エピローグ

 夕陽を浴びて、赤金色のダイヤモンドダストを散らしながら、白竜の群れが谷から飛び立って行く。真珠色の白竜の甲殻は茜色に染まって、赤い宝石の鳥が空を舞うような美しい光景だった。

 そのまま新しい巣を求めて飛び去るのかと思いきや、群れの長たる銀竜がまだ飛び立てずにいるため、白竜の群れは谷の上を旋回しながら長を待っていた。

 その銀竜は、といえば……。


「ピィィ〜!!」

『ならぬ』

「プィーーー!」

『ならぬと言っておろう』

「ピギィィィ!!!」

『駄目なものは駄目だ!』


 先程からこの通り、仔竜と何やら言い争っている。仔竜はヒースの頭に抱きついて、ピイピイ鳴きながら抵抗を続けているが、銀竜は頑として撥ねつける。仔竜の翼で視界を遮られ、状況が全く分からないヒースは、銀竜が居るであろう方向に向かっておずおずと手を挙げた。


「あの……」

其方そなたは黙っておれ』

「ええ。僕も厄介事は遠慮したいんですけど、さっきから首が……絞まってるんです、よね……」


 翼でバシバシとヒースの顔を叩いていた仔竜がぴたりと動きを止める。反抗するのに夢中で、長い尻尾がヒースの首に巻き付いていることに気が付かなかったようだ。


「ピ!?」

『!? 早く言わぬか!』


 仔竜は慌てた様子で巻き付いた尻尾を外して、心配そうにヒースの顔を覗き込む。肩の上で申し訳なさそうに首を竦めているので、怒る気にはなれず「大丈夫だよ」とヒースは苦笑した。


 竜の親子喧嘩に介入したくないのが本音ではあるが、このまま言い争っていても埒が明かない。事情だけは聞いてみようかと、ヒースは銀竜の顔を見上げる。


「いったい何を揉めているんです? みんな上で待ってますよ?」

『其方は分かっているだろうに……ほれ見ろ。この男はこういう男だ』

「プィィ!」

「あれ? なんか悪口言われてる?」


 言葉が分からないことをいいことに、気付かないフリを続けるヒースに、業を煮やした銀竜は喉の奥で不満げに唸りながら首を高く擡げた。正面から見下ろされると、銀竜の額の角がまるで振りかざした黄金の剣のようで、剣士としての感が危険を訴える。呟きひとつ、ため息のひとつにさえ責任を持って発せよと威圧されているようだ。

 銀竜はその場に腹這いになって顔を近付けると、ノイズ混じりの掠れ声で打ち明けた。


『……我が娘は、群れに戻りたくない。其方の竜になる! と駄々をこねているのだ』

「それは……」


 ――できることなら、分からないままで居たかった。


 仔竜がヒースに対して、友情以上の執着を見せ始めていることに気付かないほどヒースはにぶく無い。絶体絶命の瞬間も、仔竜はヒースから離れようとしなかったし、二度も命を救ってくれた。絆を結ぶには充分な冒険を共にしてしまったのだ。ヒースが受け入れれば、仔竜はヒースを“宝物”と認定するだろう。


 しかしそうなれば、仔竜は竜の理から外れ、二度と群れには戻れない。ヒースが天命を全うした後、この仔も青竜アズラエルのように墓を守るのだろうか? それがこの仔の望みだとしても、ヒースには到底受け入れられなかった。


 ――だから、分からないフリをしたのに。


『人の言葉が話せず、変身もできず、人を乗せて飛ぶことすらできない仔竜が、人と暮らすことなどできぬ』

「プィー! キュゥ」

『ならぬ! 聞き分けよ。シルフィアネーリア!』

「クゥ……キュゥゥ……」


 常に一緒に行動するために人や動物に変身できるか、人を乗せて飛べる体力があるか、というのは竜が人と暮らすための最低条件である。言葉は厳しいが銀竜の言うことは尤もで、反論の余地は無い。このまま絆を結んでも双方に利点は無く、そこに生まれる関係は対等ではない。パートナーではなく、飼い竜に成り下がってしまう。


 反抗はしても、理屈は理解しているのだろう。仔竜は琥珀色の眼から大粒の涙を零して項垂れる。キュウキュウと苦しげに喉を鳴らして泣く声が谷中に響いて、銀竜は物言いたげにヒースをチラチラと見やる。


 巨大な銀竜の、期待と懇願の視線は、流石に無視できるものではない。ヒースは意を決して、肩に留まる仔竜を胸に抱きとめた。このまま押し負けて銀竜が許可してしまえば、仔竜はヒースに付いて群れを抜けることになってしまう。それは、何としてでも避けたかった。


「お嬢さんのお名前は、シルフィアネーリアというの? 綺麗な名前だね」


 顎の下を指でくすぐると、仔竜は小さな前脚でヒースの指を掴んで頬を寄せた。いじらしい仕草にほだされそうになるのを、ぐっと堪える。


「シルフィと呼んでもいい?」

「ピィ」

「そうか。ありがとう。……ねぇシルフィ、君の気持ちは本当に嬉しいよ。でもね、僕は誰とも契約する気は無いんだ。僕の行く先は、きっと荊の道になるだろう。僕の運命に君を巻き込みたくないんだ」

「……キュゥ」

「ごめんね」


 優しい、けれどはっきりとしたヒースの拒絶に、仔竜はもう泣かなかった。ヒースはほっと胸を撫で下ろして、ふにゃりと笑う。


「短い間だったけど、一緒に冒険できて楽しかったよ。ありがとう! もう悪い人間に捕まってはいけないよ」


 一度ぎゅっと抱き締めてから、ヒースは銀竜の背に仔竜を降ろした。『もう大丈夫。分かってくれたよ』と頷けば、『ありがとう』と銀竜の声が脳裏に響いた。


 仔竜の気が変わらない内にと、銀竜は翼を広げる。翼に風を受けて、銀竜が飛び立つその瞬間。仔竜がパタパタと飛んで来て、ヒースの周りを一周すると、鼻先でヒースの唇をつついた。呆気に取られたヒースを振り返ることなく、仔竜は銀竜を追いかけて空高く飛んで行く。力強い羽ばたきに、落日の残光に輝く雪の花を散らして。



 ††



「あーあ。ついに人外の女に手を出したのか」

「人外でも、子供に手を出すのはハンザイじゃねーのかぁ?」


 別れの余韻に呆然と空を見上げるヒースの後ろで、黙って成り行きを見守っていたアルファルドがボソリと呟けば、ライルが悪ノリする。


「誤解を招くようなこと言わないで!?」


 ハッと我に返ってヒースが抗議すると、その肩をポンと叩かれた。恐る恐る振り返れば、普段は滅多に笑わないフィリアスが満面の笑顔を貼り付けている。


「クリスティアル卿、駐屯地まで御同行願おうか。卿には黙秘権がある。卿の証言は法廷で不利な証拠として……」

「ちょ、待って! 誤解です! 僕は何もやってない!」

「やらかした奴は皆そう言う」

「やらかしてないってば! ディーン! 君からも何か言ってやってくれ!」


 頼みの綱は親友殿しか居なかったのだが、彼もまたこういう時は空気を読む男である。


「ヒース……保釈金の請求は大公殿下宛てでいいよな?」

「よくなーーーい!!!」


 密猟団は、近衛騎士団の増援が到着し次第、旧第十八騎士団駐屯地に連行される。ヒースたち一行も、今回の一連の事件について説明と報告が必要なので、駐屯地に行くことは決定しているのだが、混乱しているヒースは知る由も無い。


 フィリアスに引きずられていくヒースを見送りながら、期間限定準騎士団は無事に解散の運びとなった。

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