PM18:30 追う方が燃えるって従兄弟が言ってた

『現在シス島で不審な飛行体を追跡中。イオスーシス大橋の袂に竜車を回してくれ! なるべく目立たないやつで頼む!』

「了解しました。至急、手配いたします」


 通信機から聞こえたディーンの指示に、近衛騎士団副団長ガブリエルが応じる。すぐさま勤務表を確認し、動ける者を選抜していると、執務室隣の応接室に居たはずの義弟がドアの隙間から顔を出した。


義兄にいさん、今のは王子殿下ですか?」

「他団所属の卿にはお教えできない」


 ガブリエルは勤務表から顔を上げることなく冷たく一蹴したが、義弟は食い下がる。


「クリスティアル卿も同行しているのでしょう? なら、俺が行きます」


 ガブリエルは勤務表を机に放り、招かれてもいないのにズカズカと執務室に入ってきた義弟を睨んだ。


「アダム卿。卿は近衛騎士ではありません。ご自分の仕事に専念なさい」

「ですから、俺は自分の仕事を全うすべく、証拠品を回収しに参ったのです。殿下と一緒に居るのなら、俺がそこに行った方が話が早い」


 第一騎士団所属アダム・イェンセン卿は、ガブリエルの妻の弟である。ディーン、ヒースと同じく王立学院出身で、同年に正騎士となったため、王子の側近にして親友を自称するヒースを勝手にライバル視している。

 学生時代から剣技において優秀な成績を修めていたディーンに心酔し、アダムも近衛騎士になることを目指していた。しかし、いま一歩及ばず第一騎士団に入ったということも、ヒースに対して良い感情を持っていない理由のひとつである。


「俺に行かせてください。義兄さんにご迷惑はかけません」

「……私には、他団の騎士に命令する権限はありません」

「では、近衛騎士団副団長ではなく、義兄あにのお使いとしてならばどうでしょう?」


 机に手をついて身を乗り出し、必死に訴える義弟に、ガブリエルは頭痛を堪えるようにこめかみを指で叩いた。


「義兄さん! お願いします!」


 ガブリエルは長いため息をついて、椅子の背もたれに寄りかかる。

 気がかりなのは、大抵のことは自分でなんとかしてしまうディーンが、近衛騎士団を頼ったということだ。何か不測の事態に陥っているのかもしれない。そんなところに、多少頭の固いところがある義弟を送り込んで良いものか。

 よく考えて答えを出したいが、至急手配すると答えた手前、迷っている暇は無い。腹を括るしかなかった。


「アダム……ひとつ、約束してください。クリスティアル卿を意識し過ぎて、やるべきことを見誤らないように。それから、これは私の個人的なお願いですが、お二人はもちろんのこと、君自身にも危険が及ばないように気を付けてほしい。君も雪女の好みに合致するということを忘れないように」

「はい! お任せください!」


 敬礼し、勢いよく飛び出して行った義弟を見送ると、ガブリエルはイオス島に居る団長フィリアスに連絡を試みた。




 ††




 不安定な屋根の上を全力疾走しながら、ヒースとディーンは夕陽に輝く氷の粒を辿る。屋根から屋根へと飛び移り、足場があるうちは順調に追跡できたが、広い通りに出るとヒースの身体能力だけでは飛び越えられなかった。しかし、いちいち下に降りていては時間がかかってしまう。


 ヒースはディーンが追い付くのを待ち、ディーンの風魔法の補助を借りて大きく跳躍すると、通りを挟んだ向かいの屋根に着地した。幸い、氷の粒は島の西方へと続いていて、夕陽が氷の粒の在処を教えてくれるので見失うことはない。魔光の太陽が消える十九時が追跡のタイムリミットになるだろう。再び氷の粒を追いかけて、二人は走る。


 街の郊外、島の外縁辺りは、島民の住居がまばらに建ち並ぶ。商店が並ぶ中心街に比べて建物が低く少ないので、足場が足りず、高さを活かした追跡が困難になる。加えて、路地には先に追跡を始めた他団の騎士たちの姿が見え始めていた。


「途中で道を間違えたのかな? よく見て辿って来たと思うんだけど」


 氷の粒が落ちていた最終地点、シス島西端の公園事務所の屋根に立ち、ヒースは肩で息をしながら疑問を溢す。


「俺も注意して見ていたが、間違えてはいないと思う。この近くに居るはずだ」


 ヒースの少し後ろを追いかけて来ていたディーンも眉間に皺を寄せて周囲を見回す。

 眼下はシス島住民の憩いの場で、季節の花が咲く公園になっている。芝生の広場の先には幾つかの遊具とベンチがあり、島からの落下を防止する、低木の垣根と鉄柵が巨大な鳥籠のように公園をぐるりと囲っている。人が隠れられるような場所はどこにもない。


「ずっとここに居ても埒が明かない。一旦降りるぞ」

「うん。念のため公園の中も調べよう」


 呼吸を整える暇もなく、ヒースはディーンに続いて壁伝いに地上に降りた。突然空から降ってきた二人に、近くを警邏けいら中の騎士たちが驚いた顔をしていたが、ディーンが軽く手を振って挨拶すると、敬礼して公園と反対方向に去って行った。

 魔光の夕陽は夜闇に押され、島に刻一刻と夜が迫る。既に通行人の姿は無く、時折路地を駆けていく騎士の足音が聞こえる以外は静かな夕暮れだった。


「シルフィー! 居るなら返事をして!」


 ヒースは声量を下げて無人の公園で呼びかける。さほど広い公園ではない。風と氷の魔法の使い手である白竜なら、小さな声でも空気が震えれば聞こえるだろう。


「君を迎えに来たよ! こんな所にいたら、雪女に間違えられちゃうよ! さっきのことは、怒ってないから出てきてー!」


 二人は公園の中を垣根に沿ってゆっくり歩きながら氷の痕跡を探す。

 いつもはベンチの前あたりに集って、人が来ると食べ物をせがむ小鳥たちが見当たらない。浮島の代名詞とも言える風が無く、梢が擦れる音さえ聞こえない。不気味なほどの静寂に、ヒースはマントの下で剣の柄を握った。


「ねぇ、竜を呼ぶのってどうやるんだっけ? 『きゅーるるるうーるるるる』だっけ?」


 不安を払拭したくて、ヒースは昔絵本で読んで覚えたフレーズを口にしてみるが、「それは雪白レッサーパンダを呼ぶやつだ」とすぐにディーンからの訂正が入った。


「この際、雪白レッサーパンダでもいいから、なんかモフモフした可愛いやつが出てきてくれないかなぁ…………ディーン?」


 後ろに付いてきているはずのディーンの足音が止まっていた。ヒースが振り返ると、ディーンは公園の入り口の更に向こう、街の中心街へと続く大通りを見つめている。


「何か、いた?」

「いや……だが、何か……」


 視線を感じる。そう続けた声は、街の中心部にある礼拝堂の鐘の音に掻き消された。ガラーン、ガラーンと、不気味に響く十九時の鐘に、カラスの群れがギャアギャアと鳴き叫びながら飛び立つ。

 魔光の太陽が眠った途端、浮島に夜闇が舞い降りて、青白い街灯が星明かりと共に街を照らす。一気に気温が下がったのか、身に滲み入るような冷たい風が吹いて、ヒースは二の腕をさすった。


「時間切れか。僕らもそろそろ戻ろう」

「ああ。……戻れたらいいな」


 答えたディーンは背負う大剣のつかを握り、一気に抜き払った。ぴしぴしと細い枝が折れるような音が、地を這って近づいて来る。公園の遊具やベンチに霜が降りたかと思えば、上から粉砂糖をかけたように瞬時に白く凍りついた。ぴしぴし、パキパキと音を立てて氷が公園を囲う鉄柵を這い登る。


「まったく、お前と居ると本当に退屈しねえよな」

「お褒めにあずかり光栄です」

「褒めてねえよ!」


 出口を塞がれ、ヒースとディーンは公園の奥へとじりじりと後退せざるを得なかった。


「逃げるぞ。相手の姿が見えたら閃光石を使う」

「逃げるってどこへ!?」


 氷の檻に追い込まれた状況である。前方、公園の出口には氷の怪異、後方は零下の空。悪運が強いヒースでも、前方を突破するのは無謀に思えた。――ならば、残る道はひとつしかない。


「そんなもん、空に決まってんだろ!」


 風が巻き起こり、ディーンの剣に集束していく。剣身に薄緑の魔力光が疾ると、耳鳴りのような振動音が鼓膜を揺らす。夜闇に薄緑の火花を散らし、ディーンの剣が鉄柵に斬り込む。ガラスを引っ掻いたような音に、ヒースは堪らず耳を塞いだ。


「公共物を壊すと、後でフィリアスにめちゃくちゃ怒られるんだぞー!」

「他に選択肢ねえだろうが!」


 ディーンは大人ひとりが通れる程度に鉄柵を切り抜き、ヒースの背中を外へと押し出した。島の底から吹き上げる風が、ヒースの身体を空中へと引き摺り込もうとする。ヒースは後ろ手に鉄柵を掴んで、踵が辛うじて乗る幅しか無い島の崖っぷちに立ってディーンの合図を待った。しかし、掴んでいる鉄柵にも氷が這い、ついにはヒースの腕にも絡み付こうとしているのが見えた。


 ふふ、ふ、ふ。


 小さく吐息が溢れるような女の笑い声が、風に乗ってヒースの耳朶を撫でる。振り返ろうとしたヒースの肩に、と何かが乗った。


「え……」


 すりすりとモフっとした何かが、ヒースの頬に擦り付いてくる。背後の怪異などすっかり忘れて、呆然としているヒースの顔を真っ白な猫のような生き物が覗き込む。姿形は猫に似ているが、その額には薄水色の光を放つ乳白色の角があった。


「ヒース、モフいのがいい、言った。シルフィ、レッサーパンダ、わからない。猫、ちょっとわかる」

「猫が喋っ……!? シルフィ!?」

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