22 雪花の盾

 立ち回るには狭い竜の背は、複数人を同時に相手しなくてはならないヒースにとっては好都合だった。敵方は冬用の鎧を着込んで動きが鈍い上に、巨木の幹のようにカーブした足場では同時に斬りかかることができず、人数の利を活かせない。風魔法で足場を作ろうにも、銀竜が纏う風の結界に打ち消されてしまう。


 残った僅かな足場に恐る恐る踏み出して、斬りかかるその意気やよし。ヒースは左手に握った短剣で攻撃を受け流し、よろめいた相手の背後に回ってトンと軽く背中を押す。足を踏み外して驚愕の顔のまま落ちて行く騎士に、ヒースは笑顔で手を振った。


「楽しい空の旅を!」

「うわあぁぁぁ!!」

「ははっ! 良〜ぃ悲鳴だね! ……って、今の僕、ちょっと悪者っぽくない?」

「ピイ!」


 最初の勢いは見る影も無く、ヒポグリフの騎士たちは足をプルプルさせながら斬りかかって来るが、ヒースに軽くいなされてバランスを失って落ちて行く。落ちた騎士たちを都度回収するヒポグリフたちが健気である。

 ――魔法に頼った戦い方ばかりするからだ。

 と、ヒースは失笑を堪えて嘆息する。ちょっとだけ、『ざまぁ』なんて思ったことは秘密だ。


 及び腰の騎士たちに対してヒースはといえば、足に縛り付けた命綱のお陰で足元は常に安定している。双剣術を修得する上で、師匠に散々仕込まれた剣舞が強い体幹を作ったのだろう。膝を柔らかく曲げて、揺れに合わせて飛び跳ねては、舞うように双剣を振るう。


 ひとり、またひとりと捌き、ヒースが後方に控えた最後のひとりを視認した時、肩の上の仔竜が鋭い声で鳴いた。咄嗟に飛び退き、身を伏せれば頭上を緑風の刃が薙いだ。

 ヒースはすぐに体勢を立て直し、二撃三撃と続く風の刃を躱しながら相手を観察する。最後に残った騎士は、風の結界が弱まる銀竜の尾の付け根あたりに立ち、遠間合いから風の刃で狙い撃つつもりのようだ。


「魔法を使わない相手を、魔法で捩じ伏せようとするなんて。随分と余裕が無いようですね!」

「フン、貴様が死ねば誰にも分からないだろうさ」


 ヒースの挑発に嘲笑で返して騎士は剣を大きく振りかぶる。緑光が剣身に疾り、銀竜の身体に纏う風の結界を奪って逆巻く。少し前まで味方だった風が一気に襲い掛かり、暴風がヒースに重力の存在を思い出させた。


「落ちろ!」


 振り下ろされた剣から竜巻のような風が放たれる。風圧に押さえつけられ立ち上がれないヒースは、竜の背に膝を着いたまま、せめてもの抵抗に剣を構えた。迫り来る竜巻に呑まれそうになったその時、突然仔竜がヒースの腕にしがみ付いた。


「ピィィィィ!」


 甲高い仔竜の鳴き声が響いて、まだ短い乳白色の角に薄水色の光が宿る。腕に痛いほどの冷気を感じながら、ヒースは双剣を振り抜いた。剣先から放たれた薄水色の光は、分厚い氷の盾を生み出して暴風と拮抗する。


「これは……!」

「貴様! 魔法は使えないんじゃないのか!?」

「キイキィ! プイー!」


 ヒースの腕には仔竜が籠手こてのように巻き付いて、『まだ終わってないぞ!』と警告を発する。仔竜の魔法が作り出した氷の盾は風に削り取られ、みぞれのようなつぶてを散らしながら痩せ細っていく。敵方は盾が完全に消えた瞬間を狙って、再度風の刃を放ってくるだろう。

 ――今度は魔力を溜める隙を与えず、斬り伏せる!

 身構えたヒースに、銀竜が吼えた。


『伏せろ!』


 ヒースが銀竜の背に腹這いに伏せた瞬間、銀竜は身体を傾け、崖に背中を擦り付けるように身体をうねらせた。自らの魔法と氷の盾に視界を阻まれ前が見えなかった騎士は、突如目の前に現れた岩壁に対処できずに、ゴスッと鈍い音を立ててぶち当たる。

 強制退去させられ、落ちていく騎士を気の毒そうに見送ると、ヒースはようやく安堵の息を吐いた。


「ありがとう。お嬢さん! 銀竜様もありがとうございます」

「キュゥ!」

『うむ』


 肩の上に戻ってきた仔竜が嬉しそうに頬擦りをする。銀竜も得意気に鼻を鳴らす。だが、勝利を喜んだのも束の間。未だヒポグリフの騎士たちは銀竜の背後に張り付いて反撃の機会を狙っている。

 事前の打ち合わせでは、合図が出たらヒースは竜の巣に向かい、卵を確保することになっている。しかし、このままでは敵を引き連れて巣に向かうことになってしまう。銀竜は竜族の中でも大型に属し、良くも悪くも目立つ。一時追手を撒いたとしても、すぐにまた追われることになるだろう。卵の安全を第一に思うのなら、追手を先に片付けなくてはならない。


「どうする……?」


 ヒースの呟きに答えたのは、谷に鳴り響く力強い角笛の音だった。

 頭上を過ぎる影に、ヒポグリフたちがビクリと体を震わせ空を仰ぐ。眩い陽光に視界を灼かれた次の瞬間、逆光を背に高い空から垂直に落ちるように灰竜の一団が急襲した。


「手を貸そうか?」


 空に、青い影が踊る。風の結界を割いて、近衛騎士団の青の制服に身を包んだ男が銀竜の背に降り立った。男が手にしたハルバードを掲げると、真紅の魔力光が宿り炎が燃え上がる。


「灼き尽くせ」


 肌を焼き焦がすような炎熱とは裏腹に、炎に命じる声音は聞く者を震え上がらせる程に冷徹。ハルバードを軽くひと薙ぎすれば、勢いよく放たれた豪火が背後に迫っていた追手を一掃した。


「フィリアス! 来てくれたんだね!」

「遅くなってすまない。すぐに動ける兵を掻き集めたは良いが、動かす許可を得るのに手間取ってな」


 首都からの長距離をかっ飛ばして来てくれたのだろう。風に乱れた赤銅色の髪を撫で付けながら、フィリアスはややくたびれた顔で笑った。

 灰竜に乗った近衛騎士の一団に襲われて、恐慌に陥ったヒポグリフたちは主人の意に反して暴走を始める。フィリアスが連れて来れたのは六騎と、決して多くはなかったが、優秀な騎士しか入れない近衛騎士団は流石の練度で、ヒポグリフの騎士たちを制圧していく。


 羽毛が焼け焦げる生臭い臭いに顔を顰めながら、ヒースも困った顔で笑い返した。近衛騎士団の活躍を目の当たりにして、望む青のある場所はまだまだ遠いと思い知らされたが、嘆くのは全てが終わった後だ。


「ちょうど良かった! 君は僕と一緒に来て欲しい」

「それは構わないが、何処へ?」


 銀竜は谷底に降りず、断崖に空いた横穴の入り口に身を寄せる。ヒースの肩から仔竜が飛び立って、鼻先で洞窟の中を示しながら鳴いた。


「白竜の巣へ、エッグハントにね!」


 ヒースは答えて、足に巻いていた手綱を切った。



 ††



 ディーンの風、ライルの雷は強力だが、建物や洞窟の中といった空が閉ざされた空間では通常の半分以下の威力しか出せない。アルファルドの樹ならばまだマシだが、使える魔法の種類が限られる。

 その点、フィリアスの火は水中以外ならば安定した火力が出せる。白竜の巣穴に入るなら、フィリアスを連れて行くのが最適だ。


「いい判断だ」

「でしょー?」


 仔竜を追いかけながら、簡単に状況を説明すると、フィリアスはあっさりと同意してくれた。顔立ちは全く似ていないが、気難しそうに眉根を寄せる目元は、異母弟のディーンを彷彿とさせる。


「銀竜の卵か……無事であれば良いが。卵に万が一のことがあれば、シュセイル中の竜という竜たちがボイコットを始めるぞ」

「えっ、怖っ!」

「ピイ!」


 タイミング良く、同意するように鳴いた仔竜に、ヒースは蒼白になる。


「そう、竜のネットワークは怖いぞ。竜は人間には聞こえない音域で会話をするからな。人間が知らないうちに多くの情報を共有している。ひとつの高位竜種に敵視されたら、瞬く間に他の竜種にも広がるだろう。だから、先人は卵や巣には触れなかったんだ」

「うわぁ、それは責任重大だ……」


 洞窟の中は蜂の巣のように無数の横穴があった。凍りついた岩壁には、密猟者が残したと思われる赤い染料の跡が残っている。仔竜は、その赤い印を目ざとく見つけながら、ヒースとフィリアスの少し前を飛んでいる。

 仔竜も気持ちが急いているのか、少し離れたらすぐに振り返ってピイピイとヒースを呼ぶ。ヒースの隣を走るフィリアスが、「本当に懐かれているんだな」と小さく笑みを零した。


 走ること数分。辿り着いた氷の洞窟の最奥は、大きな広間になっていた。

 元は古代の遺跡だったのだろうか、広間には明らかに人の手によって彫り出された石柱がずらりと並ぶ。銀竜が後ろ足で立ち上がっても余裕がありそうな高い天井には、氷柱の荘厳なシャンデリアが吊り下がり、その下には枝を編んで作られた大きな巣籠に卵を抱く白竜の姿があった。


 三頭の白竜が巣を囲み、氷壁を作り出して密猟者たちの侵入を拒んでいたが、密猟者たちは組立式竜撃槍を持ち込み、氷壁を穿って白竜の魔力切れを狙っている。竜といえども魔法を使い続ければ疲弊する。氷壁を突破されるのも時間の問題である。


 広間の手前の壁際に隠れて、状況を確認したヒースは、フィリアスにハンドサインを送る。


 ――僕に、良い考えがある。

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