PM16:00 めんどくさい男

 ガレア島からイオス島へ向かう竜車の中、ディーンはいつになく口数が多かった。竜の爪がカポカポと石畳を叩く音を聞きながら、ヒースはそっと窓枠に頭を預ける。

 柄にもないことだが、親友なりに気を遣ってくれているのはヒースも分かっている。彼の優しさは、きっとこの世で一番自分が知っている。――だからこそ、受け入れられないこともあるのだ。


「あの野郎、土地の入札で大公殿下に負けたことを根に持ってやがるんだ。やたらお前に絡んでたのは、ただの私怨だから気にする必要はねえよ」

「ねぇ」

「団長は不在、俺は貴族院に行っていたから、うるせえ奴らが居ない今なら押し切れると思ったんだろうな。ナメられたもんだ」

「ディーン」


 ディーンはヒースの呼びかけに応えない。ヒースとの間に自分の言いたいことを並べて見えない壁を作っている。


「アルのことは心配いらない。発見が早かったしセリアルカが側に付いていると、魔力の相乗効果? だかなんだかで、治りが早くなるらしい。目を覚ましたって報告があったから、もう大丈夫だ」

「なんで止めたの?」


 冷たい言葉の刃が、声の隙間から忍び込む。ディーンはぴたりと黙り、腕を組み換えて窓の外を見る。


「僕にはできないと思った? 僕は魔法が使えないから? 助けてもらったことはありがたいと思ってる。でも、君に助けてもらうために、僕は近衛騎士になったんじゃないよ」


 助けてもらっておいて何を言っているのかと、ヒースは自分でも思う。けれど、自分がディーンの重荷になるような関係を解消したくて、この道を選んだのではなかったか。一方的に守られる関係ではなく、前を向き共に歩むためにここまで来たのではなかったか。と、自分の矜持が問いかける。


 ディーンを責めたいわけじゃない。責める理由も権利も無い。強い口調で虚勢を張っているのなんて、きっともうバレているのだろう。それでも言わずにいられなかったのは、ヒースの思いを認めてほしいという懇願だ。必死でここまで来た自分を否定されてしまったら、今ヒースが立っている場所は脆く崩れ去ってしまうから。


「……本当にめんどくせえ奴だなぁ」


 わかっているのか、いないのか、ディーンは呆れたように笑って首を振る。


「ああ、そうだ。無理だと思ったから止めた。だが、お前じゃなくても俺は止めたぞ」


 ディーンの性格なら、誰かひとりが重荷を背負う策なんて許可しないだろう。そんなことをするぐらいなら、俺がやると言うタイプである。だが残念ながら、ディーンは銀髪で精悍な顔つきなので、雪女が好みそうな甘い顔立ちではない。


「どーだか。雪女の好みのタイプが君に合致してたら、君は進んで囮になっただろう?」

「ならない」


 断言したディーンに、ヒースは眼を向ける。ディーンの若い猛禽のような眼は、真っ直ぐにヒースを見て揺るがない。


「ガキの頃から魔性のものに狙われてるお前だから、お前が囮になれば大抵の奴は釣れるだろうよ。俺だって命を狙ってる奴はごまんと居る。囮としては優秀な方だ。どちらが囮になっても、釣ったは良いが相手の正体がわからず倒す手段も無ければ、また逃げられる。囮を犬死にさせるだけだろう。……つまり、何が言いてえかっていうと、勝負をかけるにはまだ情報が足りねえってことだ」


 今はまだ、耐える時だ。ディーンはそう言う。

 国土を荒らされ、民を傷付けられて、本来真っ先に雪女に勝負を挑むであろうディーンが耐えることを選んだ。自己満足による短絡的な自己犠牲を選ぶのではなく、確実に仕留めるという決意が見える。

 ――悔しいが、王子らしいまともな解答だ。


「囮とか罠ってのは、釣る相手に合わせるものだ。雪女の情報は未だ何も無いんだ。なんせ、犠牲者はみんな事件前後の記憶を失っている。これから会うアルも、どこまで覚えているかわからねえ」

「アルにも、記憶障害が?」

「その可能性が高いな。雪女を取り逃して氷漬けにされて、大事な情報が思い出せなくて……一番悔しい思いをしてるのはアルだ。しばらくそっとしておいてやってくれ。何か思い出したら自分から言うだろう」


 恋人以外のことはどうでもいいという態度を取っているが、彼もなかなかに気位が高い男だ。雪女を逃してしまったことに責任を感じているかもしれない。


「はぁ……上手く丸め込まれた気分。ディーンも王様に似てきちゃったなぁ。……なんか、すごく、やだ」

「やだって言われてもな」


 なんといっても親子であるし、最近のディーンは父王の護衛をしながら執務を学んでいる。思考が似てくるのも無理からぬことである。しかし、気に入らないからといって、ヒースは己が剣を捧げた主人を変える気は無い。主人であるディーンもそれを分かっているので、不快感を表すぐらいは大目に見てくれるだろう。


 ふと会話が途切れ、車内を沈黙が満たす。しかし、竜車に乗る前よりも不快ではなかった。


「……ごめん。今まで何も連絡しなくて」


 窓枠に頭を預け、外を見つめたままヒースは呻くように溢す。ディーンもまた、窓の外に流れる茜色の雲海を見つめながら小さく笑った。


「言いたいこと、訊きたいことがあるなら、今全部言って。全部聞くし、全部答えるから。この竜車を降りたら、いつもの僕に戻るから」


 女好きで軽薄で、常に前向きで自己肯定感に溢れ、人生で悩んだことなんてなさそうな、世界一の美男子の仮面をかけて、上手に演じてみせるから。

 ――君の役に立ってみせるから。


「なら、ひとつだけ……訊かせてくれよ」


 自分から訊けと言ったくせに、いざとなると緊張する。ヒースは椅子に座り直し、姿勢を正した。夕陽が赤く車内を照らして、ディーンの銀髪を赤金色に染めている。


「……やったのか?」

「………………はい?」


 ヒースは自分がぷるぷる震えていることに気付いたが、もしかしたら震えているのはディーンの方なのかもしれないと思い直した。


「だから、不貞行為をしたのかって訊いてんだよ! 何度も言わすな!」

「ふっ」

「笑ってんじゃねえ! 訊けって言ったのお前だろうが!」

「いや、だって、ききかたって、あるじゃん?」

「知るか!」

「あはは!」


 残念ながら、親友殿が王子らしく振る舞えるのは、戦いに臨む時に限られるらしい。久しぶりに腹が捩れるほど笑った後、ヒースは涙目になりながら「やってません」と答えたのだった。




 ††




 イオス島、シュセイル王国立大学付属病院。

 イオス島の北東部にある、シュセイル王国の最高医療機関である。病院の裏口に竜車を停めて、ヒースとディーンは職員の通用口から院内に入った。

 今の時間、午後の外来が終わって、院内は閑散としている。時折すれ違う医療者たちがヒースの顔を振り返って見る程度で、声をかけてくる者は居なかった。


 病棟は東西南北四つの棟に分かれていて、アルファルドの病室は南の三階にあるという。ヒースとディーンは庭園に面した渡り廊下を渡り、南病棟の病室前までやってくると、ドアをノックした。しかし、いくら待っても中から返事は無い。


 アルファルドの側にはセリアルカが付いている。アルファルドが寝ていても、セリアルカが返事をするはずだ。二人は顔を見合わせ、剣の柄を握ると、勢い良く扉を開いた。


「アル! 無事……? こ、れは、どういうこと?」


 引き裂かれたベッドマット。千切れたカーテン。倒れた点滴スタンド。病室には、誰も居なかった。呆然とするヒースの後ろで、ディーンが通りすがりの看護師を捕まえる。


「ここに居た患者はどうした!?」

「あっ、ええと、同僚さんですか? ここに居た方は、北病棟へ……」

「おい! 待てヒース!」


 みなまで聞かず、ヒースは走り出していた。北病棟の受付で病室を聞くと、一気に三階まで駆け上がり、ノックもせずに病室の扉を開いた。


「アル!」

「うわ!? びっくりした……ヒース?」


 ベッドの脇の椅子に腰掛けて編み物をしていたセリアルカが、驚きに飛び上がった。ベッドでは点滴を繋がれたアルファルドが静かに眠っている。何者かに襲撃を受けたのかと、慌てて来てみればセリアルカは随分とのんびりしている。

 追い付いたディーンが室内に入ると、ヒースはへなへなとその場に座り込んで息も絶え絶えに問う。


「一体、何が、あったの? あの、惨状は?」

「あ、ああ……あれ? ごめん。私が目を離した隙に、アルが脱走しようとして……」

「えっ……脱走!?」


 脱走を計るほど回復したことは喜ぶべきなのか、しかしセリアルカは気まずそうに口籠る。


「それで……」

「俺が麻酔薬で眠らせた」


 聞き慣れぬ声に振り向くと、ディーンの背後に白衣の人影が見えた。長い銀髪を無造作にクリップで留めた長身の医師が、銀縁眼鏡のブリッジを押し上げる。


「デニス兄さん!?」

「病院内で走っていいのは急患の時だけだ。よく覚えておけ」


 セシル兄弟の上から二番目。アルファルドの兄デニス・セシルは、弟とよく似た切長の眼でヒースを見下ろしていた。

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