PM16:30 恐ろしいものを見たと彼女は語り
第一騎士団の後を追いかけ、シス-ガレア大橋の事故現場までやってきたセリアルカは、そこで氷漬けになって倒れたアルファルドと、必死に主人を守る魔狼オリオンの姿を発見した。
アルファルドを救おうと第一騎士団の騎士が近付くが、興奮したオリオンは牙を剥いて暴れ、誰かれ構わず威嚇している。このままではオリオンが討伐されてしまう。セリアルカは騎士団の制止を振り切って、アルファルドから預かった魔狼たちと共にオリオンの前に進み出た。
「オリオン! もう大丈夫だ! 今からそっちに行くから、アルを助けさせてほしい!」
幸い声が届き、セリアルカと群れの仲間に気付いたオリオンは、ようやく大人しくなってアルファルドの影に帰っていった。駆け寄って、抱き起こしたアルファルドの身体は冷たく凍りついて、皮膚の柔らかさも温もりも感じない。
橋の上には竜車の
――人間嫌いの彼が、人間のために。
「アル……頑張ったね。もう大丈夫だよ」
魔狼たちが心配そうに寄り添って、もふもふの被毛で温めるが、氷結魔法はただ温めるだけでは解くことはできない。それでも、セリアルカはアルファルドの冷たい身体を抱きしめて、フィリアスが到着するまで片時も側を離れなかった。
交換手に回線を繋がれ、呼び出し音の二回目の途中で相手が出た。
『おう、俺だ。珍しいな。やっと正騎士になる気になったか?』
「ご無沙汰しています。残念ながら私はまだ学びたいことがあるので、正騎士にはなれません。今日はその話ではなく……あの、既に連絡は行っているでしょうか? アルファルドがシス-ガレア大橋で何者かに襲われた話……」
通信の向こうで、第五騎士団団長ユーリ・リヴォフ卿が息を呑んだのが分かった。
『今、どこだ?』
「イオス島の大学病院に運ばれて、今、処置が終わったところです」
『分かった。任務から戻り次第ヴェイグを行かせる。すまねえが、お前はアルに付いていてやってくれ』
「はい」
セリアルカの返事を待たず、通信は切れた。病院内の通信室から出て、すぐ目の前のベンチに腰を下ろすと、セリアルカは両手で顔を覆う。
氷結魔法は既に解かれた。フィリアスの話では、アルファルドの体力なら、二、三日で全回復するだろうとのことだった。今は待つことしかできないと分かっていても、じっとしていると後ろ向きなことばかり考えてしまう。
婚約して同棲中の二人だが、まだ籍を入れていないので、こういう時に頼れるのは身内しか居ない。セリアルカは不甲斐なさにため息を吐いた。
「ヴェイグ兄さんが来てくれる……後は、どこに連絡したらいい? 何をすればいい?」
ヴェイグ・セシル卿はセシル兄弟の上から三番目で、アルファルドと同じ第五騎士団に所属している。四兄弟の中で最もアルファルドと仲が良いので、来てくれたらとても心強い。
この病院には次兄のデニスも居る。仕事の合間に様子を見に来てくれると言っていた。ご両親と長兄に連絡するかどうかは、兄たちと相談してからの方がいいだろう。勝手に報告して、必要以上に心配をかけることは避けたい。
残るは
セリアルカが両手で髪の生え際を揉みながらため息を吐くと、膝の上に狼の足が乗った。
「くーぅ」
「うん?」
哭き声に顔を上げると、足元に黒い被毛の小柄な魔狼がちょこんとお座りしている。セリアルカの膝に前足と顎を乗せて上目遣いで見上げると、顔を窺いながらまた「くーぅ」と寂しげに哭いた。
「カリスト……私を心配してくれたの? ありがとう。――うん。そうだね! そろそろ眼を覚ましたかもしれない。アルのところに戻ろう」
「わぅ」
やはり主人のアルファルドの側が一番好きなようだ。カリストは嬉しそうに返事をして、セリアルカの袖を噛んでぐいぐいと引っ張った。
カリストに引っ張られ南病棟の三階のフロアに着くと、看護師が数名、目の前を走って行く。行先を見れば、アルファルドの病室の方向だった。嫌な予感にセリアルカとカリストは走り出す。
「はなせ! 人間が僕に触るな!!」
「落ち着いてください! セシルさん!」
「誰かセシル先生を呼んで! 早く!」
「おいやめろ! 絶対呼ぶな!! 僕はもう大丈夫だから退院させろ!!」
予感的中。看護師数人がかりでベッドに押さえつけられ、暴れているアルファルドの姿があった。
「あ、アル? どうしてそんな……」
普通の人間には分からないかもしれないが、狼獣人のセリアルカには分かる。一見怒って暴れているように見えるが、その声音には恐怖が混じっている。怯え方が異常だ。
落ち着かせようと、セリアルカが病室に入ろうとすると、「下がってろ」と、肩を掴まれ引き戻された。セリアルカと入れ替わりに病室に入ったのは長い銀髪を首の後ろで纏めた背の高い白衣の男――アルファルドの兄デニスだった。
「俺の
低いが良く通る声が耳朶を打つ。アルファルドが一瞬固まった隙に看護師を退避させると、デニスは処置用の手袋をぐいっと肘まで引っ張った。
「タマ獲られる覚悟はあるんだろう? なぁ、おい?」
「で、出たなマッドドクター!」
アルファルドはベッドから起き上がり、窓から逃走を計った。しかし――。
「逃すか!」
デニスの腕から緑光を放つ魔力の蔦が鞭のように伸びて、アルファルドの首と腕に絡み付く。拘束を解こうともがくアルファルドをベッドに引き戻し、背中を踏みつけて制圧した。
「医者が患者にこんなことしていいのかよ!」
「患者なんてどこに居る? 俺の下で暴れている狂犬のことか?」
「やめろ! このクソ医者ァ!!」
いつの間にかデニスの側に控えていた看護師が無言で注射器を渡す。デニスはより一層暴れるアルファルドを押さえつけ、無慈悲に針を刺した。
「主治医様と呼べ」
「くそ……殺す! 絶対、殺す! ……ころ……す」
アルファルドは呪詛を吐きながらベッドに突っ伏し、そのまま動かなくなった。デニスは成人男性ひとりを軽々と肩に抱え上げて、病室の入り口で固まっているセリアルカとカリストを振り向く。抱き合って震えているひとりと一匹に、「ついてこい」と短く命じた。
††
「すごかった……あっという間に捻り上げて、なんかよくわからない注射を首にプスって……アルがあんなに怯えているのを初めて見た」
「わぁ……ぁ……」
怯えた目で話すセリアルカに、ヒースは相槌なのか悲鳴なのかわからない声を上げた。デニスは点滴を替えに寄っただけのようで、用事が終わるとさっさと病室を出て行った。
「ついに獲られたか……」
「獲られてないよ! ……っつ」
ディーンの呟きが聞き捨てならなかったのか、アルファルドが飛び起きて抗議の声を上げる。身体を起こそうとしたが、力が入らず背中からベッドに沈んだ。
「アル! 急に動いちゃダメだよ!」
セリアルカに支えられて、アルファルドはベッドの枕側を起こして座る体勢になった。眉間に皺を寄せてぐったりもたれる姿は痛々しい。
「くそ……頭がガンガンする」
「全快してないのに、あれだけ暴れれば、そりゃそうだよ! なんで脱走なんてしようとしたの?」
セリアルカが詰るが、アルファルドはそっぽ向いてふて腐っている。
「アルは昔からデニス兄さんが怖いんだよ。次に問題を起こして、叔母様を悲しませたら…………切り落とすって言われてるからね」
黙秘を続けるアルファルドに代わってヒースが言い難そうに答えると、ディーンとセリアルカは察したようで、それ以上は何も聞かなかった。
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