PM15:20 ご指名ありがとうございます

 何かあるとは思っていたが、囮という名の生贄にされるまで厭われていたとは思いも寄らなかった。答えあぐねて座ったままのヒースに代わって、立ち上がり反論したのはガブリエルだった。


「近衛騎士団は断固反対します! 囮になれなど……! 人道に反している!」


 ヒースが魔法が使えないことは周知の事実だが、この場でそれを理由に挙げなかったのはガブリエルの優しさだろう。議長の第一騎士団団長は表面だけの笑顔に底知れぬ悪意を滲ませて、高い席からガブリエルを見下ろす。


「ガブリエル卿。勘違いしてもらっては困りますな。我々はクリスティアル卿に挽回の機会を差し上げているのです」

「仰る意味が分かりかねます」


 苛立つガブリエルに、議長は聞き分けのない子供を諭すような口調で挑発を繰り返す。


「クリスティアル卿は近衛騎士でありながら、最も重要な同盟国である、ローズデイル大公国の公王の名誉を不貞によって辱めた。そして、醜聞でシュセイル王国の騎士の誇りを失墜させた。……本来ならば、軍法会議に掛けられて然るべきでは? ですので、シュセイルのために尽くすことによって、汚名を雪がれてはどうかと」


 そうだそうだと囃す野次を一瞥で黙らせて、ガブリエルは訴える。


「不貞行為は疑惑であり、事実と異なります。大公国での聴取の結果、既にクリスティアル卿の無実が証明されています! この場でその件を持ち出すのは卿への中傷です。近衛騎士団として厳重に抗議すると共に、発言の撤回を要求します!」

「事実がどうであろうと、民衆はよりおもしろい方を信じるものだ。雪女事件で行動を制限されている民衆は、“分かりやすい英雄”と“倒されるべき悪役”を求めているのですよ。兄の婚約者さえも惑わした魔性の美貌の騎士が、雪女を陥落させれば、民衆も大いに満足するでしょう。――どうかな? クリスティアル卿。貴方の意見をお聞かせ願いたい」


 黙ったままのヒースなら、丸め込めると考えたのだろうか、議長は矛先をヒースに向けた。指名を受けたヒースは立ち上がり、薄暗い会議場を見回す。

 ある者は憎しみの目で、またある者は意に反して込み上げる好意に戸惑いの目でヒースを見つめている。この場に限らず、どこに居ても変わらないヒースの日常だ。


「しっかりなさい! クリスティアル卿!」

「はい。すみません。もう大丈夫です」


 小声で叱咤するガブリエルに、ヒースは笑ってみせた。

 こんな窮地でも、ただひとりヒースのために立ち上がってくれた人が居るという事実は、ヒースの冷え切った心を静かに鼓舞する。――まだ、戦えると教えてくれる。

 ヒースはゆっくり息を吐いて呼吸を整えると、いつもより声のトーンを低めて穏やかに発言した。


「私は、私の剣と騎士の誇りに掛けて真実を申し上げる。私、クリスティアル・ヒース・クレンネルは、誰に対しても不貞など行ってはおりません」


 議長を真っ直ぐに見上げて語る横顔は、息を呑むほど美しく神々しい。まるで舞台の上、ヒースにだけスポットライトが当たっているかのような圧倒的な存在感を持って、見る者の心に訴えかける。


「私のこの顔が雪女を誘き出すのに、有用だというのなら、このような回りくどいやり方をせずとも、喜んで……」


 擬似餌でも囮でも的にでもなってやる。それで雪女を捕らえられるのなら。アルファルドに報いることができるのなら。この身を差し出しても構わない。――ヒースはそう続けるつもりだった。しかし――。


「遅れてすまねえ!」


 野太いバリトンを響かせて、扉を蹴破る勢いで場内に入ってきたのは黒衣の大男たちだった。黒いフードを被った側近四名を引き連れ、ドスドスと階段を降りてきた男に、議長は露骨に顔を顰めた。


「獣どもが! 時計も読めなくなったか!? 捜査会議はもう始まっているのだぞユーリ卿!」

「だから、すまねえって謝っただろうが。既に情報が入ってんだろう? 真昼間の天空大橋で、うちの若いのが雪女と交戦してな。橋が大破したんで応急処置と現場検証に追われてたってわけよ」

「……なんだと!? ああ、失礼。我々、第四騎士団は現場となった天空大橋の緊急修復に向かいますので、これにて」


 第五騎士団団長ユーリ・リヴォフ卿の報告を受けて、黄土色の制服の騎士たちが会場を出て行った。第四騎士団は、風魔法の使い手が集まる天空橋梁工事のエキスパートである。工事や整備で頻繁に橋を封鎖するので、浮島工事団や道路工事団などと揶揄されることもある。


 話の腰を折られ呆気に取られたヒースのすぐ側を、黒いマントを目深に被った男がすり抜けた。男が議長の前に立つと、議長は慌てて席を譲る。しかし男は席には着かず、マントを脱いで振り返った。会議場の明かりが点され男の顔が明らかになると、騒然としていた場内は一瞬で静まり返る。


 ヒースと同じ青の制服に身を包んだその男――第二王子ディーンは、現国王アレクシウスに良く似た空色の瞳でぐるりと会議場を見回し、最後にヒースに目を留めた。目が合ったのはほんの一瞬だったが、ディーンの眼に浮かんだ安堵を、ヒースは見逃さなかった。


「捜査会議は終了だ! 各々会議で決まった通りに動け。クリスティアル卿は、本来の任務に戻れ。以上。解散!」

「王子殿下! 友人だからと庇うのも大概に……!」

「俺が何も知らないとでも思ったのか? 私怨で大公家を攻撃するのも大概にしろ。他国での事件に、軍法会議が必要かどうかは卿が判断することではない」


 会議終了の宣言をするなり、すぐに帰ろうとしたディーンに、慌てた議長が食い下がるが、ディーンは全く取り合わなかった。ディーンは近衛騎士団の席の前まで来ると、苦虫を噛み潰したような表情のガブリエルに向き合う。


「ガブリエル卿。この状況でよく耐えてくれた。フィリアスに代わって礼を言う。ありがとう」

「殿下。当然のことです」

「クリスティアル卿を借りていく。すまないが……」

「はい。後のことはお任せください」

「ありがとう」


 ディーンはガブリエルを見送って、第五騎士団にいくつか申し送りをした後、ようやくヒースの前に戻ってきた。未だ腑に落ちないといった顔のヒースを見て、小さくため息を吐く。


「おい。行くぞ? ボサっとすんな」

「ディ……殿下? 私は……」

「近衛騎士の仕事は王族の警護だろう? 王子の俺が指名したんだ。文句あんのか? 俺はイオス島の大学病院に行く。王族として、民と橋を守り抜いた勇敢な騎士の見舞いと激励にな」

「……!? それは、とても大事なお仕事ですね! この私が、殿下を必ずや無事にイオス島まで護衛させていただきます!」

「お、おう。よきにはからえー」


 職務中ゆえ、ヒースは何があっても私情を捨てて、護衛対象である王子に付き添わなくてはならない。王子が偶々ヒースが行きたい場所に行くと言うのなら、ヒースも護衛任務を全うしなくてはならない。それが、近衛騎士の仕事だから。

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