23 籠の外へ

「お嬢さん。僕の言葉が分かるね?」


 ヒースが腕を肩まで上げると、仔竜は羽音を立てずにふわりと舞い降りた。琥珀色の眼をゆっくりと瞬き、ヒースの顔……というよりは、眼を覗き込む。

『竜は宝石とかキラキラしたもんが大好きだからな。お前の場合は、眼を突かれないように気をつけろよ』

 ディーンが冗談混じりに言っていたことを思い出して、ヒースは彼女の鼻先をポチッと押す。仔竜がヒースの指先に視線を動かしたのを確認すると、ヒースは一言一句を区切るようにゆっくりと話しかけた。


「僕と、フィリアスが」


 ヒースは自分と、少し離れた場所で待機しているフィリアスを指差しながら仔竜に教え込む。仔竜はヒースの指を追いかけて、ヒースとフィリアスを見た。


「あいつらを、追い払うから。その間に君は、お母様に伝えて」


 おそらく、巣籠の中で卵を抱いている白竜が、彼女の母君だろう。竜撃槍に氷壁が穿たれる度に怯えながら、長い首と尾で卵を隠すように巻き付いている。


「大きな音が鳴るけど、大丈夫だよ。僕たちは、味方だよ。ってね。……分かったかな?」

「キュウ」

「よし。良い子」


 額の角の下、眉間の辺りを指で優しく撫でると、仔竜は気持ちよさそうに眼を細めて尻尾の先をブンブン振った。

 これ程の危険に晒されれば、白竜の群れも巣を移動せざるを得ないだろう。幸い巣籠の中に卵はひとつ。抱えて飛べるようにしてあげれば、白竜の群れは移動できるはず。それにはまず、巣を攻撃している密猟団を追い払い、ヒースが巣に到達しなくてはならない。


 仔竜を放つタイミングを計りながら偵察を続けるヒースに、広間の入口を挟んで向こう側の壁際に居るフィリアスから声がかかった。


「ヒース。卵を包むのに使え」


 隙を見て投げ渡されたのは、黒い布に包まれた氷の塊。広げてみればそれは、黒地に銀糸で盾を持つ銀竜の紋章が縫い取られたフィリアスのマントだった。

 王家の紋章が剣を咥えた銀竜に対して、盾を持つ銀竜は近衛騎士団の紋章である。ヒースの記憶が正しければ、それはフィリアスの婚約者が彼のために刺繍を施したマントだ。


『いいの?』


 ヒースがハンドサインを送ると、フィリアスは頷く。

『銀竜の寝床に使ってもらえるなら光栄だと、彼女も喜んでいた』と後にフィリアスは語る。


 何度目かの竜撃槍が放たれ、ついに氷壁に風穴が空き、密猟団の注意が巣に向いたその時。ヒースは仔竜を放ち、大きく息を吸い込んで声を張り上げた。


「全員撤収だーー! 近衛騎士団が来たぞぉぉーー!!」


 広間の氷壁にヒースの声が響き渡ると、フィリアスが角笛を吹き鳴らした。密猟者たちはびくりと身を竦ませて辺りを見回す。


「何!? どうして近衛騎士団がここに?」

「団長め! 俺たちを見捨てて逃げやがったのか!?」

「いや、今叫んだのは誰、だ……?」


 しかし彼らがその疑問の答えを得る前に、フィリアスが放った炎が天井の氷柱つららのシャンデリアを落とした。降り注ぐ氷柱に密猟者たちが泡を食って逃げ出すと、ヒースとフィリアスが入れ替わりに広間に入る。すかさず、巣を守っていた白竜が入口を氷壁で閉ざして密猟団を締め出した。

 騙されたことに気付いて戻ってきた密猟団が、怒りに任せて氷壁を殴るがびくともしない。ヒースは満面の笑みで手を振って、フィリアスと拳を合わせた。


「作戦大成功だね!」

「大成功……だろうか?」


 呟くフィリアスの視線の先には、巣籠の中から怯えた眼で見る母竜が居た。ヒースの指示通り、仔竜が白竜たちに作戦を伝えてくれたのだろう。巣を守っていた三頭の白竜たちも、ヒースとフィリアスの周りを行ったり来たりしながら動向を窺っていた。

 無言で見つめ合う緊張感に見かねた仔竜が、母の背からヒースの肩に移って頬を擦り寄せると、母竜は渋々といった様子で翼を畳んだ。


「この仔のお母様ですね?」


 ヒースの問いに、母竜は答える代わりに長く瞬いた。言葉を理解しているようだが、人の言葉で返すことはできないようだ。


「この場所は危険です。僕らがお助けしますから、ここから出て新しい巣に移動しましょう。銀竜様も外で待っています」


 ヒースが説得を試みたが、母竜は卵を前脚でぎゅっと抱きしめて顔を背けた。見守る三頭の白竜たちも困惑したように顔を見合わせる。「クゥ」とも「ギュウ」とも表現できない不思議な鳴き声で囁きあっている。


「……やはり、孵化するまで巣の移動はしたくないのだろうな」


 不安そうな白竜の様子を見て、フィリアスは首を横に振る。ヒースとしても母竜の意志を尊重したいところだが、この場所は最早安住の地ではない。


「人の技術は日々進歩している。そのうち竜を殺すための、竜撃槍以上の兵器を作り出すかもしれない。今回は運良く助かっても、次は分からないよ。銀竜様はもうすぐ孵化するって言ってたけど、竜の言う“もうすぐ”は、人にとって何年なのか分からない。今までのように、ひとつの巣で何年も孵化を待つことが安全とは言えない」


 ヒースが巣籠の縁に足をかけると、母竜は首を高く持ち上げ翼を開いて威嚇する。額の角に薄水色の光が宿って、ヒースの周囲の温度が一段下がった。

 母竜は卵を抱えたまま後退り、牙を剥いてキイキイと鋭い声で鳴いて警告したが、ヒースは無視して巣籠の中に入った。


「人も竜も、変化を受け入れる時だ」

「ヒース! 戻れ! 無茶だ!」


 氷の魔力の高まりにフィリアスが警告を発したが、ヒースの視線は母竜に注がれたまま、一歩も退くことはなかった。

 ヒースはベルトを外して、腰に提げていた双剣をベルトごとフィリアスに投げ渡した。上着の前を開けて隠していた小型のナイフを捨て、その他武器になりそうなものが無いことを確認すると、両腕を大きく開いて害意は無いと示す。


 服の隙間から一気に冷気が忍び込んで、ヒースは一瞬息を詰まらせた。全身を刺すような冷気が包んで、耳や手足が千切れそうに痛む。しかし、痛みを感じるということはまだ感覚があるということ。

 成体の白竜がその気になれば、人間ひとり簡単に凍らせてしまうだろう。だがすぐにそうしないところを見るに、母竜も葛藤している。まだヒースを完全に敵と見なしてはいないのだと、ほんの僅かに光明が見えた気がした。


「……ごめんなさい。たくさん怖い思いをさせて……ごめんなさい」


 ヒースが手を差し伸べると、母竜は神経質に鱗を逆立てて尻尾で床を叩く。琥珀色の眼に怒りの赤い光が混じり巣籠に霜が降りた。激しい拒絶に曝されながらも、ヒースは少しずつ近付き語りかけることをやめない。


「お嬢さんを攫われて、銀竜様を傷付けられて、今度は卵を狙われるなんて……人が信じられないよね」


 母竜の怒気に、ヒースの肩の上で仔竜が縮こまる。しかし、仔竜の思いもヒースと同じなのか、前足の爪を立ててヒースの肩にしがみ付いたまま離れようとはしなかった。

 噛まれることを覚悟しながら、ヒースは威嚇する母竜の鼻先にそっと触れる。母竜はびくりと身体を震わせると、丸く眼を見開いた。


「分かるかな? …………そうです。僕は魔法が使えないんです。だから僕は、貴女も、卵も、傷付けることができません。――僕は、誰も傷付けたくありません」


 僕の命は、貴女の手の中にある。貴女の気まぐれで握り潰してしまえる脆いものだ。そう身をもって示すことで、怒りと恐怖にとらわれた母竜の心を解放したかった。


「人を恐れることは当然のことです。人を許さなくていいんです。危険だと思ったら噛み付いてもいい。でも、最後にどうか一度だけ、人を……僕を信じてくださいませんか?」


 馬に抱きつくように長い首に腕を回して、首の付け根の辺りを優しく叩きながら撫でる。首の長い竜はそこが凝るから叩いてマッサージすると喜ぶというのは、ディーンから聞いた豆知識である。


 しばらくそうして撫でているうちに母竜は落ち着きを取り戻したようで、ヒースの頭の上でふうと小さく息を吐いた。世にも珍しい白竜のため息を聞いて、ヒースは顔を上げる。

 母竜は念押しのためか、ズイっとヒースの顔に顔を寄せて睨みながら、そっと足元に卵を置いた。


「ありがとう!」


 ヒースが顔に抱きついてお礼を言えば、母竜はまた悩ましげにため息を吐いてフスンと鼻を鳴らした。仔竜のお嬢さんの母君らしく、気位が高いらしい。

 母竜の気が変わらないうちに済ませねばと、ヒースは手早く卵をフィリアスのマントに包んで、母竜の首に抱っこ紐のように結びつけた。


「これでよし。念のため、後でアルにネットを作ってもらおう。落ちないようにしっかり固定しないとね」


 母竜の準備が整うと、周りで見守っていた白竜たちがヒースに擦り寄ってきた。鼻先でヒースの頭や背中を突いて、前脚でちょいちょいと手招きしている。


「えっ、なになに!? どうしたの?」


 わけも分からず困惑するヒースに、フィリアスが苦笑を溢す。巣に残された竜撃槍の発射台は既にフィリアスが破壊していた。フィリアスは置き去りにされた装備の中から槍を手に取り、ヒースに投げ渡す。ヒースが受け取ったのを確認すると、手近に居た白竜の背に飛び乗った。


「外まで乗せて行ってくれるそうだ」


 そうなの? と、ヒースが一番近くに居た白竜の顔を見上げれば、白竜は腹這いに伏せて前脚を貸してくれる。踏み台にして背中に乗れと言っているらしい。仔竜のお嬢さんもヒースの肩の上で飛び跳ねて賛成しているようだ。


「それじゃあ、甘えさせてもらおうかな。よろしくお願いします!」


 ヒースが白竜の背に乗ったのを合図に、フィリアスが角笛を吹き鳴らした。

 四頭の白竜が咆哮を上げて駆け出す。先頭のフィリアスが氷壁を突き破り、母竜を間に挟んで二頭の白竜が両側を守って密猟団の残党を蹴散らした。氷の洞窟を駆け抜け、空に飛び立つ白竜の様は、いかにも“雪山の貴婦人”の名に相応しい優雅さだったという。

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