21 空と人の子

 飛び交う槍を颯爽と躱し、時に尻尾で叩き落とし、銀竜は空中を縦横無尽に飛びながら密猟者たちを翻弄する。竜撃槍は竜の甲殻を撃ち抜く強力な兵器だが、一度射出すれば再装填に二、三十秒かかるという弱点がある。射線を見極め、再装填の隙を狙えば、歴戦の銀竜にとっては大した脅威にはならなかった。


 ものの数分で崖上の部隊を壊滅させた銀竜は、勝利を誇るように咆哮を上げながら谷の上を旋回する。急に背中が軽くなって不安になったのだろうか、銀竜は背後に耳を澄ませ、羽ばたかずに飛んだ。


『人の子よ。振り落とされていないか?』

「ちゃんと居ますよー! ただ……銀竜様が全部倒しちゃうから、快適過ぎてやることがありません!」


 ちょっぴり不満げなヒースの答えに、銀竜は『むう』と唸る。

 文句を言う割には、結構ノリノリで「やっちゃえー! ぶっ飛ばせー!」と応援してくれていた気がするが。人の心の複雑さに、銀竜は首を傾げた。


「合図が来るまで、僕らはしばらく休憩ですね」


 最後の乗客となったヒースは、労うように竜の背を撫でながら谷底を覗き込む。全台破壊の合図が来るまでは、竜撃槍の射程距離外を飛ばなければならない。ヒースの視力では、谷底で何が起きているかは分からなかった。


「そうだ。ずっと聞きたかったことが有るんですけど……今聞いてもいいですか?」


 唐突にヒースが声をかけると、銀竜は軽く頭を持ち上げる。幸い今は、銀竜の背にはヒースと仔竜しか居ない。この場限りの話をする絶好の機会である。


『うむ。どうした?』


 銀竜の許可を得たヒースは大きく深呼吸して、銀竜の首の方に身を乗り出すと、重大な秘密を打ち明けるように小声で尋ねた。


「――どうして、僕だったのですか?」


 もし、銀竜が人の言葉を理解するならば、聞いてみたかった。何故、魔法が使えず、シュセイル出身でもない自分を選んだのかと。


「ディーンは強いし、竜に対して敬意を抱いています。何よりイースファル王の子孫です。二人はよく似ているでしょう? 竜笛は僕ではなくて、ディーンに託した方が良かったのでは?」


 最初からディーンに竜笛を預ければ、もっと多くのことに気付くことができて、早く対応できたのではないか? なのに、敢えてヒースを選んだということは、ディーンを選べない理由があったのではないか。

 ヒースには、ディーンと銀竜の縁を結びたいという打算もあった。もし何か問題があるのなら、ディーンの居ないところでこっそり聞いておきたかったのだ。


 銀竜は『ふむ』と頷いて、一度大きく羽ばたく。凧のように翼を開いて、谷から吹き上げる風に身を任せてゆらゆらと飛ぶ。答えを遠い地平線に探して、思い出を愛おしむように眼を細めた。


の者には、竜の加護が付いていた。加護を授けたのは、既に空に還った竜なのだろう。だいぶ加護の力が弱まっている。何もせずとも後数回季節が巡れば自然に消えるが、我が竜笛を授ければ、その時点で加護を上書きして掻き消してしまう。それでは……加護を授けた竜が憐れだ』


 ディーンに加護を授けた竜は、母の相棒だった青竜アズラエルに違いない。アズラエルは死して肉体を失った後も、ディーンの側に居たのだ。


「そう……そうだったんだ」


 込み上げる温かい思いに胸を摩れば、胸元の仔竜が嬉しそうに戯れついて来る。竜の愛情の伝え方は、とても静かで優しい。――あまりに優しくて、人が気付けないほどに。


 ――君は、愛されていたよ。守られていたよ。と伝えたら、あの時、アズを見送るしかなかった君の悲しみは癒えるだろうか?


 墓所での一件の後、アズラエルは半年程生きて空に還った。あの日とは正反対の、よく晴れた冬の日だった。

 銀竜を始めとする高位の竜たちは、肉体が生命活動を終えると、体内に溜め込んでいた魔力が表皮に染み出して自然発火し、三日三晩をかけて燃える。後に残るのは、灰と巨大な骨格だけ。


 亡き竜を送る美しくも物哀しい炎が光の粒となって空に昇っていくのを、ディーンは最後の一粒が消えるまで見つめていた。その横顔、その姿は、ヒースの胸の中に強く焼き付いていて、ふとした瞬間に痛みを訴える。


「後で、ディーンに教えてあげてもいいですか? きっと、悩んでいただろうから」

『そうするがよかろう』


 そう答えた銀竜の声は、相変わらずザラザラとした掠れ声だったが、心なしか温かみを感じた。悪い理由じゃなくて良かったと胸を撫で下ろしたのも束の間。――ヒースは気付いてしまった。


「あ、あれ? でも、そうなると、僕は消去法で選ばれたってことですか……?」

『……』

「銀竜様?」

『……』

「なんか言ってくださいよ」

『……まぁ、其方なら悪用はせぬだろうと思ってな』

「うわぁ、知らない方が良かったのか……いや、でも、ディーンには教えてあげたいし……うぅん」


 銀竜に選ばれたなんて、自分が少しだけ特別な存在になったような思いがして嬉しかったのに。

 ガックリ項垂れたヒースに、仔竜が頬を擦り寄せる。励ましてくれているのかと思いきや、仔竜はヒースの胸元から飛び出して肩に登ると危険を報せるように「キイキイ」と甲高い声で鳴いた。


『休憩は終わりだ。新手が来たようだぞ?』


 振り返れば、山の影から滲み出るように黒い飛翔体が群れを成して向かって来ている。ヒースの眼で確認できた数は二十。だが、見えない場所にまだ隠れているかもしれない。

 追い風に煽られ速度を上げた飛翔体は、あっと言う間に近付き、銀竜の背後に一定の距離を保って付いてくる。


「ヒポグリフ!」


 正体が分かる距離まで近付いたが、それは相手にとっても同じ。銀竜の背に乗る騎士を視認するなり、敵方は一斉に弓を射った。剣を抜こうとしたヒースに銀竜の落ち着いた声がかかる。


『問題無い。座っていろ』


 鉄の雨のように飛来した矢は、銀竜の風の結界に当たって胴体の表面を滑り落ちていく。結界の範囲外に当たった矢は、石畳に雹が降ったような軽い音を立てて弾かれた。人の腕力で射られた矢では、銀竜の硬い甲殻に傷ひとつつけることはできなかった。


 銀竜は狙い撃ちされないように、上下左右に身体を振って追手を引き離そうとするが、追手も必死に食らい付いてくる。

 竜騎士の空戦では基本的に背後や上方を取られないように立ち回る。このような状況は竜にとってもストレスになる。


 槍と盾が有ればジョストの要領で応戦もできるだろうが、生憎今は持ち合わせていない。せめて鞍が有れば、竜がアクロバティックな飛行をしても、ある程度は耐えられるのだが……無いものねだりをしても仕方ない。今できる全てを持って対処するしかない。

 ヒースが腹を決めたのを見計らっていたかのように、アルファルドの光の矢が銀竜の前方で弾けた。


『合図も来たぞ!』

「ああ、もう! 間が悪いな!」


 ヒースはぼやきながら銀竜の背に立ち、左足首に手綱を巻き付けて縛った。谷に降下するため、徐々に傾斜する竜の背で、ヒースは足を前後に開いてバランスを取る。


「行ってください銀竜様! 少し、背中で暴れますけど、こちらはお任せください!」

『承知した』


 僅かな打ち合わせの間にも、銀竜の背後についたヒポグリフの騎士たちが、剣で風の結界をこじ開けて竜の背中に乗り込んで来た。

 高度を下げ、一層傾斜がきつくなる竜の背で巧みにバランスを取りながら、ヒースは左胸に手を当てて一礼する。まるで舞踏会のダンスを申し込むかのような優雅な振舞いだった。


「今更名乗る必要は無いでしょうけど、我が真名はクリスティアル・“ヒース”・クレンネルと申します。ローズデイル大公の弟にして、シュセイル王国の準騎士です。できることなら、正体を明かさずに去りたかったのですが、そうもいかなくなりました。私利私欲のために竜を害し、竜と人との絆を断ち切らんとする貴卿らの蛮行を、これ以上見過ごすことはできません。……お覚悟を」


 形の良い唇から奏上されたのは、もちろんダンスのお誘いではない。名乗りを上げて、密猟者を断罪するという宣言である。しかし、ヒースにとって正体を明かすのはリスクが高い。


「ローズデイルのクリスティアル卿だと? 魔法が使えないという、クレンネルの白薔薇か」


 魔法が使えないと分かった途端、ひとりの騎士が嘲笑を浮かべて斬りかかってきた。ヒースは軽く躱して、相手の鳩尾に膝を叩き込む。蹴られた騎士はそのままくずおれて銀竜の背から滑り落ちたが、銀竜の下に回り込んだヒポグリフが受け止めた。……死んではいないだろうと、ヒースは肩を竦める。


「失礼。足が長いもので」

「こっの……若造が! 殺せ! 叩き落とせ!」

「お嬢さん。危ないからコートの中に入って……えっ、嫌なの?」

「プィー」


 ブンブン首を振って嫌がる仔竜に苦笑しながら、ヒースは両手に剣を抜いた。


「分かった。それじゃあ、しっかり掴まっていてね」

「ピイ!」


 仔竜は元気よく返事をすると、ヒースの肩の上で上着をしっかりと掴みながら身を縮めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る