AM8:40 獣くさいは褒め言葉

 アルファルドの樹魔法と身体能力を駆使すれば、記者を撒くなど造作も無いことだった。見つかるようにわざとあちらこちらで姿を見せて、記者たちをシス島の端から端まで何往復かさせているうちに、出勤の時間が迫ってきたので鬼ごっこは終了。イスハット行き下り昇降機の中に記者たちを誘い込み地上に送り返すと、アルファルドは竜車の停留所に向かった。


 充分に時間を稼いだので、セリアルカとヒースはガレア島に到着した頃だろう。朝が弱いアルファルドに、訓練演習以外でこれだけ走らせたのだから、無事に着いていてくれなくては苦労が報われない。セリアルカに預けた魔狼たちから何も報告が無いことを鑑みるに、特に問題は無かったようだ。


 ――帰ったら、セラにたっぷり労ってもらおう。

 などと出勤前から帰った後のことを考えながら、ガレア島行きの乗合竜車に乗ったのは、八時半を過ぎた頃のことだった。シス島からガレア島の騎士団本部までは、竜車で二十分ほどかかる。遊び過ぎたのか、九時の始業に間に合うギリギリの時間になってしまった。


 首都で働く騎士の多くはガレア島の騎士団宿舎に入っているため、この時間帯は商人や家族に会いに来たのであろう親子などで混み合っている。

 アルファルドがいつも利用するイオス島発の竜車はガラガラに空いているので、他人との距離の近さにどうにも居心地の悪さを感じてしまう。元々の人間嫌いもあるが、すっかりイオス島の気風に染まってしまったようで、他の島の騒がしさが少々鬱陶しかった。


 アルファルドは一番後ろの席に座り、窓の外に流れる雲の波に意識を飛ばす。竜車を降りたら、全速力で騎士団営舎に向かって走らなくてはならない。アルファルドが所属するのは、ガレア島の東端に拠点を構える第五騎士団なので、停留所からかなり離れている。いっそのこと、竜車から降りて自分が走った方が早いかもしれないなどと考えていた矢先の出来事だった。


 ドンと突き上げるような揺れの後に、竜車は急停止した。氷の塊にでも乗り上げたのか、竜車はそのまま停車し続ける。事故の衝撃で空調が壊れたようで、客車の窓には分厚い氷が貼り付いて、外の様子は見えなかった。

 乗客たちが不安げに顔を見合わせ、アルファルドが遅刻を覚悟した時、青い顔をした御者が客車に入ってきた。


「お待たせして申し訳ありません。橋上の結界に綻びがあるようで、吹き込んだ雪で車輪が凍りついてしまいました。これ以上の走行は難しい状況です。救難信号を発信しましたので、間も無く第一騎士団が到着すると思います。ご迷惑をおかけいたしますが、今しばらくお待ちください」


 商人と思しき男たちが御者に詰め寄るが、御者は謝るばかりで要領を得ない。泣き出した子供の声が車内に響く中、アルファルドは徐に席を立ち、喚く男たちを掻き分けて御者の前に出る。ヒースから借りたコートを脱いで、中に着ていた黒の制服とベルトに差した刀を見せると、御者の顔色が一層青くなった。


「第五騎士団所属、正騎士アルファルド・ルシオン・セシルだ。詳しい状況を聞かせてほしい」


 装飾も光沢も無い、光を呑むような夜闇色。全騎士団の中で唯一フードが付いている死告精霊のような黒一色の制服が第五騎士団の制服である。現代では諜報や隠密、お忍びの王族の警護などを担当しているが、国内外の政争が激しかった時代は暗殺なども担っていたという。

 特に詰問したわけではないが、未だに暗殺のイメージが付いているのか、アルファルドの問いに御者は震えながら声を絞り出した。


「そ、それが、私にもさっぱりで。雲がかかって吹雪いてきたなと思ったら、突然竜が立ち止まって……車輪が凍ってしまったのです。首都四島と天空大橋には結界が張られていますから、吹雪になるということは結界が破れたのではないかと……」

「わかった。僕が外に出て車輪の氷を割る。他の者は、死にたくなかったら車内で待機」

「死にたくなかったらって、どういうことですか!? 貴方ひとりで島に戻るつもりじゃないでしょうね!?」


 急いでいるらしい商人がアルファルドの腕を掴もうとした瞬間、今度は横から殴られるように激しく竜車が揺れた。突然の衝撃に、乗客の何名かが床に倒れ込む。すっかり腰を抜かした御者に手を貸して立たせると、アルファルドは喝を入れるように御者の背中を叩いた。


「救難信号は出したんだよな? ここからガレアとシス、どちらが近い? 動かせるようになったら、車体を叩いて合図するから、近い方の島へ竜車を出せ」

「は、はい!」

「なぁ、騎士さま。外に何かいるのか?」

「あんたひとりで、危険じゃないのか?」


 アルファルドはなおも疑いの目を向ける商人たちを掻き分けて、客車の扉を開いた。外は猛吹雪でホワイトアウトして、手が届く距離しか見通せない。零下の暴風が車内を駆け巡り、あまりの寒さに商人たちの不平不満を凍り付かせた。


「……何がいるかは、僕もまだ見ていないからわからない。すごく危険そうだから、僕がここに残って君らを先に逃がすと言っている。――ご理解いただけた?」


 アルファルドは鬱陶しさを隠そうともしない。雑な返答だったが、乗客たちから文句は出なかった。乗客の中で唯一の騎士が、『外に危険そうな何かが居る』ことを肯定したからだろう。


 アルファルドは寒さと恐怖に身を寄せ合って震える親子にヒースのコートを投げ渡し、制服のフードを被ると車外へ出た。

 濁流のような猛吹雪に打ち据えられ、身体が雪に埋もれていく。寒さ、冷たさよりも痛みが優るほどの吹雪だ。視界が悪いので、客車から離れないように車体に触れながら、一周ぐるりと回って車輪の氷を蹴り割る。


 幸い車体は木製だったので樹魔法で補強し、鉄の車輪には蔦で作った即席の鎖を巻きつけた。アルファルドが車体を叩いて合図すると、待ち構えていた御者が雪羊竜に鞭を打つ。しかし竜は樹氷のようにぴくりとも動かない。


「オリオン。少し脅かしてやれ」


 命令を受けて、アルファルドの影の中から漆黒の魔狼が飛び出し、雪羊竜のもこもこの毛皮に覆われた尻に噛み付く。驚いた竜は客車の重量をものともせず、逃げるようにシス島方面に戻って行った。蔦の鎖でガタガタと車体が揺れるが、走行に支障は無さそうだ。シス島までは保つだろう。


 ひとつ大きな問題が片付いたが、残されたアルファルドにとっては、ここからが本題である。

 襲撃者がアルファルドを無視して、竜車を追って姿を見せれば斬り捨てるつもりだったが、じっとりと纏わりつくような視線は竜車を離れ、今はアルファルドに注がれている。囮作戦は成功したものの、相手の位置がわからないことには手が出せない。


「何が居るか見えたか?」


 アルファルドは側に擦り寄るオリオンの背を撫でながら問う。オリオンは吹雪の向こう側を睨み、警戒に毛を逆立てながら低く唸った。オリオンのしゃがれ声がアルファルドの脳裏に響く。


『でかい、なにか。まもの、ちがう』

「デカイ? 魔物じゃないとすると……?」


 イオス島もシス島も快晴だった。浮島全体が吹雪に見舞われるのは珍しくないが、橋の上だけ吹雪になる事態には何者かの意図を感じる。依然として衰えることのない吹雪の中、アルファルドは竜車が走り去ったシス島を背に、ガレア島方面へと目を向け――刀の鯉口を切った。


 氷の魔法が凍らせるのは、目に見えるものだけではないらしい。極寒の銀雪の中に、花嫁衣装のような純白のドレスを着た貴婦人が佇む光景は、見る者の時をも凍りつかせる。


「おかしいわぁ。あの子のにおいがしたと思ったのに」


 目の前の女の特徴は今首都を騒がせている“雪女”と一致するが、アルファルドが知る限り、雪女が真昼間に複数人を襲った前例は無い。雪女を装った別モノの可能性もある。


「あの子って誰だ」


 アルファルドは刀の柄に指を滑らせ、いつでも抜けるよう身構えた。相手の返答に期待してはいないし、答えに興味があるわけではない。それでも問いを投げかけたのは、考えを整理するためだ。

 服を取り替えヒースになりすましている今の状況から考えれば、この女が探している“あの子”とは、ヒースしか考えられない。あの時、ヒースをひとりで帰していたら?

 ――面倒でやかましい友人を、永遠に失っていたかもしれない。


 激しさを増す吹雪に打たれ視界は狭まり、暴風で耳も鼻も利かない。加えて、浮島ではアルファルドの樹魔法は補助魔法しか使えない。戦闘に使う魔法は、ゆっくり時間をかけて育てる家庭菜園とはわけが違う。正体不明の敵に、オリオンも攻めあぐねて後退りしている。


「……あの馬鹿。今度は何を拾って来やがったんだ」


 ぼやいたところで、人違いでも見逃してはくれないらしい。アルファルドは一足飛びに間合いを詰め、女の首を狙って刀を抜き打った。しかし、女の姿は寸前で掻き消え刀は空を斬る。吹き荒ぶ雪風に乗って歌うような女の声が聞こえる。


「あなたのエメラルド色の瞳も綺麗ねぇ。だけど、あなたちょっと獣臭いのよね」


 ズンと下から突き上げられるような衝撃に、一瞬身体が浮いた。ミシミシと音を立てて、凍りついた橋に亀裂が入る。再び感じた嫌な浮遊感に、アルファルドは樹の根を喚び出し、橋の瓦礫を繋いで崩壊を食い止めた。しかし、敵が付け入るには充分過ぎる隙が生じる。


『きょうだい!』


 オリオンの呼ぶ声に振り向くも、至近に迫る氷魔法を避けきれず、アルファルドの右半身が凍りついた。橋の下からずるりと這い出た女がニタニタと笑う。真っ白なドレスの下から出た長い尾を引きずりながらゆっくりと近づいて来る。


「お前、は……! 竜……いや……のか?」

「だから、狼は嫌なのよ」


 身体が完全に凍りつく寸前、忌々しげに吐かれた呟きに、アルファルドは自分の予想が当たったことを知った。しかし、その時にはもう、伝える手段は無かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る