PM19:30 サシ飲みの夜
テーブルに料理が並び、食べ始めたは良いものの、やはりセリアルカが居ないといつもより静かで、部屋が広く感じる。料理は美味しいのに、何故か味気ない。その原因のひとつには、間違いなくヒースの空のままのグラスもあるだろう。
いつものヒースなら、セリアルカと一緒にワインを一、二本空けている頃だ。ヒースの向かいに座るアルファルドも、違和感の正体に気付いてワインを勧める。
「飲まないのか?」
「…………禁酒中」
「ふうん。今年は十年に一度の最高の出来なのに」
「それ、毎年似たようなこと言ってるじゃないか。まぁ、確かに毎年美味しいんだけどさ」
アルファルドの故郷、シュセイル王国東端のオクシタニアはワインの名産地である。セシル家の醸造所で作られた証、黒地に金色の狼のラベルが貼られたワインは、王室御用達の最高級ワインとして世界的に有名で、首都四島でも滅多にお目にかかれない。そんなワインが、ここでは飲み放題なので、ヒースは来る度に浴びるほど飲むのだが……。
酒が飲めないアルファルドだが、どういうわけか実家で作っているワインだけは嗜み程度に飲むので、食事をつまみながらちびちびと味わっている。目の前で美味しそうに飲まれては我慢ならず、ヒースはすぐに音をあげた。
「一杯だけなら良いかな」
飲み始めたら一杯で終わるはずがない。幸い今ここには、アルファルドしかいない。警戒する必要はないのだと、ヒースは自身に言い聞かせる。
あの件以降、久しぶりに口にした酒は少しほろ苦くて、胸に滲みる。料理と酒の味が、やっと脳に届いて「美味しい」と声になった。囁くような小声だったが「当然だ」とアルファルドは真顔で頷く。
お酒が入って舌と身体が温まったところで、ヒースはセリアルカに頼まれていたお土産をアルファルドに預けた。ローズデイル産の薔薇を使った石鹸で、シュセイルの貴婦人たちの間で大人気の品である。
セリアルカが喜ぶ顔を想像しながら選んだのに、まさか澄まし顔のアルファルドに預けることになるとは。いよいよセリアルカの不在が心配になって、ヒースは切り出した。
「で? セラと何があったの?」
「お前には関係無い」
開こうとした心の扉を、向こう側から無理やり閉められたような思いがした。
アルファルドはそう言うだろうと予想はしていた。していたが、今のヒースにはその言葉の裏の、彼の思いを考える余裕が無かった。
「あるよ! 世界中の他の誰にも無くても、僕にだけはあるよ! 君らのドタバタに何回巻き込まれてると思ってんだ!」
「お前が勝手に首を突っ込んでくるだけだろう」
「そうだよ! それが嫌なら僕の前で喧嘩すんなよ!」
「喧嘩なんてしてない」
珍しく声を荒げたヒースに、アルファルドは眼を丸くする。アルファルドの足元で丸くなっていたカリストも、びくりと飛び起きて二人の顔を窺う。アルファルドが許可したので、カリストはすごすごと主人の影に逃げ込んだ。
「さっさと謝んなよ。どうせアルが悪いんだから」
「そうとは限らないだろう?」
「知らないよ! 何にも聞いてないんだから!」
まだ全然飲んでいないはずなのに。口から飛び出すのは、普段のヒースなら絶対口にしないような刺々しい強い言葉だ。いっそ、その棘で口の中がズタズタなれば、これ以上の醜態を晒さずにいられるだろうか。
アルファルドを傷付けるような言葉を吐きながら、自分の言葉に傷付く資格なんて無いのに。言葉を吐く度に、胃の奥に重いものが溜まって苦しい。
「頼むから、喧嘩しないでよ。……アルもセラも、みんな、みんな幸せになってよ」
ヒースは顔を覆って懇願する。
言葉の棘で本当に引き裂きたいのは、この顔だ。ありもしないことを書き連ねる記者よりも、無実を信じてくれなかった兄よりも、家族の隙間に忍び込んで毒を流した彼女よりも。
――憎いのは、この顔だ。
「僕はただ、幸せになって欲しかった。たくさん迷惑をかけてきたから。今まで苦労した分、幸せになって欲しかった。……壊すつもりなんてなかったんだ」
本当に伝えたかった人は、今は遠い故郷に居る。足りない言葉に眼を逸らし、わかり合えない憤りを片手に、逃げるように飛び出してしまったのは自分だ。届かない思いが静かな食卓の上を滑り落ちていく。
「祖神に誓っても良い。僕は彼女を誘惑してなんかいない。でも、彼女が狂ったのはきっと……僕のせいなんだ」
項垂れて思いを溢すヒースを前に、アルファルドは容赦なく鼻で笑い飛ばす。最初からアルファルドに慰めなど期待してはいなかったが、興味が無いと言いたげに、退屈そうな顔を隠さない。
アルファルドは大きなため息を吐くと、ワインのボトルの口でヒースをビシッと指した。
「自惚れんな。お前が居ようが居まいが、僕とセラは勝手に幸せになるし。僕らの愛は今更そんなことで揺らぐような軽いものじゃないんだよ。お前、どんだけ自分を過大評価したら『僕のせいだ』なんて発想になんのさ。ちょっと他人より顔が綺麗なぐらいで、悲劇の主人公ぶってんじゃないよ。実家で何やらかしたんだか知らないし、知りたくもないけど、どうせ人妻に手を出したとかその程度だろ? 『ご親戚のことで』ってうちのタウンハウスにまで取材が来てるらしいぞ。本当に人騒がせな! ……ったく、お前は何様だよ。だから
大公に嫡子が居ない現状、大公家の後継者という地位にあるヒースに、一切忖度無しの言葉が突き刺さる。手心を知らぬアルファルドがつらつらと述べるのを、ヒースは口を開けたまま呆然と見ていた。
「う、うわぁ……アルがめっちゃ喋る。……事件のこと、本当に何も知らないんだよね?」
「なんだ。やっぱりそうなのか」
「ちが……違うけど……そう、なるのか? いや、どちらかっていうと、僕が手を出されたっていうか……」
「知るか。どうでも良い」
「酷っ!」
――そうだった。この男は、僕がちょっと当たったぐらいでは傷付くどころか、何倍にもして殴り返してくる奴だった。
それがあまりにも的確で、辛辣で痛いから、ヒースは嬉しくなってしまうのだ。興味無いって顔をするくせに、ちゃんと見ていてくれるんじゃないかと。
ふき出したヒースに、アルファルドは面倒くさそうに長いため息をつく。
「今回のは……セラが、アルディールに留学したいって言い出して、ちょっと意見がぶつかっただけだ」
「留学!?」
ヒースとアルファルドと一緒に王立学院を卒業したセリアルカは、準騎士位のまま正騎士叙任を受けずに大学に進学した。大学で古典文学の教授をしているセリアルカの父親の背中を追いかけたと思いきや、彼女が進んだのは考古学部で、主にアルディールの古代文明について研究している。
セリアルカが進学を決めた時、当時既に婚約していたアルファルドは特に反対しなかった。むしろ、騎士になるよりも危険が少ないと喜んでさえいたのだが。
「アルディール……つい最近まで獣人狩りをしていたと聞くよ。狼女のセラが行くのは危険過ぎるよ」
「ああ。だから今説得中」
セリアルカは狼の獣人で、満月の光を浴びると自分の意志とは関係無く強制的に銀色の狼になる。その体質のせいで、何度も危険な目に遭ってきた。アルディールはシュセイル王国の南西にある砂漠の国で、アルファルドの樹の加護が効きにくい。自分がアルファルドの立場でも止めるだろうと、ヒースは思う。
「セラは先生の所に泊まっている。出て行ったわけじゃない。元々、この家はセラの名義だしな。表札もリーネさんになってるだろう?」
父親の職員寮や研究室に泊まるのも今回が初めてではないので、心配で居ても立ってもいられないというほどではない。と言いながら、アルファルドは時計を気にしている。
「……セラが留学する時、君はどうするの?」
「セラが行くなら、僕も行くさ。僕の
「愛が重いなぁ」
「うるさいな。その安心した顔をやめろ」
「ふふっ」
アルファルドの心はもう決まっているらしい。その愛の重さがヒースは羨ましいと思う。きっと、自分は身を焦がすような恋とは無縁で、そこまで誰かを愛せないという諦観がヒースの心を占めていたから。
「でも……アルもセラも遠くに行っちゃうのは寂しいなぁ」
「別に。一年ぐらいどうってことないだろ」
その一年ぐらいが耐えられなくて一緒に行こうとしているのはどこのどいつだと聞きたい。だが、そう言えば盛大に惚気られ、いかに彼女が素晴らしい女性であるかを延々と聞かされると、ヒースは知っている。なので、「そうだね」と返して、ヒースはグラスの中身を飲み干した。
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