PM13:00 招かれざる客

 イスハットからシス島へ渡るには、大陸-浮島間昇降機エレベーターでの空の旅が、身体に負担がかからない最適な方法である。

 巨大な昇降機は三階建てで、最上階の三階は王侯貴族のためのファーストクラス。一般の五倍ぐらい料金が高いが、それなりの優雅な旅ができる。二階は貴族以外の乗客が使用する最も大きな客室。展望台や売店などもあるので、退屈が紛れる。そして、乗り込み口がある一階は貨物室と、竜車やソリなどの停車場所となっている。


 実家もとい兄の威光に頼る気はないので、ヒースは二階の客室を選んだ。これからは兄を煩わせることはない。貴族らしい贅沢は控えて、全部自分でこなさなければならない。料金的にも、面倒な知り合いに会わないためにも、平民に紛れる方が気が楽だった。

 しかし、見るからにあやしい風体のヒースはどうしても目立ってしまう。警備の騎士に呼びとめられたら、街中とは違い今度は逃げ場がないので、早々に座席を離れ展望台へと逃れたのだった。少し寒いが、記者を避けるには仕方がない。


 人が歩くぐらいの速度でゆっくり昇ること、約三時間。雪雲を抜けた空に、浮遊する群島が見え始める。真冬の寝ぼけた太陽が空の低いところを揺蕩い、昼の青と夜の濃紺の間に、飛竜の群れが高く飛んでいく。雲を破り風に乗り、島々を躱して街を越えて。飛んでいく先には、王の居城を抱く一千年の王都エア島が在った。


「……職場が見えてホッとするなんてどうかしてる」


 ヒースの独り言ちる声は風に溶けて、空の一部になる。仕事人間のようで自分らしくないと思うが、悔しいことにローズデイルの実家よりも、浮島に戻る時の方が『帰ってきた』という思いが強い。二十一年の人生の半分以上を、このシュセイルで過ごしたからだろうか。


 この旅の始まりに、浮島を出た時には、『兄さんがやっと結婚する!』と期待と幸福に満ち溢れていたのに。

 他人事のように思い出して、ヒースは自嘲した。あの時の自分に今の状況を説明しても、きっと信じないだろう。今の自分でさえも、全て悪い夢だったんじゃないかと思うぐらいなのだから。


 昇降機はやがて、シス島の下部から島内部に入った。浮島の雄大な景色に代わって、ゴツゴツとした岩壁がしばらく続いた後、急に視界が開けて地下ショッピングモールの中央に走る昇降機に繋がる。昇降機はそのまま上昇を続けて、島上部の空港を目指す。


 展望台の手すりに頬杖をつきながら、過ぎる景色をぼうっと見つめていたヒースは、ウィンドウショッピングを楽しむ人々の中に、昇降機をじっと見つめている一団がいるのを見つけた。首から厳つい望遠レンズがついたカメラを提げていた男が、展望台にいるあやしい格好の男に目を向ける。


 先に気付いたのはどちらだったか。

 記者と思しき男が「あっ」と声を上げたのかどうかは、即座に身を翻したヒースは知らない。ヒースは座席に戻ると、荷物を掴んで三階のテラスに向かった。

 昇降機が空港に着けば、一階の降り口に記者が殺到するだろう。三階に上がれば少しは時間が稼げる。もし知り合いが居れば、その人の竜車に乗せてもらって脱出するしかない。幸運を祈りながら階段を駆け上がり、ヒースは三階の客室に飛び込んだ。


 突然の闖入者に三階を利用中の貴婦人たちが何事かと振り向く。その顔をぐるりと見回したが、ヒースが頼れそうな知り合いは居なかった。落胆する暇も無く、階下から追っ手の足音が聞こえてくる。ヒースは覚悟を決めて、サングラスとマフラーを外した。貴婦人たちの目がヒースの顔に釘付けになり、息を呑む。


「すぐに出ていきます。お騒がせしてすみません」


 ヒースは帽子を取って一礼するなり、テラスに向かって走る。荷物を抱えて手すりに登り、記者たちが三階の客室になだれ込むと同時に、昇降機から飛び降りた。




 一旦は追っ手を撒いたものの、ガレア島に続く天空大橋には記者たちが待ち構えていた。途方に暮れるヒースの目に映ったのは、『エア島への通り抜けはできません。シス島からエア島へ渡る際は、ガレア島、イオス島の天空大橋をご利用ください』という案内看板だった。


 四つの浮島は相互に天空大橋が架けられているが、首都防衛の観点から、浮島の玄関口シス島から王宮があるエア島への橋は架けられていない。つまり、シス島からガレア島に渡れないならば、イオス島かエア島経由でガレア島に行ける可能性があるということ。


 ふと、ヒースはトランクの中に友人へのお土産が入っていることを思い出した。渡す相手は騎士なので、騎士団本部があるガレア島で会った時に渡すつもりでいたのだが、どうせイオス島に行くのなら、ついでに友人の家に寄って渡してもいい。

 そして可能なら、一晩泊めてもらえないか交渉してみようか。幸か不幸か、はヒースに対して特別に冷たく――特別扱いしている時点で意味が無いことだが――無関心を装っている。根掘り葉掘り事情を訊かれることはないだろう。


 ローズデイルから長く続いた逃亡劇に、ようやく見えた光明を見失わないよう、ヒースはイオス島行きの乗合竜車に飛び乗った。



 ††



 学者の街イオス島。シュセイル最高学府の王国立大学や、大図書館、博物館や美術館など文化的な施設が建ち並ぶ、シュセイル王国の頭脳である。

 学者の街の名の通り学生や研究者が多く居住し、皆自身の研究に忙しいため、他人を気にする余裕が無い。“シュセイル一の薄情な街”という不名誉な呼ばれ方をすることもある。変わり者が多いことで有名な街だ。


 大学や博物館などの重要施設は街の北東部に在り、南西部は複雑に入り組んだ住宅街になっている。土地勘が無い者には迷路のように思えるだろう。ヒースも何度か通ってようやく道を覚えたほどだ。


 細い路地を抜けて、島の沿岸部までやってくると、シュセイルの浮島地方によくある、白壁に青い屋根の家が見えてきた。同じような家がたくさん並んでいるが、目的の家の見分け方は簡単である。家の前の花壇を見れば、真冬でも色とりどりの花が寄せ植えされているからだ。

 屋根と同じく青く塗られたドアの前に立ち、ヒースは声を張り上げた。


「セシルさーん! 居るのはわかってますよー出てきてくださーい! ……あれ? 表札はリーネさん? どっちだ? まぁ、いいや。セシルさあああん!」


 家の可愛らしい雰囲気に不似合いな、厳つい狼の顔のドアノッカーを鳴らしながら、ヒースは借金取りよろしく大声で呼びかける。所属する騎士団の特性から彼は夜勤が多いらしく、昼間はこれぐらいしないと出てきてくれないのだが、なかなかのご近所迷惑である。


 呼びかけることしばらく。寝癖だらけの頭で、半裸の男が乱暴にドアを開けた。ヒースはサングラスを持ち上げて、にっこり微笑む。


「こんにちはー! 新聞の集金でーす!」

「帰れ」


 一言吐き捨てて、セシルさんこと従兄弟いとこのアルファルドはすぐにドアを閉めようとしたので、ヒースは慌てて開いたドアの隙間に足を突っ込んだ。


「わああぁー! ちょっと待って閉めないで! 僕だよ! 君の超イケメンの従兄弟のヒースくんだよ!」

「そんな人知りません。騎士団呼びますよ」

「通報はやめて! セラに頼まれてたお土産を持って来たから入れてよー!」

「土産だけ置いて帰れ」

「いいの? 追い返されたってセラに言っちゃうぞ?」


 アルファルドが舌打ちしてドアから離れたので、ヒースは素早く家の中に潜り込んだ。

 広いリビングには柔らかな陽射しが降り注ぎ、窓辺に並んだ観葉植物に埋もれるようにアルファルドの使い魔である魔狼が二匹、寝そべって日向ぼっこをしている。

 ヒースは暖かさにホッと息をついて目を瞬いた。イオス島の街を照らす魔光の太陽が、目に滲みる。背後でぶつぶつ文句を言う従兄弟の声が、妙に懐かしく感じてしまった。


「……ったく、こっちは夜勤明けなんだよ。親の仇みたいにガンガン扉を叩きやがって! 僕は寝るから。お前は何も触るな。呼吸と瞬きだけしてろ」


 呼吸と瞬きするのを許してくれるなんて、アルが優しい! と思ってしまうぐらいには、気兼ねない会話に飢えていたらしい。もちろんそんなことを口に出せば、容赦無く追い出されるので、ヒースはニヤつくだけに留めておいた。


「ところで、セラは?」

「…………昨日から出かけている。セラの部屋には絶対に入るんじゃないぞ」

「はいはい。おやすみー」


 答えるまでの微妙な間が気になったが、アルファルドはすぐに自室に戻ってしまったので、訊く機会は無かった。どのみち、セリアルカが帰ってくればわかるだろう。と、ヒースはコートを脱いでリビングのソファに寛いだ。

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