19 黄金の嵐を駆る者たち
陽光を浴びて白金に輝く翼に風を集め、羽ばたきひとつで谷を脱出した銀竜は、山の稜線をなぞるように高度を上げていく。遠くなりそうな意識を引き止めて、遠い地平線の山を見つめているアルファルドの前には、「いやっほーう!!」と両手を挙げて快哉を叫ぶヒースが座っている。仔竜も、もはや定位置と化したヒースの上着の中から顔だけ出して、気持ち良さそうに目を細めていた。
「あははは! いや〜気持ち良いねー! 銀竜に乗せてもらった人間なんて、竜騎士王以来の七百年ぶりじゃない!?」
「ピュイピュイ!」
アルファルドの繊細な三半規管に、ヒースと仔竜のテンションの高い楽しげな声が突き刺さる。ムカつく胸を摩りながら、アルファルドは半眼でヒースの背中を睨んだ。
「……お前ら、ちょっと静かにしててくれる?」
「そんなぁ……って、アルどうしたの!? 顔が真っ青だよ!?」
「プフー?」
「こっち見んな。前を見ろ、前をー!」
森の王様は、森から離れると調子が狂うらしい。ヒースは肩を竦めて前方に視線を戻した。
背中で二人が騒いでいる間にも、銀竜は構わず飛び続けた。山肌を吹き上げる上昇気流に乗って山頂に至り、ホイップクリームのデコレーションのような真っ白な山脈に沿って飛ぶ。
銀竜の血に赤く染まった尾根の上を通過すると、ヒースは竜の首の方に身を乗り出した。尾根筋を行く人影が二つ。だいぶ周り道をしたが、ようやく追いついたようだ。
「銀竜様! あの二人も連れて行きたいので、回収お願いしまーす!」
『うむ。よかろう』
脳内に嗄れた竜の声が響いた瞬間、銀竜は尾根に向かって急降下した。巨大な竜影が山に差し掛かり、地上の二人が空を仰ぐ。人はその場に在り得ないものを見ると硬直するものなのか、銀竜は呆気に取られて動けない二人をポイッと背中に積むと、また高度を上げた。
「もっとマシな乗せ方はねーのかよ! てか、どうせ乗るなら一番前がいいんだが!」
「ははは! 残念! 一番前は譲らないよ〜!」
「んだとぉ?」
胴体だけで馬六頭分ぐらいある巨大な竜の背だが、鞍が無いので安定して座れる場所は限られている。成人男性四人が座るには少々窮屈で、一番後ろに乗せられたライルがブーブー文句を言う。一方、まだ状況が飲み込めていないディーンは、銀竜の背中を撫でて感触を確かめていた。
「銀竜……? えっ、銀竜!? 俺、銀竜に乗ってる!?」
「ディーン、落ち着いて聞いてくれ」
「な、なんだよ?」
一番前に座るヒースが、後ろを振り返って深刻な顔で言う。
「なんと、この御方、イースファル王の銀竜さんです」
「……ファ!?」
「余計に混乱させんな」
「いだっ!」
ご機嫌斜めなアルファルドにつむじを押されて、ようやくヒースが黙ったので、タイミングを見計らっていた銀竜が遠慮がちに声を掛けてきた。
『人の子らよ。乗せた早々だが、この先はあの忌々しい槍が空を飛び交うだろう。其方らを乗せて飛ぶことはできぬ』
向かう先に尖った独立峰が見えると、銀竜は山に巻きつくように着陸した。翼を折り畳み、背中に乗せた人間たちにも見えるようにそろりと山の向こうを覗く。
眼下には大地の裂け目のような深い渓谷が東西に伸びている。白竜の巣はその断崖絶壁の横穴に在るのだが、崖の縁には上空に向けて竜撃槍が六台設置されていた。
逃げる白竜を撃つためか、銀竜を迎撃するためか、はたまたその両方か。いずれにしても、竜撃槍を無力化しないことには銀竜は巣に帰れず、白竜を避難させることもできない。
「僕らが偵察した時には、竜撃槍は十二台だったけど、その後に増えているかもしれない。位置が分からないと射線を予測し辛い。このまま谷に突っ込むのは推奨できない」
「銀竜サンには、崖の上まで送ってもらって、俺たちが手分けして破壊するしかねーな! 侵入、逃走経路を確保したら合図するっていうのでどうだ?」
足場が安定して少し復活したアルファルドが見解を述べると、ライルが続ける。
「異論は無い。だが……銀竜殿。傷はもう大丈夫なのか?」
ディーンが尋ねると、銀竜は長い首をくるりと回して背中を振り返った。ディーンの姿に古い友人の姿を見たのだろうか。銀竜はゆっくりと瞬いて、また山の向こうに視線を戻す。
『……問題無い。不意を突かれて遅れを取ったが、我だけならば切り抜けられよう……』
「何か心配事があるなら、言ってくれ」
言い淀む銀竜に続きを促すと、銀竜は悲しげに唸った。谷から吹き上げる風に、焦げた樹々の臭いと、か細い悲鳴が混じる。手をこまねいている間に、白竜の犠牲は増えていく。
『其方らが救った我が娘には、孵化間近の兄弟が居るのだ。ゆえに、我が妻たちは巣から動くことができぬ』
「兄弟ってことは……雄、つまり銀竜の卵!?」
『左様』
今は数少なくなってしまった白竜の、更に稀少な雄――銀竜の仔を孵化するところから育てれば、人間に懐くかもしれない。国宝級の銀竜の角も難無く入手できるだろう。有力貴族や王族に卵を献上して、自らを売り込むこともできるし、自身が銀竜の竜騎士になることも可能だ。野心ある者には、危険を冒してでも入手したい垂涎の品である。
「巣への攻撃が続いているってことは、まだ卵は奪われていない。白竜が逃げられないのなら、密猟者共を大人しくさせるしかないね」
――やはり現代の騎士が戦う相手は人間になるのか。
ヒースは腰のベルトに提げた剣の柄を握り、自身に問いかける。この剣は何のために振るうのか。それを定めないうちに剣を抜いてはならないというのが、師匠の教えだった。だが、ヒースの答えはいつでもシンプルだ。
――この剣は、仲間を守るために。
それ以上を望んだことは、まだ無い。
「まずは対竜装備の破壊だ。俺とライルとアルが先行する。ヒースは銀竜殿と上空で待機。全台破壊したら合図する。すぐに巣に向かえ。密猟者共より先に卵の安全を確保するんだ」
「了解。――そういうことなので、銀竜様お願いします!」
『分かった。崖の上の槍は我に任せよ。一掃してくれる』
風が山の周囲に渦巻くと、銀竜は背中を振り向いて牙を剥いた。その横顔は、人間の顔であればニヤリと笑ったと表現するべきだろうか。アルファルドが絶望を滲ませて「
『行くぞ。吹き飛ばされるなよ!』
翼に風を集め、銀竜は山を蹴って飛び立った。翼を畳み落下を利用して瞬時に最高速度に達すると、見える景色は視界を流れるというよりは世界が溶けていくように感じる。
山が震え、風が哭き、森が踊る。嵐を連れて舞い降りた災厄は着地と同時に崖の上の発射台を二台踏み潰し、稲妻を纏う尾で周囲の雑兵を薙ぎ払う。黄金の角で大地を抉るように更に一台ひっくり返して破壊すると、崖の反対側に飛び移った。
一瞬で三台の竜撃槍を失った密猟者たちは、荒れ狂う銀竜の襲撃に逃げ惑い、持ち場を離れた。その隙に、先行する三人が竜の背から飛び降りて崖に向かう。
「戦神の加護を!」
その背中にヒースが祈りを投げかけると、ディーンが振り返らずに手を振った。
「ああ! お前もな!」
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