紙を読み上げたりした。会う人全てに、『兄さんが結婚するって!』と宣伝して回っていたことを、使用人たちは知っている。


 ――今思うと、ちょっと恥ずかしいけどね。

 と、ヒースは気まずそうに頬を掻く。


「みんな、坊ちゃんの味方ですよ」


 顔を上げたロビンは、今にも泣き出しそうに顔を顰める。真剣な訴えを笑い飛ばすことなどできなくて、ヒースは苦笑いを噛み殺して頷いた。


「分かったよ。館を一周してくる。どうせ、まだ話は終わらないだろうしね」


 冬の陰鬱とした荊と棘の園の向こう、オールドローズの名の通り、渋めの薔薇色の屋根が見える。一階にある応接の間で向かい合う二人をほんの一瞬想像して、ヒースはすぐに眼を逸らした。

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