24 今はまだ小さな灯火
ヒースとフィリアスが、卵と母竜の救出に向かっていた頃、銀竜と近衛騎士団の助力により、谷の上空は制圧された。ヒポグリフは白竜の氷魔法と、アルファルドの樹魔法で飛べないように拘束され、乗っていた騎士は他の者たち同様に檻に収監され沙汰を待っている。
逃げ出した崖上の部隊も近衛騎士団が捕獲したので、後はヒースたちの帰りを待つのみ。ようやく一息ついて、ディーンは谷の底から空を見上げる。
気の早い北国の太陽は早々に帰り支度を始めて、茜色に染まる空にドッと疲労感が込み上げてくる。しかし、密猟団の移送が済むまでは気が抜けない。もうひと踏ん張りだと、地上に視線を戻そうとした時、天災の前触れのように、冷たい風が谷を吹き抜けた。
巨大な影が頭上を通り過ぎて、旋回して戻ってくる。濃度を増す影が、絶望のように差し掛かり、その圧倒的強者の存在感に誰もが空を仰いだ。
パシパシと細かな雷を散らして舞い降りた銀竜は、首を高く伸ばして地上を睥睨する。ほんの一瞬、ディーンに目を止めた後、銀竜は小さく頷いて視線を逸らした。
銀竜は鱗をしゃらしゃらと鳴らし、大地を揺らしながらゆったりと歩く。その行手には密猟団が囚われた檻があった。銀竜が檻の中を見つめながらぐるぐると周囲を廻る間、中の密猟団は生きた心地がしなかっただろう。狭い檻の中で少しでも銀竜から距離を取ろうと、中央に固まって震えている様は哀れだった。
しかしその程度では銀竜の怒りは収まらない。突如、銀竜は角で檻をひっくり返し、強靭な
止めに入ろうとしたライルに、ディーンは首を横に振る。「ただの脅しだ。本気じゃない」と小声で告げれば、訝しげな顔をしていたライルも渋々ながら拳を降ろした。
銀竜がその気になれば、人間が作った鋼鉄の檻など簡単に踏み潰すだろう。ましてや、鉄製の檻の中は鎧を身に付けた密猟団である。殺すのならば、檻に直接雷を落とせば良い。だが、そうしないのは、良くも悪くも銀竜が“竜”だからなのだろう。
竜は世界の一員であるという意識が強く、また、最強の種族であると自負している。ゆえに、よほどのことがない限り、他種族の生死に積極的に関与することは無い。
今回は、幸いにも仔竜は無事で、白竜の犠牲も無かった。密猟団が憎くとも、生命まで取ることはないだろう。……というのがディーンの見解だった。
既に銀竜に多大な慈悲を掛けられているとも知らず、檻の中の密猟団は阿鼻叫喚でディーンたちに助けを求める。
気は進まなかったが、このまま放っておけば恐怖に駆られて自害する者が出るかもしれない。ディーンは重い腰を上げて、毛糸玉に戯れる猫のごとく、ガタガタと檻を揺らす銀竜の前に進み出た。
「銀竜よ。どうか、怒りを鎮めてくれないか。竜の仔に手を出せばどうなるか、こいつらも充分に学んだことだろう」
ディーンが声をかけると、銀竜は挑発するように檻に前脚を乗せて体重をかける。甲高い悲鳴のような音を立てて歪む鉄格子に、銀竜はフンと鼻を鳴らした。
『学ぶ機会は無い。此奴らは、今ここで一匹残らず焼き殺す』
「それはいけない。竜には竜の理があるように、人には人の法がある。こいつらは、人の法によって裁かれねばならない」
『竜の理を持ち出せば、我が引くと思うたか? 浅はかな!』
「浅知恵は認める。しかし、今殺せば、こいつらの所業は闇に葬られ、いずれまた欲に目が眩んだ奴らが同じことを繰り返すだろう」
冷静に諭すディーンに、銀竜は炯々とした赤金色の眼を細めた。谷底に低くゴロゴロと轟く音が、銀竜の
「人の法で裁き、全ての罪を
抜いた剣を地面に刺して、ディーンはその場に膝を着いた。王子ディーンの行動に、王子にだけ頭を下げさせるわけにはいかないと近衛騎士団六名が続き、アルファルドとライルも続く。
「我が名、ディーン・エリア・アスタール=シュセイアの名に誓う。どうか聞き届けてほしい。イースファルの友、銀竜シルファーナスよ」
子供向けの騎士物語には、銀竜としか書かれていないが、歴史書の中には、王の戦友としてその名が記されている。
人の声で呼びかけられたのは、おそらく約七百年ぶりのこと。人にとっての七百年は長い。しかし、幾年経ようとイースファルの子孫は、その名を忘れていない。かつて、人との間に厚い友情を育んだ貴方ならば、この願いを聞き届けてくれるだろうと暗に仄めかす、やや挑戦的な誓願だった。
沈黙の谷を、風が吹き抜ける。夕闇が降りてからは一層冷える。だが、不思議とディーンの心に悲嘆は無い。むしろ、胸が澄んでいくような清々しい気分だった。
皮膚をチリチリと焦がすような雷の魔力が霧散して、闇に光る銀竜の眼から怒りの赤が消えていく。銀竜は檻を踏み潰さんと乗せていた脚を退けると、ディーンの姿を正面に見据えた。
『…………よかろう。我が友イースファルに免じて、貴様に此奴らの命を預ける。誓いを立てたこと、ゆめゆめ忘れるなよ。破れば、シュセイルの竜は人を見限るだろう』
「肝に銘じよう。貴殿の慈悲と理解に感謝する」
『……ふん』
銀竜が側を通り過ぎる時、「悪者にしてすまない」とディーンが囁けば、『人の評価など些事よ』と笑いを含んだ声が脳裏に響いた。
「おい、ディーン! 名乗りを上げてそんな誓約して大丈夫なのかよ!?」
「困ります殿下ぁ! 陛下になんとご報告すれば良いのか……」
「しっかり役目を果たすしかねぇな。はは……」
ライルと近衛騎士団の隊長と思しき若い騎士が詰め寄るが、ディーンは疲れた顔で乾いた笑いを溢す。
ディーンとしては密猟団の余罪を追及して、竜の密猟が及ぼす危険性を報告し、竜を保護する法の整備を進めたい。銀竜としては、家族の安全を確保し、人の王族から確たる言葉を引き出したい。
これは、双方の意志を確認して、誓約を取り付けたことを知らしめるための即興の茶番だった。銀竜がノリノリで付き合ってくれたのは意外だったが、そのぐらいの気概が無ければ破天荒なイースファルの戦友は務まらなかったのかもしれない。
「先程、
「近衛騎士が殿下と呼んでたよな?」
「銀髪……空色の眼の風使い……なんで気付かなかったんだ!!」
とはいえ、密猟団にまでしっかり聞かれて、正体を知られてしまったからには、もう後には退けない。密猟団の前で種明かしをするわけにはいかないので、深刻に捉えてもらった方が良いのだが、続くアルファルドの言葉にディーンの顔色が変わった。
「まぁ、ああでも言わないと銀竜も納得しないだろうし。仕方ないと言えばそうだけど……フィリアスがめっちゃキレそう」
「それな」
「ご愁傷様です」
アルファルドとライル、近衛騎士たちにまで、可哀想なものを見る目で見つめられて、ディーンは顔を引き攣らせた。フィリアスの説教が長くて辛辣なのは共通認識らしい。
「……な、なんとか回避できねえかな?」
その後、戻ってきたフィリアスに、案の定こっ酷く叱られたディーンは、銀竜や白竜たちからも憐れみの目で見られたとか。
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