day:0 イスハット空港

AM9:30 ゴシップ・ナイト

 閉じた瞼の向こうに強い光を感じて、ヒースは目を覚ました。車窓を流れる極彩色の街並みに現在地を知ると、欠伸を噛み殺しながら倒した座席を元に戻す。

 ここ数日、ヒースは故郷のローズデイル大公国からイスハットまでの道のりを、鉄道を乗り継いで細切れな移動を繰り返していた。まとまった睡眠時間を取れなかったせいか、すぐに寝入ってしまったようで、座席に座ってから今までの記憶が無い。


 凝った首を回しながら、ガレア島の騎士宿舎には何時頃着くだろうかと思考を回す。仕事は明日の昼からなので、本来ならこんなに急いで帰る必要は無いのだが、今のヒースにとっては古くて狭苦しい騎士宿舎こそが安心できる場所だった。

 騎士宿舎は騎士団関係者以外の立ち入りを禁止しているので、しつこい記者も、追手も、家族からの追求も振り切ることができるだろう。


 荷物をまとめて、飲みかけの紙コップを持ち上げると、見覚えのない紙が敷かれていた。広げて見れば女性の名前と連絡先が書かれている。

 起きた時から横顔に刺さる視線は、この女性のものだろうか。ちらりとそちらに目を向ければ、高そうなコートに身を包んだ貴族風のご婦人が、食い入るようにヒースの一挙手一投足を見守っている。


 車内は乾燥していて喉が乾いていたが、起き抜けに寝ぼけたまま飲み物に口をつけなくて良かった。疑いたくはないが用心に越したことはない。このコップは捨てた方がいいだろう。


 ヒースは上着のポケットに入れていた飴玉の袋を取り出して、ひとつを口に放り込んだ。ローズデイル特産品のローズオイルが入った飴は、化粧品ブランドを経営する母に「感想をよろしくね!」と押し付けられたものだ。


 香りは良いが香水を飲んでいるようで、ヒースはあまり好きにはなれなかったのだが、若い女性にはウケるかもしれない。感想を言う前に故郷を飛び出してしまったことが悔やまれる。


『本日は、大陸縦断鉄道をご利用いただきありがとうございました。まもなく終点、イスハット駅に到着いたします』


 車内の放送が旅の終わりを知らせると、ヒースは紙コップとトランクを掴んで席を立つ。

 ご婦人の側を通る時に、いただいたメモに飴玉を添えてお返ししておいた。狭い通路をすり抜けて、客車を出ると目の前に手洗い場があったので、紙コップの中身を流して屑籠に捨てた。流す時にコップの中から甘ったるい異臭を感じたが、何が入っていたのかなんて考えたくもない。

 列車のドアが開くと同時に、ヒースは憂鬱な思いを振り切るように飛び出した。




 ヒースが降り立った街、イスハットは首都四島のひとつ、シス島の真下に位置している。真夏の昼間でも薄闇に閉ざされているため、季節や昼夜を問わず煌々と明かりが灯る不夜城の異名を持つ。


 今では大陸縦断鉄道の駅と空港を有するシュセイル王国屈指の大都市だが、その始まりは、首都に入ることが許されなかった者たちが住み着いた貧しい集落だったと云う。

 空を睨み、手を伸ばすように高く高くと建てられた構造物は、絶えず旅人を招き入れては有り金と欲望を巻き上げる。貴族向けの高級宿泊施設が立ち並ぶ華やかな大通りの裏には、魔光サインが妖しく誘う歓楽街がある。


 姿を隠したい者が紛れるには最適な、軽薄で不穏で魅力的な街だ。


 ――特に、顔と名前が広く知られた今話題のクレンネル公子みたいな男は。


 と、露天の店先に並ぶ新聞やゴシップ雑誌を横目に、ヒースは内心で付け加えた。世間は今、ローズデイル大公国で起きたとあるスキャンダルに熱狂している。


 ゴシップ雑誌の表紙を飾る二人の金髪の男は、紛うことなくヒースと兄のジェイドだった。ヒースの方は、実家で作っている化粧品のモデルをした時の宣材写真で、ジェイドの方は公式行事の時の何気ないスナップ写真という悪意ある格差も、写真を選んだ人間の品性が窺えるようで反吐が出る。加えて、付けられた見出しも酷い書かれようだった。


『兄の婚約者を奪った魔性の男』

『未来の大公妃を奪ったのは、イヴリーン王妃の情夫』

『令嬢を巡る兄弟間の骨肉の争い』

『大公位簒奪を狙う黒い薔薇』


 読んだだけで胸焼けしそうな言葉の羅列に、怒りを通り越して、もう笑うしかない。

 世間の人々はどうしても、魔性の美貌を持つ弟が平凡な容姿の兄の婚約者を奪った、ということにしたいらしい。その方が悲劇的でおもしろいし、世間から叩かれるヒースを見て溜飲を下げたいのだろう。


 嘆いたところで、一度広まってしまった醜聞はどうにもならない。ヒースが落ち込もうが開き直ろうが、書かれることは大して変わらないだろう。今なら人命救助をしたって叩かれるに違いない。気にするだけ無駄だ。世間から誤解をされようと、自分にとって大事な人たちが真実を知っているなら、それでいいじゃないか。

 しかし、そう結論付けても、痛いものは痛い。


 最後に兄と言葉を交わした時のことを思い返すと、ヒースの胸の空虚に、冷たい風が吹き抜ける。ただ一言、兄に『疑って悪かった』と言ってほしかった。それで、全部済んだはずなのに。兄から言われたのは、『しばらく帰ってくるな』という明確な拒絶だった。


『次に婚約するときは、僕に連絡は要らないから! どうぞお幸せに!』

 事件以来、一度もヒースの眼を見て話そうとしない兄に、堪らなく腹が立った。売り言葉に買い言葉を吐き捨てて、ヒースはもう二度と故郷に帰らないという覚悟で、列車に飛び乗ったのだった。

 どんなに好奇の目に曝されようと、ヒースは第二の故郷であるシュセイルで生きていくしかない。今は家族と離れて暮らすことが、一番の慰めになると信じて……。


 ヒースは実家から持ち帰った父のサングラスをかけて、ふわっとした金髪を押し込むようにつば広の帽子を深く被った。マフラーで口元を隠して、コートの襟を立てた姿は完全に不審者である。


 常夜の街で、サングラスをかけている人は滅多にいない。ヒースのいかにも正体を隠していますと言わんばかりのあやしい風体に、すれ違う人々が不思議そうな視線を寄越すが、誘惑の多いこの街で、すれ違っただけの他人を深く追求する者はいない。

 たちまち、いかがわしい街の背景の一部になったヒースは、車輪が凍りついたトランクを持ち上げて、空港への道を急いだ。

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