AM8:15 悪役令息の災難

 魔狼の群れを連れた金髪の男が、黒髪の女性と仲睦まじく歩く様子は、イオス島の日常風景になっている。元々、他人に興味を持つ暇の無いイオス島民たちは、男の金髪が普段と少し色味が違うことになど気付かないし、二人の間の恋人同士にしては微妙な距離にも疑問を抱くことはない。

 二人は特に隠れることもなく、堂々とイオス島の中心街を通り抜け、ガレア島へと伸びる天空大橋に向かっていた。


「良い案だけど、ここまで気付かれないと、逆に不安になるね」

「あっちは今頃大騒ぎになっているかもしれないけど」


 金髪の男こと、ヒースが隣を歩く女性に囁くと、黒髪の女性こと、セリアルカはイタズラがバレた少年のようなニヤニヤ笑いを浮かべた。


「アルなら逃げ切れるよ。大丈夫。ヒースは自分の心配をしなよ。朝のアルはもっとダルそうにしないと」

「ふふっ、そうだね。もっと眠そうな感じを出さないとだ」


 朝が弱くて、いつも昼頃まで半目でダルそうなアルファルドの様子を思い浮かべたのだろう、ヒースとセリアルカは顔を見合わせて笑う。


 ヒースがアルファルドの服を借りてアルファルドのフリをして歩き、アルファルドがヒースの服を来てシス島回りで記者を引き付けながらガレア島に行くという作戦は、セリアルカの案だ。学生時代、二人は身長と体格が似ていたので、よく服の貸し借りをしていたことを思い出したのだ。


 普段はくるりと巻いた毛先を真っ直ぐに伸ばして、サングラスをかけマフラーで口元を隠し、ついでに魔狼とセリアルカというオプションを付ければアルファルド風変装の完成である。

 万が一バレて呼び止められても、魔狼たちがしっかり守ってくれるだろう。モフモフ可愛くても、本来魔狼は主人にしか懐かない獰猛な魔物だ。見た目に関して心配があるとすれば、あやしさの主たる原因であるサングラスの方である。


「そのサングラス、気に入ってるの?」


 今はどこにも売っていない、流行と外れた形の古めかしいサングラスが気になるのだろう、セリアルカがヒースの顔を覗き込む。大きな黒いグラスが目元を隠して、その下の色は分からないが、通った鼻筋や口元だけでも充分に美しく見えるのだから始末に悪い。


「うん。父上が使っていたものを頂戴したんだ」

「オシャレなお方だったんだね」

「そうなんだ!」


 サングラスの下では嬉しそうに笑っているのだろう。声を弾ませたヒースに、セリアルカも笑って頷く。


「かけていたら、いつか父上がたモノが見えるんじゃないかと思って……まぁ、僕の眼には力は無いんだけど」


 ヒースの父、前大公サフィルスは“予言者の眼”という魔眼の持ち主だった。予言の力でシュセイル王国に多くの勝利と栄光をもたらした功績を認められ、ローズデイル大公領は大公国としてシュセイル王国から独立を果たした。

 しかし、強い力には代償がつきものである。魔眼は、使えば使うほどに生命を削る。魔眼持ちは早死にするという言い伝えの通り、サフィルスはヒースが十三歳の頃に永眠した。


 ――父上は、僕ら兄弟がこうなることをご存知だったのだろうか?


 ローズデイルを出てからの数日間、父のサングラスをかけて同じ景色を見てきたが、ヒースには未来どころか自分の行くべき道さえも見えなかった。

『愛する者の瞳を覗いても、その人の未来は見えない。幸せを願う心が、眼を曇らせてしまうから』

 と、父は生前よく口にしていた。予言者が嘘をつくと予言の力を失うと云われている。それが真実だとすれば、父も息子たちの未来を予知できなかったことになる。――父が、息子たちを愛していたという前提だが。


 急に黙って物思いに沈んでしまったヒースに、セリアルカは慌てた様子で無理やり話題を繋いだ。


「あ、そうだ! お土産、ありがとう! すごく良い香りだった。使うのがもったいないくらい。……逃げるの大変だっただろうに、気を遣わせてごめんね」

「どういたしまして。気に入ってもらえて嬉しいよ。向こうに着いたその日に買いに行ったから事件前だったし、そんなに大変じゃなかったよ」

「そ、そっかぁ……」


 彼女なりに気遣ってくれたようだが、結局話題は避けていた事件の話に逆戻りしてしまう。自分の話下手さに頭を抱えるセリアルカに、ヒースはふき出してしまった。


 安全な場所に一晩泊めてもらい、美味しいワインと料理をご馳走になっただけで、ヒースはかなりの癒しを得たのだが、側から見ればまだ落ち込んでいるように見えるのだろう。

 気遣ってくれるのは嬉しいが、これ以上の心配はかけられない。ヒースは自分から話を振ることにした。


「僕は、君たちに話せないようなことは何もしてないから、気にしなくて良いのに。アルもセラも優しいから、何も訊かないよね」

「……そんなことないよ。こういう時、なんて言ったら良いのかわからないけど……モフモフセラピーが必要になったら、いつでも遊びにおいで! 毛並みの良い仔揃えて待ってるよ!」

「あはは! そっちの趣味は無いけど、ありがとう。愛してるよセラ」


 息をするように自然に飛び出た愛の告白に、セリアルカは呆れた顔で首を横に振る。勘違いしてはいけないのは、ヒースの『愛してる』は、わりと仲の良い人なら一度は言われるということ。セリアルカの知っている限りでも、アルファルドは数十回は言われている。親友のディーンは、もっとかもしれない。


「私だから冗談だって流せるけど、そういうことを言うから、勘違いされるんだぞ!」


 セリアルカがヒースの耳をキュッと摘まんで抗議すれば、ヒースは何故かちょっと嬉しそうな顔をする。


「痛たた……親愛ってやつだよ!」

「もっと悪いわ! 君はなんでわざわざ間男みたいな真似をするんだ! もういっそのこと、本当に悪役令息になっちゃえば?」

「悪役令息ぅ?」


 聞き慣れぬ単語にヒースはおうむ返した。聞けば、最近流行っている小説の登場人物だという。


「おもしろいから読んで! って後輩が借してくれたんだ。愛する人を手に入れるために、恋人候補の男たちをあの手この手で蹴落とす悪逆非道の貴族の坊ちゃんのお話」

「……どこかで、聞いたことのある話だね。主人公の名前、アルファルドだったりしない?」

「えっ、あいつ、私の知らないところで悪逆非道してたの!? ……帰ったらお説教だな」


 アルファルドに謂れの無い疑惑が持ち上がったところで、乗合竜車の停留所に辿り着く。ここでお別れかと思いきや、セリアルカはヒースと一緒に竜車に乗り込んだ。


「竜車でガレア島まで行って、アルが着いたのを確認したら、帰りはこの仔たちを散歩させながらのんびり帰ろうと思って」


 セリアルカが足元に凝る自分の影を指差すと、影の中で赤い光が明滅する。魔狼たちはセリアルカの影の中に潜んでいるようだ。


「へぇ、やっぱり魔狼もお散歩が必要なんだね」

「そう。最近は夜のお散歩ができないから、昼間のうちにたくさん運動しないとね」

「雪女、ねぇ……」

「本部に行ったら、嫌でも情報が入ってくるよ。君の部署は捜査に参加するかはわからないけど」


 車窓を流れる雲を横目に、ヒースは今朝見た新聞の記事を思い出していた。



 ††



 無事にガレア島に到着して、停留所でヒースと別れた後、セリアルカは魔狼たちと一緒にシス-ガレア大橋の袂に在る停留所までやってきた。

 ベンチに腰掛け橋の向こう側、シス島方面に眼を向けるが、雲が濃くかかっていて見通せない。通常なら、乗り降りする人々で停留所が混み合う時間だが、今は人っ子ひとり見当たらない。竜車が遅れているようだ。


 冬の鋭い風が、セリアルカの露わになった頬を叩く。各浮島には風の大規模結界と魔光の太陽が設置されて、人が住み易いように整備されているのだが、今朝の風は異様に冷たく感じる。


「遅いね……」


 側に寄り添って風を防いでくれる四匹の魔狼たちも、不安そうにセリアルカの顔を見上げる。行き違いになっただけなら良いが、もしやシス島で記者に捕まった? それとも竜車事故があったのでは? と、思考はどんどん悪い方向へと流れていく。


 じっとしていられなくて、セリアルカがついにベンチから立ち上がった時、地竜種に乗った騎士の一団が目の前を通り過ぎてシス島の方向へ駆けて行った。乗っていたのは、白い制服の騎士たち。首都四島を守護する第一騎士団だ。


「何か、あったの?」


 セリアルカの問いに答えてくれる者は、誰もいない。

 心臓が、痛いほどにバクバクと脈打っている。セリアルカは胸元からドッグタグのネックレスを引き抜いて握りしめた。アルファルドのものと揃いで作ったムーンストーンの指輪には、セリアルカの“月”の魔力が込められている。しかし、セリアルカは指輪に触れてすぐに異変に気付いた。


「アル……?」


 恐る恐る開いた掌の中で、燻んだ色のムーンストーンにひびが入っていた。

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