20 竜の谷の戦い

 猛き銀竜の咆哮が、崖に幾重にも反響して地上に届くと、捕獲された白竜たちが希望を託して一斉に泣き叫んだ。爪でガラスを引っ掻いたような金切り声の大合唱に、密猟者たちは堪らず耳を塞ぐ。時折谷底を過ぎる巨影に頭上を見上げても、土煙が舞う崖の上からは悲鳴と怒号が降るのみで、上空で何が起きているのかは分からない。


 しかし、いくら耳を塞ごうとも、銀竜の重低音の咆哮は人間の脆弱な身体を突き抜けて、魂を揺さぶり本能に至る。見えない死神に狙われている恐怖は、密猟者たちを震え上がらせ戦意を喪失させた。


「銀竜め! もう戻って来やがったか。ええい、うるさい! さっさと角を切り落とせ!」


 動きが鈍い部下たちに、苛立った騎士団もとい密猟団団長が檄を飛ばす。

 恐怖に震えている暇は無い。銀竜が谷に降りて来る前に、金になるものを回収しなければならない。卵が無理なら角でもいい。どうせ銀竜が孵化するまでは、この谷から移動することはできないだろう。今回は失敗でも巣の監視を続ければ、いずれ機会は訪れる。焦る必要は無い。


 団長が捕らえられた一頭の白竜を顎で示すと、側近の男二人がかりで暴れる白竜の首に縄を掛けて地面に引き倒した。団長は竜の頭を踏みつけて角の根元にのこぎりの刃を当てる。

 角の長さは約一メートル。推定二百歳。一度も折れたことが無いのか、凹凸や醜い節は無く表面は滑らかだ。高く売れるに違いない。

 団長が嗜虐的な笑みを浮かべて鋸を引こうとすると、白竜の角に薄水色の光が宿った。白竜は悲鳴のような叫びを上げて、最後の抵抗に魔力を集中させる。


「こいつ……! 無駄な抵抗はやめろ! この死に損ないが!」

「キイイイィィ!」


 冷気が足元を撫でた瞬間、竜の頭を蹴り付けた足に霜が降って、そのままの形で凍りついた。だが、団長はそれでも鋸を手放さない。鋸の刃が角の表面にガリッと切り込み、白竜が魔力を暴走させる寸前。突如飛来した雷槍が地面を穿ち、団長の身体は凍りついたまま吹っ飛んだ。


「くっ、総員撤退だ! 一度戻って仕切り直……」


 団長が戦闘不能になったのを目の当たりにして、慌てた側近が指揮を引き継いだが、目の前に舞い降りた大きな人影に続く言葉を失う。安っぽい人形のようなぎこちない動きで、頭ひとつ分高い位置にある顔を見上げれば、魔力を帯びて真紅に光る瞳が静かに見下ろしていた。


「赤い眼……まさか、魔族? 貴様何者……」

「最後まで生き残ってたら教えてやるよ」

「ぐあっ!?」


 慌てて剣を構えたが、ライルの左フック一発であっさり地面に倒れ伏した。銀竜と散々殴り合った後では物足りないのか、ライルは唇を尖らせる。


「んだよ。偉そうな割に弱っちいなおい」

「まぁ、弱い犬ほどよく吠えるって言うし?」


 ライルに続いて着地したアルファルドが、逃げ出そうとしたもう一人の側近を峰打ちで沈めた。幹部が続けざまに倒れたことで密猟者たちは混乱に呑まれ、ひとり、またひとりと装備を投げ出して逃げ出す。すぐさまアルファルドの魔狼が猟犬のように追い立てて、白竜捕獲用に用意された檻の中に追い込んだ。


「そりゃあ、お前からすれば大抵は弱い犬だろ?」

「そんなことはないよ。雑草と害虫ばかりだ」

「……お、おう。そーかよ」


 森の王様的には、犬扱いすらもったいないということか。まさか自分もそう思われているのか……? ちらりと脳裏を過ぎった疑問は後々追求するとして、まずは竜撃槍を破壊しなくてはならない。


 ライルは密猟者たちが置き去りにした槍を手にすると、穂先を天に掲げた。土煙に曇った空から眩い光と共に稲妻が落ちて、槍に紫電が疾る。充分に魔力が通った槍を肩に担いで数歩助走を取ると、力強く踏み切って投擲。唸りを上げて飛ぶ光の槍は、ぐんぐんと飛距離を伸ばして谷底に設置された竜撃槍を破壊して爆発炎上した。


「ナイスショット! 俺!」

「わーすごーい。無駄にド派手」

「無駄って言うな。素直に褒めろ!」


 適当な賞賛が気に入らなかったのか、わざわざ振り向いてアピールしてくるライルに、アルファルドはおざなりにパラパラと拍手する。


「それだけ動ければ怪我はもう平気だね?」


 アルファルドが尋ねると、ライルは片眉をきゅっと上げる。答える代わりに、もう一発雷槍を投げて健在を見せた。

 ライルは銀竜戦の際に腕を負傷していたので、アルファルドが治療を提案したが、『放っておけば治る』と頑なに治療を拒んだ。ライルが言っていた通り、今の彼の腕には傷痕ひとつ無い。

 魔力を帯びると赤く染まる眼以外は、人間と相違無いので忘れがちだが、ライルには魔族の血が流れている。回復再生の仕組みは人間とは異なるようだ。


「あんなもん、かすり傷だ。親父の拳の方が数倍痛え」

「……ふうん。ならいいけど」


 丈夫過ぎると気遣われ慣れていないのか、ライルはわざとらしい咳払いをする。アルファルドはといえば既に興味を失ったのか、いつも通りの眠そうな顔で事務的に敵を斬り捨て、発射台を蹴り倒していた。


「アル! お前、何台壊した?」

「今ので、三台目」

「崖の中腹にあったやつは、ディーンが行ったよな? そろそろ銀竜を呼ぶか?」


 拘束を解かれた白竜たちは一斉に蜂起して、魔狼と一緒に密猟者たちを追い回している。全員捕らえるのも時間の問題だ。谷底に展開していた密猟団はほぼ制圧したと見て良いだろう。

 アルファルドは刀を納めると、肩に掛けていた弓を手に取り、いつでも射てるよう矢をつがえた。


 アルファルドが土煙が立ち昇る崖の中腹にディーンの姿を探していたその時、ヒイと風が鳴いて竜撃槍が頭上を過ぎった。ドスっと鈍い音を立てて槍が突き刺さった先を見れば、真っ青な顔をした密猟団団長がへたり込んでいる。

 ライルに吹っ飛ばされた後、しばらく昏倒していたが、目を覚ますなり状況不利と見て逃亡を計ったようだ。


「どこへ逃げる気だ? これだけの大事にしておいて、テメエだけトンズラとはいい度胸だな? おいコラ」


 谷底に朗々とガラの悪い声が響く。不穏を察知した白竜たちは、急に大人しくなって道を開けた。崖上から発射台の残骸と共に降ってきたディーンは、手にした大剣で肩を叩きながら長い歩幅でドスドスと歩き、座り込む団長の顔の真横に靴底をめり込ませた。

 身長約二メートルの大男の影に呑まれた団長は、羆に睨まれた野うさぎのように身体を小さく丸めながら震えている。恐々と見上げた顔は、逆光で表情が分からず、余計に恐怖を煽った。


「ひぃ……ま、待て! 金が欲しいのならやる! 準騎士から正騎士になるには何かと物入りだろう? 白竜の角なら武器の素材にもなるぞ!」

「うるっせえヒゲだな。鼻ごと削ぎ落とされたくなきゃ口を閉じてろ」


 ディーンは暴れる団長の首根っこを捕まえて、檻に放り込むと、呆れ顔で見守っていたライルとアルファルドに頷いてみせた。


「どっちが悪役かわかんねーなー……」


 ボソリと呟いたライルの隣で、アルファルドは空に向かって合図の矢を射る。緑の魔力光を纏う矢が上空で弾けると、真っ白な花弁に変わった。

 白竜たちは、ひらひらと舞い落ちる粉雪のような花弁を眩しそうに見つめていたが、突然鋭い声で鳴き始めた。空に向かって吠え始めた魔狼たちを落ち着かせると、アルファルドは舌打ちする。


「飛び道具を破壊した途端、羽虫が湧くなんてね」

「羽虫? 今度は何が出たって?」


 ライルの疑問には答えず、アルファルドは弓を構えた。

 土煙に烟る空を裂いて、ヒースを乗せた銀竜が谷底に飛来する。その背後には、ヒポグリフに乗った騎士たちが迫っていた。

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